第94話
放課後、中央棟の廊下を歩いていた時のことだった。
「げ」
風紀委員会の腕章を付けた生徒達が前からやってきたので、思わず小声で呟く。
目を逸らしてしまうと、やましいことでもあるのかと疑われると思った俺は、あえて上を向きながら彼らとすれ違うことにした。
ふう。何事もなく通り過ぎた。
楓先輩のこともあって、風紀委員会には敵視されているんじゃないかと内心ビクビクしている俺です。
杞憂だったみたいだけど。
というか、あっちは俺の顔を見た途端、顔色を変えたと思ったら俯いて早歩きになったからね。
やましいことでもあるのか!
俺を何だと思っているんだ。
失礼しちゃうわ。
眉間に皺を寄せながら、そのまま歩いていくと、階段の踊り場に見知った顔が立っているのを見つけた。
「あれ。綾小路君、こんにちは」
久しぶりに会ったような感じがする。
彼とはたった一年しか学年が違わないのに、普段いる校舎が変わると一気に会う機会が減ってしまった気がする。
それは真冬にも言えることだけど、何せ彼女からは、ほぼ毎日のようにメールが来るので、そこまで久しぶり感はないんだよね。姉の希空にくっついて、サロンでも俺達が座るテーブルにやってくることが多いし。
だから、彼に会うのは結構久しぶりだ。
「あ、明前先輩……」
しかし、踊り場に佇む彼は、いつものようなミステリアスな雰囲気はなく、どこか影が差しているようだった。
「……綾小路君、何かあったの?」
誰が見ても元気がなさそうだ。
「い、いえ、まあ、少し……」
俺の問いかけに、綾小路君は歯切れの悪い答え方をする。
「何かあったんだね? 誰にも言わないから、もし良ければ教えてくれない?」
「……いえ、でも」
あくまで優しく、諭すように伝えてみるが、中々口を開こうとしてくれない。
まるで。
何かを隠しているかのような。
「一人で悩んじゃダメだよ。解決出来るか約束は出来ないけどさ、話すだけで気持ちが楽になることもあるから」
だから話してくれないかな。
可愛い生徒会の後輩だもの。それに、このままにしておくのは、経験則上、危険な気がした。
そんな俺の気持ちが伝わったのか。
「……分かり、ました」
綾小路君がおもむろに首を縦に振った。
誰にも言わないでくださいね、と続ける彼に対して首肯しながら、どこか座って話の出来るところへ移動した方がいいと判断した俺は、中央棟の一つ上の階にある特別教室へ行くことを提案したのだった。
特別教室は、授業で使われることが殆どなので、放課後になると当然ながら誰もいない。わざわざ、この辺を通る生徒もいないので、内緒話をするのには適している。
だからこそ、カップル共が放課後に待ち合わせをしたりするのに使っている忌むべき場所でもあるのだ。
先生もそれを知っているから、割とこの辺の見回りは多く、見つかると追い出されてしまう。
中にいるのが生徒会メンバーの時は、余程のことがなければ素通りされるらしいけどね。特権を振りかざしているようで嫌だから、俺はきちんと事前に許可を取ってから使うようにしている。
今回は緊急事態だから、許してください。後でちゃんとお願い(事後報告)しに行きますから。
さて。
まずは、終始俯きながら後をついてきた綾小路君を椅子に座らせる。そして、俺もその斜め向かいに腰掛けた。
そういえば。
「綾小路君、この後は予定ある?」
「え?」
有無を言わさずに連れてきてしまったけど、放課後に習い事とかの予定があったら迷惑がかかってしまう。
そう思い至ったので尋ねてみると、綾小路君は一瞬ポカンとしたけど、すぐに元の表情に戻り、
「ないですけど……」
おずおずとそう答えた。
突拍子のない質問だったかな。でも、予定がないと聞いて安心。
これで本題に入れる。
「そしたら、一体何があったのか、ゆっくりで良いから、教えてもらえるかな?」
やっぱり、彼の様子はいつもと比べて明らかに違う。
