第100話

 ツアーを終えた数日後。

 今日は、ホームルームの場を使って、夏前に控えている体育祭の種目決めが行われていた。

 俺と委員長は、黒板の前で種目と出場者の取りまとめをしていたのだが、


「あ、あれ……様だ……」

「何で……のクラスに……?」


 不意に、教室前の廊下がざわざわと騒がしくなった。扉のガラス越しに様子を見ようとするものの、人混みでよく見えない。

 誰か有名人でも来たのかしら。

 気になっているのは俺だけではないようで、他のクラスメイト達の視線も廊下の方へ向けられている。


「何だか騒がしいわねえ」


 最前列の席に座るテラさんもぽつりと呟いた。

 その呟きに返すように、


「皆さん、まだ種目決めは終わっていませんのに……この廊下の騒がしさは一体何かしら」


 委員長が溜息を吐いていた。


「どうせ生徒会絡みじゃないの?」


 俺が言うと、


「アンタも生徒会じゃなかった?」

「貴方も生徒会でしょう」

「イグザクトリィ(その通りです)」


 委員長とテラさんの二人から突っ込みが飛んできたので、思わず俺は習ったばかりの英単語で返事をしてしまう。

 英語って難しいよね。

 初等部から授業にはあったけど、本格的に学び始めて単語の多さに辟易している今日この頃。

 それはさておき、ここまでスムーズだったクラスの種目決めは、廊下の喧騒に引っ張られるようにストップしてしまった。

 何だか、ごめんなさい。

 実際は生徒会は関係ないのかもしれないけど、何となく責任を感じてしまう。実際、この学校で何か騒動がある時は、大抵生徒会絡みだし。

 ここは一つ、クラス副委員長としてきちんと委員長の補佐をやってみせよう。

 厳しい言葉になるけど、心を鬼にして——


「皆、まだ終わってないから、静かに……してもらってもいいですかね〜」


 ——と思ったけど、この有様だ。

 強く言うって難しいなあ。

 結局、なよっとした頼み方になってしまった。

 それなのに。


「……!」

「やばっ……」

「殺される……っ!」


 俺の声を聞いた途端に、全員が一斉に前を向き、こちらに意識を戻してくれた。

 殺されるって言った奴誰だ?

 失礼な……。


「すごいわね、よほど咲也のことが怖いのかしら」


 失礼な!

