第109話
体育祭が終わり、晴れて日常生活に戻ってきた。
今日は前々からお願い(意味深)されていた野鳥観察に出かけるため、真冬との待ち合わせ場所である都内の動物園前に来ていた。
今の時刻は午後13時30分。
午前は真冬に習い事の予定があるため、14時に集合となっている。
そのため、俺も昼ご飯を食べてから家を出たわけなんだけど、食卓では母さんや父さんから冷やかされて大変だった。
別に、俺たちはそういう関係じゃないのにね。
じゃあ何なのさって聞かれたら——まだ答えは出せないんだけどさ。
「咲也せんぱーい」
思考の海に埋没していると、そっと横から声をかけられた。
「きょんにちは、真冬さん」
慌てて思わず噛みました。
くすくすと笑われてしまった。恥ずかしい。
「ふふ、こんにちは。お待たせしましたか?」
「いや、そんなことないよ——」
振り向いて真冬と向かい合い——俺は絶句した。
今日の服装、とても気合いが入ってません?
真冬は昔から好んで着ているブランドメーカーのガーリーファッションに身を包み、艶のある黒髪を少し巻いている。薄く化粧もしているようだ。
およそ初等部六年とは思えぬ大人びた姿に、周りから男女問わず視線が注がれていた。
芸能人と言われても違和感ないな。
さすがラスボス。オーラが違うよ。オーラが。
「どうかしました? 何かついてますか?」
言葉を失っている俺に、追いうちをかける
ように真冬が尋ねる。
なぜ黙っているか、分かっているくせに。人が悪い。
「何にも——」
と、言いかけて俺はふと考え込む。
思春期に突入した男子中学生としては、ここは「何もないし、何とも思わないね」と強がりたい衝動に駆られるのだが、相手は真冬だ。
あまり強がった態度をとると、彼女の自己肯定感を損ねてしまうかもしれない。
何より、今日は習い事があってバタバタしていただろうに、限られた時間でここまで可愛らしい格好をしてきてくれた真冬の気持ちを鑑みるなら、素直に褒めるべきだ。
「——いや、とっても可愛くて驚いたよ」
「へっ!?」
「思わず見惚れるくらいだったよ」
「あ、え、ええと……」
真冬は、不意をつかれて驚きの表情を浮かべたと思ったら、みるみる顔が真っ赤に染まっていった。まるで茹でダコのようだ。
うーん。
この子の年相応の反応を見るのはとても新鮮だし、何より可愛かったので、もう少し褒め倒してみることにしました。
普段ヒヤヒヤさせられているのだ。少しくらい仕返ししてもバチは当たらなかろう。
「そのブランドの服も真冬さんによく似合っているね。メイクのおかげでとても大人びて見えるから、女優がお忍びで来ているんじゃないかと思ったくらいだよ」
「ありがとうございます……」
俯いてるけど、口元が緩んでいる。
良い反応だ。
調子に乗ってきた俺は、もう少し褒めてみようかと思ったのだが、
「……その、そろそろ勘弁してください……」
と、絞り出すような声を出されてしまったので、素直にやめることにした。
引き際は大事だ。
もしかして、やり過ぎたかなとも思ったが、本当にやり過ぎていたら俺は今頃闇の中なので、大丈夫ということだろう。
そして、冷静になってから、先程まで自分が口にしていたことを思い返して恥ずかしくなってきた。
うわあ、何ということでしょう。
顔が熱い。
おまけに気まずいよ。
「……」
「……」
「あ、そ、その! 時間もありませんし、入りませんか?」
「そ、そうだね、入ろうか」
真冬の提案に従い、顔を真っ赤にした俺たちは、早速入場することにした。
動物園は、都心部の一等地にあるだけあって、それなりに家族連れやカップルで賑わっている。
売りであるパンダとか人気の動物は、長蛇の列をなしているが、今日のお目当てはそこじゃない。
「咲也先輩」
「うん?」
「実は、今日のために用意したものがありまして」
そう言って鞄からチケットを二枚取り出す。あ、それは!