社交性の塊でありながら、どこかミステリアスな雰囲気をまとっていた彼が、こうも弱っている姿は初めて見た。
そんな姿を見て、放っておくことなんて出来ない。
「……」
しかし、彼の口は重かった。話していいものか、逡巡しているように見える。
そこで、一つの疑惑が俺の中で生まれた。
嫌な予想。
出来れば、それは外れていてほしい。
「もしかしてだけど、風紀委員会が絡んでたりする?」
「っ!」
けれど、途端にガバッと顔を上げた綾小路君が、俺を凝視する。
まるで、なぜそれを? と言わんばかりの表情だった。
当たりか。
こういう時の勘に限って当たるのだ。
と、心の中で溜息をつきながら、俺は彼の言葉の続きを待った。
「……先輩にはお見通しなんですね」
すると、彼はどこか諦めたような口調で、事情を話してくれた。
内容は、予想通りだった。
「無能力者差別」だ。
玲明学園は、一部の特待生を除いて、一定水準以上の家柄の子達だけが通うことの出来る場所だ。そして、その大半が能力者でもある。
当然ながら、お金持ちの子息令嬢で能力を持たない子達はいるけど、その数は決して多くない。
だから、差別やいじめのキッカケになりやすいのだ。
この世界では、学校のヒエラルキーを形作る要素として、家柄や運動神経等の他、「能力」もその一つなのだ。
これでも、他の学校に比べれば、玲明のそれはまだ生優しい方なのが悲しいところだ。
その能力が希少であったり、強力なものであったならば、周りから一目置かれることになるが、逆も然り。
優秀な能力を持つことが入会の条件の一つとなっている風紀委員会の生徒が、能力持ちの一般生徒を馬鹿にする、なんて光景もあるらしいから、その根深さがよく分かる。
能力なんて、俺から見れば神様から運良くもらった「ギフト」のようなものだ。
他人を羨むことはあるけどさ、馬鹿にするなんてのは烏滸がましいと思わんかね。
なんて思うのだけど、現実は厳しい。
無能力者は、学校という場において、ヒエラルキーの最下層に位置している。
「直接、何かを言われたことはなかったんです」
それは生徒会だからだろう。
綾小路家は、グループ会社を合わせて三桁をゆうに超える大企業だ。玲明の中には、それこそ取引相手の子なんて掃いて捨てるほどいる。
表立って喧嘩を売るようなことは、普通は誰もやらない。特に、彼は一家の末っ子で、遅くに出来た子だから、親の寵愛を大きく受けているというのは有名だ。
だから、コソコソと陰口を叩かれていたということなのだろう。
不甲斐ない話だけど、知らなかった。
学年が違うのもあったのだろうけど、何かあれば同い年の真冬を通じて情報が入ってきそうなものだ。
それがないということは、加害者はよほどうまく立ち回っていたのだろうか。
「誰が、とかも分からないんです。でも、たまたま聴こえてしまいまして。明らかに僕のことだと分かる内容の、その、揶揄する内容というか……」
一度、それを聞いてしまったら、身近な誰かも内心ではそう思っているのではないかと、疑心暗鬼になってしまった。
綾小路君はそう続けた。
そんな中、ついに陰口を言われている場面に直接鉢合わせてしまったと。
先程すれ違った風紀委員達だ。
綾小路君の口ぶりからして、直接悪口を言われたというよりは、自分が生徒会なのに無能力であると揶揄する内容の会話をたまたま耳にしてしまったということらしい。
俺の顔を見た途端に足速に去っていった理由が分かったよ。
「辛かったね。話してくれてありがとう。それで、綾小路君はどうしたい?」
次は、彼がこの状況をどうしたいのか、である。
俺が動くにしても、本人の許可なしに話を進めることは出来ないからね。
「大事にはしたくないんです」
予想はしていたよ。
今回のことが明るみにでた場合、被害者が生徒会選別メンバーである以上、学園側は本腰を入れて調査・対応をしていくことになるはずだ。