 最近は、テラさんや委員長と親しくなったおかげか、他のクラスメイト達も話しかけてくれたり、会話に入れてくれるようになってきたじゃないか。

 人畜無害な咲也さんだよ。


「流石は副委員長、鶴の一声ですわね。助かりましたわ」


 と、委員長は、本題へと話を戻していった。

 若干、哀れみを帯びた瞳で俺を一瞥してから……。

 鶴じゃないやい。

 鶯だい。……自分の中では。


「……では、これで種目は確定ですわね。皆さん、お疲れ様でした」


 なぜか協力的なクラスメイト達のおかげもあり、程なくして全ての種目の出場者が決まったため、ホームルームは終了。晴れて放課後となった。

 俺は荷物をまとめつつも、廊下の方に意識は向けてしまっていた。

 喧騒の原因は何だったのだろう。

 結局、ホームルームが終わるまで分からないままだったけれど、今もなお廊下は騒つきを保っているので、いずれ分かることだとは思う。

 とはいえ、人混みの中を歩くのは気が進まないし、それとなく嫌な予感もしたので、俺は教室で少し時間を潰してからサロンに行くことにした。

 そうと決まれば、俺は荷造りを中断して携帯を開いた。

 こういう時にやることといえば、そうだね。ネットサーフィンだね。

 最近、登下校中の車の中で、すっかりルーティンになってしまっているんだよね〜。今季アニメの感想や、ファンアートを載せているサイトの巡回って、これが結構楽しいのよ。

 玲明の生徒達(桜川を除く)や家族に見つかったら言い訳が大変ではあるけど、暇な時とかについつい見てしまうんだよね。

 今世でも順調にアニメやゲーム沼にハマっていっている自覚があるだけに、どこかで一区切りつけないといけないかもしれないなあ。

 そんな危機感を抱きつつあった時のこと。


「副委員長」

「えっ!?」


 不意に話しかけられたので、俺は椅子から転げ落ちそうになるのを堪えつつ、慌てて携帯を閉じた。


「そんなに慌ててどうしたのです。貴方にお客様ですわよ」


 声の主である委員長は、訝しげな視線で俺の携帯を見ながらも、教室の入り口の方を顎で示した。


「あれ、希空さん?」


 そこにいたのは、その性格と男女問わない人気ぶりから、最近はついに聖女と呼ばれ始めた希空だった。

 彼女の後ろには、何人もの取り巻きが立っているのが見える。

 なるほど。

 大方、俺のことを廊下で待っていたから、こんなにざわめき立っていたのか。

 え、何で?

 俺は少し身構えつつも、委員長へ礼を言ってから席を立ち、急ぎ足で入口へ向かう。


「どうしたの、希空さん」

「申し訳ありません、咲也様。今日はサロンには行かれますか?」

「うん、そのつもりだけど、何かあった?」

「いえ、実は……サロンへ行く前に、少しお時間をいただきたいのです」


 どよっと取り巻きのざわめきが強くなった気がする。けど、別に浮ついた話ではないし、いちいち訂正する話でもない。

 無視だ、無視。

 それよりも。

 あらたまってどうしたのだろう。

 こんなに神妙な面持ちの彼女を見るのは、いつだったか、サロンで彼女に悩みがあるのかを聞いた時以来だから、心配だ。

 まさか、ここにきて死亡フラグ復活とかやめてね。せっかく、死亡回避とか本来の目的を忘れかけてきていたところだったんだからさ……。


 希空の希望もあり、俺達は中央棟の特別教室までやってきた。もちろん、彼女の取り巻き達には遠慮してもらった。

 話の内容次第では、あの狂信者達に何されるか分からないからね。

 それにしても、ここも定番の場所みたいになってきたな。通年で放課後借りちゃうか、あるいは何か部活動でも作って部室として押さえてしまおうか。

 戯言だけど。

 さて。鍵を開けて、扉を開ける。

 そして部屋に入るや、まず希空は深々と頭を下げた。


「あらためて、突然申し訳ありません」

「いやいや、そんな謝らないでよ」


 いつになく恐縮している彼女を、気にしないよう言って座らせると、俺は電気ポットに水を入れて電源を繋ぐ。

 話が長くなりそうなら、お茶を淹れられるようにしておかないとね。気配りが出来る男はモテるって、義弥先生が言ってた。

 冗談はさておき。

 気になることが一つ。


「……あのさ、なぜ光ってるの?」


 教室へ入るや否や、彼女は「光」の能力を使って、室内を淡い光で包み込みだしたのだ。どうしたの? おかげで、さっきから目がチカチカするんですけど。

 部屋の照明ならちゃんと点いているし、そもそも日中なんだから周りが見えづらいってこともないんだけど。

 というか、そんな器用なことまで出来るんですね。姉妹揃ってすごいな。


「……気になさらないでください」


 なぜ目を逸らすの?

 いや気になるよ。

 しかし、理由を教えてくれる気はなさそうで、逆に聞くのが怖くなってきたため、本題へ戻ることにした。


「それで、どうしたの?」


 単刀直入に聞く。

 すると、彼女は言いづらそうに顔を歪めた。


「とても、話しづらいことなのですが……」

「うん」

「あの……」


 珍しく、何かを躊躇っているようで歯切れが悪い。

 どうしたのだろう。

 心当たりがあるとすれば、一つ。

 

「何年か前にサロンで言ってた、悩みと関係あったりする?」

「……!」


 先を促すように言うと、彼女はハッと顔を上げてこちらを見た。


「分かるよ。あの時の希空さんのこと、結構心配してたんだから」


 今、あの時と同じ表情してるからね。

 そう伝えると、彼女は顔を伏せて、「ありがとうございます。気にかけていただいて」と呟いた。


「今度は、教えてくれる?」

「……はい」


 頷き、彼女は面を上げた。


「実は……家族含め、誰にも言えずに悩んでいたことがあるんです」

「うん」

「それが、私の趣味のことでして」

「うん……うん?」


 趣味。

 希空には失礼な話、もう少し重いテーマかと思っていた。

 とはいえ、雨林院家も名門だ。会長は娘を甘やかしまくってるけど、夫人は結構厳しそうだし、家族にも言えないことくらいあるのだろう。

 希空の趣味か。気になるな。

 スイーツ巡り? デカ盛り店巡り?