「パンダのチケット?」
彼女から受け取り、券面を眺める。
連日の大行列で、確保が難しいと話題になっているチケットだった。
「はい。ちょっと、お父様にお願いしちゃいました。……色々大変でしたけど」
パンダを見てみたかったんです、と彼女は続ける。
多分、雨林院会長の溺愛ぶりを見るに、「隣国から取り寄せようか?」とか言い出しそうだし、大変だったろうなあ。
違うな。きっと、「誰と見に行くんだい……」とか詰め寄られたのだ。
あの人、娘のことになると本当に周りが見えなくなるから……。
今、こうして一緒に来られているので、うまく説き伏せたのだろうけど、しばらくは雨林院家に近づくのは控えておこう。
「ありがとう」と、チケットを一旦真冬に返した。
いくら確保が難しいものであっても、俺たちのように親の顔が広い人間は、このように多少楽をすることが出来てしまう。
他の人の見る機会を奪ってしまっているわけだし、褒められたことではないかもしれない。
でも、せっかく今日のために確保してくれた彼女の好意を無碍にはしたくなかった。
何より、
「実は、俺もパンダを見てみたかったんだ」
「本当ですか。それなら良かったです」
実は、俺も興味があったから嬉しい。せっかく動物園に行くのだし、空いていれば見てみたいと思っていたのだ。
パンダって、愛くるしいよねえ。
ふわふわで、抱きつきたい。
「もう見られるのかな?」
チケットを見せてもらうと、時間指定のようで、まだ時間がある。
「どうします?」
「それじゃあ、時間まで野鳥を見て時間を潰そうか」
「はい!」
こうして、俺たちは園内を歩いて、当初の目的である野鳥のいる池まで向かうことにした。
ちなみに、真冬はまだ初等部生だし、作中最強格とはいえ女の子なので、雨林院家の使用人が警護としてついて来ている……らしい。姿が見えないので分からないけどね。
「真冬さん、一つ聞いてもいいかな」
「何でしょうか?」
道中にいる動物たちを見ながら話していると、緊張もほぐれてきたので、前から気になっていたことを聞いてみることにした。
「真冬さんの『闇』の能力って、他人の影とかにも入り込めたりするの?」
しん、と周りが静かになった。
え、なぜ? 変なこと聞いた?
「…………………………分かりません」
何この間は。
さも不思議そうな顔を作っても無駄だよ。怖いほどに真顔だったじゃない。
「咲也先輩こそ、どうしてそんなことを聞くんですか?」
どう考えても、そうとしか考えられないようなことが起きたからだよ。
「……興味本位かな」
しかし、本当の理由は怖くて言えなかった。はい、チキンな男です。
すると、真冬は少し翳りの帯びた笑みを浮かべる。
「なら、教えられませんね。女は秘密を着飾って美しくなるものですから」
「ええ……」
それ敵組織の幹部が使う台詞じゃん。
おまけに、「教えられない」って物言いだと能力について知ってる感じじゃん。
と、思いつつ、俺はこれ以上は追及しないことにした。この世には、触れないでおいた方がいいこともあるようだ。
「というか、真冬さんって、あの某探偵モノの作品を知ってたんだ」
「え、ま、まあ、嗜む程度には、ですけど……」
正直、意外だった。
玲明学園に通う子は、週刊誌に連載されている漫画や、夕方にやっているアニメなんて見ないし、存在も知らないことが多いからだ。
真冬に関していえば、姉が隠れオタクだから知っていても不思議ではないけどさ。
件の作品は、俺の元いた世界とは微妙に設定が違うものの、それが逆に興味深いところで、主人公の出自であるとか、顔馴染みの博士との関係性が——
「それより! ほら、咲也先輩のお目当ての場所が見えてきましたよ」
真冬が、不意に前方を指差した。
まんまと話の矛先を変えられてしまった感は拭えないけど、思考を止めてその方向へ目を向けると、彼女の言う通り野鳥の住む池が見えてきた。
わあ、テンション上がってきた。
せっかくの動物園、楽しまないと損だよね。
「本当だ! ほら真冬さん、池にあんなに鳥がいるよ!」
すごい、池に浮かぶ小さな島を覆い尽くすくらいの鳥がいる!
もはやふわふわの羽毛で出来た島みたいだ。
「わ、本当ですね、すごい数……」
池のほとりからは遠いので、望遠鏡を使わないと一匹一匹はよく見えないのが残念だが、ここは川鵜の繁殖地として有名な場所だ。
「このような川鵜の繁殖地は国内でも非常に珍しくてね。そもそも、こんな都内で見られるようなことはないはずなんだけども、だからこそとても貴重で——」
だから、当たり前のように広がるこの光景も、いつまでも見られるのか分からない。
俺は、真冬をベンチに座らせ、川鵜や水上を滑るように泳ぐ水鳥たちを眺めながら、時間をかけてそう力説していた。
野鳥ウォッチャーとして、同志が出来るかもしれない場面なのだ。失敗は許されないと思った俺は、楽しみ方についても懇切丁寧にレクチャーした。
さあ、ここまで話を聞いてたら、思う存分鳥を観察したいと思ったんじゃないか?
