第95話
あの日から、週に一度、特別教室を借りて綾小路君と雑談する会を開催している。
とはいえ、まだ二回目だし、雑談というより彼のお悩み相談みたいな感じだけど。
「僕って、クラスでも浮いているような気がするんです。生徒会では浮いてたりしないですよね?」
「浮いていると思ったことはないけど……」
こうして、二人きりでじっくり話す機会があまりなかったから気づかなかったけど、綾小路君は意外と年相応だ。
一見すると大人びているから、周りと一歩引いた位置にいる子なのかと思っていたのだけど。それは、思っていることを内に溜め込みやすい性格だからのようだ。
当然、初等部の他の子のように、周りからどう思われているか不安になったりすることもあるし、恋愛に興味を持つこともあるみたいで、話を聞いていると微笑ましくなる。
さっきも、「先輩はギャルがお好きと聞きましたが、どういうところが良いんですか?」って聞かれたもん。
いや好きじゃないから。
快活で開放的な感じが良いんじゃないかな、知らんけど。
こほん。
サロンで顔を合わせることも多いから、勝手に彼を理解した気になっていたけど、そんなことは全くなかった。
こうして、いつもと違う一面を垣間見ることが出来たおかげで、自分の視野の狭さに気付くことが出来た。
「綾小路君はギャルに興味あるの?」
「いえ全く微塵も?」
前言撤回。
この子分かりやすい面もあるわ。
ちなみに、今後綾小路君が習い事等でうまく時間を合わせることが出来ない時は、メールでやり取りをすることに決めた。
「……」
一方で、肝心の陰口については進展がない。
依然として、陰口は無くなってはいないみたいなのだ。誰が、そしてどの程度の子達が話しているのかが全く掴めないので、対策らしい対策も打ててはいない。
どうしたものか。
綾小路君が能力を持っていないことが純然たる事実であるが故に、噂の否定をすることは出来ない。
正解はないけど、今は最善を目指して頑張るしかない。
「興味はないんですけど、ああいう人達って、本当に渋谷とかにいるものなんでしょうか。いえ、本当何となくですけど」
幸いなのは、ギャルの話をする綾小路君が生き生きとしていたことだろうか。
君も結構いける口なんだね……。
中等部に上がったら、渋谷に連れて行ってあげよう。
そんな綾小路君との雑談会の翌日。
放課後、俺は晴れて庶民ツアーを敢行するために駅へ来ていた。
「これが駅ですのね」
「車では何度も通ったことがあるけど、こうして直接来るのは初めてだね」
亜梨沙と義弥を引き連れて。
双子はしげしげと駅舎や構内を覗き込んでいる。
先日、亜梨沙と約束をした手前、何もしないわけにもいかず、早急に予定を調整したのだ。もし約束を破りでもしようものなら、身体の一部とか凍らされそうな雰囲気だったし。
さて、駅に来た理由だが、当然ながら電車で目的地まで移動するためだ。なのに、なぜか玲明生がそれをやることは、至極おかしいことのように見えてしまうから不思議だ。
家の車で移動出来れば楽だったのだけど、これから行くところって、学校や家族に知られたら怒られそうだからなあ。
目立つような真似は控えるための策だ。
そうなると、家に嘘をつかせてしまうことになるため、銀水兄妹にも事前にどうするかは相談していた。
「電車で行こう」
「電車で行きましょう」
開口一番これだった。
二人とも、電車に乗るのはこれが初めてだからなんだろうけど、それでいいのかしら。
かく言う俺も、今世で電車に乗るのは今日が初めてだ。
母さんには、朝のうちに「駅前のデパートで寄り道して帰るから迎えの車はいらない」と伝えておいた。
退路は完全に塞いできたのだ。
つまり、これで万が一、電車に乗れなかったら、俺は家に帰れなくなります。
冗談はさておき。
そうそう、今はいないけど、今日は希空も参加する予定となっている。前回のホットケーキの時に成り行きとはいえ、この会に加わったこともあり、何も言わないのも薄情かと思って声をかけたのだ。
すると、二つ返事で「行きます」ときたが、どうやら少し寄るところがあるらしく、目的地の最寄駅で合流する段取りとなった。
さて。
駅に着いたので、あれを買いましょう。
「まずは切符を買おう」
「どうやって買うのです?」