 意外にも作る側とか?

 見当がつかない。

 思い返せば、彼女とはそれなりに長い付き合いになるけど、あまり自分の話をしているところを見たことがない。

 クラスでの姿は知らないが、生徒会の中では聞き役に回る方が多かった気がする。

 そんな彼女が、家族にも、真冬にすら言えずにいる趣味か。今更だけど、俺が聞いていいのかしら。

 あまり特殊な趣味だったら、受け止めきれる自信がない。けれど、ここまできたらもう腹を括るしかない。

 俺は続きを促す。


「……実は」

「うん」


 希空はそこで一旦言葉を区切る。

 そして、深呼吸を一度挟み、意を決したような表情で言い放った。


「——私、アニメとかゲームが大の好物でして。一度咲也様とそのことで話してみたかったのです!」

「……うん?」


 聞き間違いかな?

 アニメやゲーム? いや、そんな名前の食べ物は聞いたことがないけど。


「えっと、希空さんや。今、アニメとかゲームが好きとおっしゃった?」

「ええ!」

「それって、テレビで見たり、ゲーム機を使ってやる、あの……?」

「その通りです!」


 聞き間違いではなかった。

 すると、おずおずと希空が尋ねてくる。


「……あの、咲也様もそういうの、お好きですよね?」

「えっ!?」


 なぜ?

 学校では公言していないはず……。


「携帯の待ち受け、『鬼の笑う頃に』のヒロインにしていましたよね。失礼ながらこの前たまたま見えてしまいまして」


 たしかに一時期、ヒロインの可愛さに惹かれて待ち受けにしていたことはある。しかし、さすがに見られた時のリスクを考えて今はデフォルトの画面に戻したのだ。

 誰にも見られていないと思っていたのに……。

 いや、まだ誤魔化せる。


「い、いや、あれは義弥に勝手に変えられて……」

「ふうん? では咲也様はそういったものにはご興味がないと、そう言うおつもりなのですか?」

「それはもう……」

「『嘘だ』」


 否定しようとする俺に被せるように、彼女は言った。


「ファミレスで仰ってましたよね。私、そこで疑惑が確信に変わったんです」

「う……」

「あの名台詞、何気ない会話の中で使いたくなるお気持ち、分かりますよ」

「ぐぐ……いや……」


 迂闊だった。

 まさか、そこでバレるなんて。いや、そんなの予想出来っこないって。


「ほ、ほら、今は待ち受けは普通のやつだし? 義弥には困ってしまうね——」


 苦し紛れに携帯を開いて、待ち受け画面を彼女に向けて見せる。

 すると、


「あら、このサイト、旬の作品を斬新な視点から考察していて面白いですよね。私もよく拝見していますよ」


 希空は目を輝かせる。


「あれ?!」


 何を言って……?

 彼女へ向けた携帯の画面を、自分の方へ恐る恐る戻してみると——ぎゃああ!

 ディスプレイには、さっき見てたアニメの考察サイトが表示されたままになっているじゃないか!

 そういえば、教室で慌てて閉じてから、そのままだったかも……。


「やはり、私の思った通り。咲也様はきっと同志だと思っていました。立場上、こういったものが好きとは言えなくて……でも、ずっと、対等な立場で趣味について話し合える方を探していたんです」


 両手を合わせて、希空は微笑む。


「う……」


 学年一の才女で聖女と名高い彼女が、まさかのアニゲーオタクだったとは……。


「もう、誤魔化せません。咲也様もお好きなんですよね?」

「うう……」

「ね?」


 後光が眩しい……。

 もはやこれ以上の言い訳は出来ず、俺は「イグザクトリィ……」と項垂れるのだった。

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