「川鵜もいいですけど、私はカワウソが見たいです」
「あ、そう……」
川鵜を見始めて、すでに三十分は経っているからね。うん。
それにカワウソ可愛いもんね。
というわけで、俺たちは川鵜のいる池を後にし、入り口のあるエリアまで戻ってきた。パンダがいるのも入り口の近くなので、時間になってもすぐに戻ってこられる点で、効率的な周り方だった。
「動物って、いいですよね」
歩きながら、たまたま近くのエリアにいたゾウを見た真冬がぽつりと呟く。
「どうして、そう思う?」
彼女の横顔が寂しげで、思わず尋ねる。
彼女に何か悩みがあるのなら、聞いてあげたい。
しかし、意外にも、その言葉は真冬にとっても思わず漏れ出た言葉だったようで、自分の言葉に驚いたような素振りを見せる。
当然ながら、自分でも呟くつもりのない不意の言葉だったわけだから、俺に理由を話すのは躊躇っている様子だったけど、ぱちりと目が合うと、一拍置いてから諦めたように話し始めた。
「……この狭い檻にいれば、何も考えなくとも決まった時間にご飯をもらえて、将来のことを気にしなくてもいいのが羨ましいなって」
「ほんとそれな」
「え?」
「何でもない」
思わず同意しちゃったよ。
怪訝そうに見つめてくる彼女から目を逸らして誤魔化す。
誤魔化せていないかもしれないけど、俺は頑なに目線を合わせないでいることにした。
それはそうと。
内心、俺は少しばかり驚いていた。
真冬も人間だし、時にはそういう考えを抱くこともあるだろうと思っているけど、それをこうしてぽつりと表に出すこともあるんだなって。
ある意味子供らしい本音というか。
だから俺も、誠意をもって接するため、素直に思ったことを伝えることにした。
「俺も、動物になりたいと思ったことはある。鳥たちのように自由に飛べればいいなとか、勉強や習い事が面倒だとか、そんなことを思わず考える時はあるよ」
「……咲也先輩もそう思うことがあるんですね」
似たような感想を彼女も呟く。不思議と、お互い相手に対して抱いている考えは同じだったようだ。
自分としては、そこまで真冬みたいに完璧然と振る舞っているつもりはないんだけど。どこを見てそう思ったのかは謎である。
もっとも、俺の場合は自分の破滅ルートを回避しなければならないというプレッシャーの方が勉強や習い事よりも大きいかったから。
そりゃ死の恐怖に比べれば、そんなのは些細なことだ。
今は、毎日がとても楽しい。
敵になるはずだった皆には仲良くしてもらっているし、目に見えて危機が迫っていることもない。
普段の学園生活は楽しく過ごせていると自負している。
だから、
「私、咲也先輩は『自分の境遇の中で精一杯楽しもうとしている人』なんだって思ってました」
「……」
割と核心をついた彼女の言葉に絶句してしまった。
この子は、本当に人をよく見ている。
「なので、『咲也先輩でもそう思うことがあるんだ』って思ったら、少しだけ楽になりました」
「お、俺だって同じ人間だもの。それくらい思うことはあるよ」
むしろ、幼少期は破滅確定の御曹司でなく、いっそのこと路傍の石とかに転生した方が幸せだったんじゃないのとか思ってたくらいだよ。
こうして健康な身体で第二の人生を歩めている時点で、儲け物。贅沢な考えだということは身に染みているけどね。
それに、
「こうして誰かと一緒に出かけたり、野鳥を愛でたりっていうのは、人間じゃないと出来ないからね〜」
こうして『推し』と休日一緒に出かけることだって出来たわけだしね。
たとえ、原作では一方的に利用される関係だったとしても、少なくとも今は全く違う関係を築けている(?)のだから。
「……分かってますよ」
言ってみただけです、と真冬は拗ねたように顔を背けた。
あれ?