「簡単だよ。あの機械にお金を入れて、行き先に対応した運賃のボタンを押すんだ。見てて」
俺は券売機の前へ進み、頭上に掲示された運賃表を確認する。
今日の目的地は、都心から川を渡り、神奈川に入ってすぐの繁華街だ。
学園の最寄駅からは三十分程かかるか、かからないくらいだろうか。
都外まで出ないといけないのは大変だけど、念には念をということもあるからね。
今日行く場所にいるところを学園の関係者に見つかったら、普通に問題になりそうだもの。こそこそ人目を忍んで行くしかないのだ。
話が逸れたね。
切符だ。
幸いにも、券売機とかの仕組みはこれまで俺がいた世界と変わりなかったので、俺は機械を操作し、目的地までの切符を購入した。
「手慣れていますわね……?」
「咲也は電車に乗ったことがあるの?」
双子が不思議そうに尋ねてくるので、
「初めてだけど、予習したからな」
勤勉さをアピールしておいた。本当は元庶民だから普通に知ってるんだけどさ。
すると、珍しく亜梨沙が感心している。
「殊勝な心がけですわね。少し見直しましたわ」
「そうでしょう。じゃあ、次は亜梨沙さんも買ってみようか」
「ええ!」
亜梨沙を手招きして呼ぶ。
券売機の上の路線図に顔を向け、まずはこれでいくらの切符を買えば良いのか探すのだと教えてあげる。
「あ、あそこですわね!」
すぐに目的地が見つかったようだ。嬉しそうに指差している。微笑ましい。普段からこうなら、学校でも怖がられることはないだろうに。
まあ、野暮な話か。
次は、券売機へお金を入れて、その目的地までの運賃に対応したボタンを押すのだと教えてあげると、
「興味深いですわね……」
しげしげと眺めながら、機械をぽちぽちと適当に押し始めた。
ちょ、好奇心が溢れ出てるよ!
あーあ、英語音声になってしまったじゃないか。何言ってるのか分からんよ。
「遊ぶのは程々にな」
人目もあるしストップをかけると、彼女はハッと券売機から視線を外した。
「私としたことが、はしたなかったですわね」
取り消しボタンを押して日本語案内に戻してあげると、彼女は「ありがとうございます」とお礼を述べてからお金を入れて、無事に目的地までの切符を購入した。
「次は義弥だぞ」
「僕は大丈夫」
「へ?」
無賃乗車宣言か?
すると、義弥は、ポケットから何やらカードを取り出して見せる。
「それは!」
交通系ICカードじゃないか!
初めて乗るって言ってた癖に、何で持ってるんだ。
「予習していたのは、咲也だけじゃなかったってことさ」
心の内を読んだかのように言うと、彼はにこりと笑った。
いきなりICカードはハードルが高いし、やっぱり最初はスタンダードに切符かなと思って、今回は切符にしたのに。
何だか負けた気分……。
おまけに、もう一つ。
「アイシーカード、とは何です?」
亜梨沙が興味を持ってしまいました。
「それは……」
「これがあるとね、わざわざ切符を買わなくても改札でタッチするだけで駅に入れるんだってさ」
「まあ!」
言い淀んでいる俺に代わって義弥が説明すると、案の定、目を輝かせて彼の持つカードを眺めている。
「義弥だけずるいです! 私もこのアイシーカードとやらが欲しいですわ!」
やっぱりね。
「ははは、亜梨沙には少し難しいかもねえ」
「何ですって!」
煽るな! 話がややこしくなるだろ!
義弥を諌め、亜梨沙には電車の時間も迫っているから帰りに買おうと提案する。
「分かりましたわ……」
危ねえ。何とかなった。
落ち込む彼女を見ると、罪悪感が胸を掠めるけど、仕方ないんだよ。実は、俺もICカードを買ったことはないんだもの。
前世でも、切符でしか電車に乗ったことがなかったからね。病院のテレビで、その存在を知った時は、子供心にすごいなあと思ったものだから、憧れる気持ちも分かるけどね。
だから、亜梨沙を見ていると、俺も欲しくなってきちゃうじゃないか。
駄目だとは思いつつ、財布に入れっぱなしにしとけば見つからないだろうし、やっぱり俺も帰り一緒に買っちゃおうかな……。
「咲也も買ったら?」
「……誘惑には負けない」
初志貫徹です。
というわけで、義弥を除く俺達二人は、後ろ髪を引かれたような気持ちで券売機を見つめながら、駅に入ったのだった。
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