やばい、どこか説教臭いところでもあったかな。
「あ、あの、真冬さん?」
「……」
つーんとそっぽを向かれてしまった。
が、歩みをカワウソエリアに向けたまま止まらない様子であったので、ひとまず横に並んで一緒に歩くことにした。
すると、
「……はあ。雨林院家の令嬢らしからぬ発言をしてしまいましたね。ごめんなさい、さっきの発言は忘れてください。咲也先輩」
真冬は、幾分かの自己嫌悪らしき感情の含んだ溜息をついた。
「咲也先輩なら怒らず笑わず、真摯に聞いてくれると思って、少し甘えてしまいました」
「そりゃ真冬さんの話だもの。真面目に聞くよ。それに、たとえ令嬢らしからぬ考えだとしても、心の中で思うことは誰だって自由だよ」
「そう言っていただけると、気持ちが楽になります」
「あまり考えすぎても不健康だけどね。俺たちはまだ子供なんだから。たまには思うがまま誰かに愚痴ってごらんよ」
「……あの、咲也先輩って本当に私の一個上ですよね?」
何だか達観しすぎで悔しいです、とジト目で視線を向けられた俺は、「そんなことないよ〜」とだけ答えて目を逸らす。
内心、ドキッとしてしまった。
「実は人生をやり直している元病弱な青年です」なんてバレるわけないのに、見透かされてしまっているのかと思った。
それくらい、綺麗で吸い込まれそうな瞳だった。
と、ちょうどよくカワウソのいるエリアが見えてきた。
「真冬さん、着いたみたいだよ」
「え、……わあ!」
彼らの見える位置まで近づくと、真冬は驚いたように声を上げる。
「わ、可愛い!」
彼女が黄色い声を上げるのは珍しい。どれどれと俺も覗き込む。
本当だ。すごく可愛い。
ぬいぐるみのような愛くるしい姿に思わず頬が緩む。
そして、それを見る真冬の横顔もまた、負けない可愛さだった。こんな頬を緩めた表情もするんだ、と思わず見惚れてしまう。
「ほら、咲也先輩! あそこの子、同じところをぐるぐる走り回ってます!」
彼女の声にはっとしながら、その指差す方を見る。
「ええ……?」
視線の先にいたカワウソは、ぐるぐるバットでもしてるのかというくらい同じコースを何度も何度も周回している。
気持ち悪くなったりしないのだろうか。
おたく、三半規管強いですね。
「あの子たちは親子でしょうか? それとも……あ! あちらにもいますね——」
「……ふ」
先程までとはうってかわって、真冬がはしゃいでいる。
こうして、素直に感想を述べたり、喜んでいる年相応な彼女の姿は、とても珍しい。
原作の真冬も、本来はこうした純粋さを持ち合わせていたのだろうか。
「……」
そう思うと、今の彼女を見てホッとする気持ちになる反面、原作の真冬が救われることのなかった事実に、胸が締め付けられそうになる。
「どうしました?」
黙っていたからか、真冬が不思議そうに尋ねてきた。
「……いや」
まさか本人に理由を言えるわけがない。
「ほら、あそこにハクセキレイちゃんがいるから、思わず見入ってたんだ」
「え? ……あ、本当だ。小さくて可愛い鳥ですね」
ちょうどよく、園内に入り込んだのであろう野生のハクセキレイちゃんが近くにいたので、うまく誤魔化せたようだ。
真冬も、檻の中から逃げないカワウソより、飛んでいってしまうかもしれない野鳥の方を観察することにしたらしい。
じっと目で動きを追っている。
「可愛いよね。ハクセキレイちゃんって」
「ちゃん付けって……ほ、本当に好きなんですね」
「それはもう。だってさ——」
それから俺は、ハクセキレイちゃんの魅力について、存分に語って聞かせてあげたのだった。
「あの子たちはね——」
ハクセキレイちゃんは、名前の通り尾が白くて美しいのが特徴だ。けれど、決してそれだけが魅力というわけではなく、それをぴょこぴょこ上下に動かしながら、早足で駆けていく様がとても可愛らしい。
「おまけに——」
野鳥にしては警戒心が薄い種であるため、割と近づいても逃げなかったりするので、上手くタイミングが合えばじっくり見ることも出来る。野鳥初心者向けの子なのだ。
「だから、俺はどの野鳥よりも好きなんだよね」
個人的には、直接触れ合うのでなく、セキレイちゃんを静かに鑑賞できる席を設けたカフェとか作ってくれないかなと思っているくらいだ。
もしかして既にある?
「真冬さんはどう思う?」
「パンダが見たいですね」
「あ、そう……」
さすがに話が長すぎると怒られた。
「私じゃなかったら呆れて帰られていますよ」
「反省します……」
「それではパンダの時間も近いですし、戻りましょうか」
時計を見ると、驚くことに15分くらい経っていた。そんなに喋ってたんだ。退屈させちゃったな。
真冬の言うとおり、そろそろ予約していたパンダの鑑賞時間になるので、俺たちは元来た道を戻ることにした。
道中、真冬に悪いことをしたなと反省した俺は、ご機嫌をとるべくチラッと顔色を伺う。が、なぜか彼女はニッコニコとご機嫌そうだ。
怒ってないの?
うーん、ならいい……のかな?
自分を納得させ、俺は真冬と二人、パンダ鑑賞を楽しんだのだった。
途中、隣ではしゃぎながらカメラのシャッターを切る真冬の姿があまりにレアだったので、コッソリ携帯で撮ったのは内緒である。
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