おまけに、加害者側に風紀委員会が関わっている案件というのが、非常にバツが悪い。生徒会メンバーが知ったら、厳正な処分を求めてデモとかやりかねないよ。
必然的に大事になるだろう。
そこまでは望まないという意味だろうね。
でもさ、
「でも、綾小路君……」
「先輩のお気持ちはありがたいのですが、これで生徒会と風紀委員会が本格的にピリピリしてしまうのは、嫌なんです」
彼は、生徒会では珍しく風紀委員会への対抗意識や差別感情を持たない子だったからね。今思うと、自分がそれで嫌な思いをしてきたからこそ、フラットに考えようとしているのかもしれない。
年不相応な考え方だ。
良い家柄に生まれながら、生まれつき能力に恵まれなかったという環境下でうまく過ごすために、彼が自然と身につけたものなのだろうか。
「何より、大事になったら、僕が無能力であることが学校中に広まってしまうので……」
と、綾小路君は顔を伏せた。
彼は、生徒会内では「無能力者」であることを公言しているので、俺もそのことを知っているわけだけど、一般生徒にはあまり積極的にはこのことを話していないらしい。
生徒会は、身内には甘いし、能力よりは家柄で人を見る傾向が強いから、無能力だとしても、気にする人はあまりいない。むしろ、能力を持たないのに生徒会入りした珍しさから、自身の庇護下に置こうとしてくれる人の方が多いはずだ。
だから、話しておいた方が都合が良いと判断したのだろう。
陰口を叩いているのは、どこから聞きつけたのか、そのことを偶然知った風紀委員や一般生徒のようだからね。
面白おかしく囃し立てようとした者にとって、『生徒会では公然の事実である』という点が抑止力の一つとして働いたのは間違いない。
「もし生徒会以外にも広まったらと思うと、やっぱり怖いんです」
だから、そう思うのは当然だ。
もし、生徒会と風紀委員会が本格的に対立し始めたら、皆がまず気になって調べるのは「事の発端」だ。綾小路君の能力についても広まるのは時間の問題になる。
生徒会メンバーとはいえ、能力が無いことが分かれば、周りからの視線は一変するはず。
それは辛いよなあ。
「…………」
でも、このままにしていい話ではない。
綾小路君の意見を無視せず、俺でも出来ること。
「……分かった、綾小路君」
「え?」
「君の意見を尊重して、俺から今回のことを生徒会に言うのはやめる」
「ありがとうございます……」
「そのかわり」
俺が言うと、綾小路君は顔を上げた。彼の目を見ながら、続きを話す。
「毎週、どこかで話をする時間を作ろうか」
「話、ですか?」
「うん。ちなみに、このことを知っているのは——」
「僕と明前先輩だけです」
やや食い気味な回答に、俺は頷いた。何となくそうだろうと思ってはいた。
「その、話をするっていうのは一体……」
別に深く考える必要はないよ。
話をする場とはいったものの、いつもサロンで話しているような内容でもいいのだし。
ただ、いざ辛いなと思った時って、誰かに「時間作って」とは言いづらいと思ってさ。事情を知っている俺は、同じ生徒会とはいえ先輩だし、校舎も違うしね。
「明前先輩のご負担になりませんか?」
「大丈夫。負担になるなら提案しないよ。幸い、中等部は暇なんだよ」
生徒会では『役職なし』だったからね。
気にしないで、と申し訳なさそうにする綾小路君を説得する。
今の俺に出来ることと言えば、定期的に話す場を作ってガス抜きをすることくらいだろうから。
彼が、大事にすることを望まないなら、こうして関わりだけは絶たないようにしておくことが重要かなと思ったのだ。
「俺は、能力の有る無しで人を見てはいないつもりだし、秘密は守る。それに、自分で言うのもなんだけど、生徒会の中では話しやすい方だと思うんだ」
能力を持つ俺が言っても説得力はないかもしれないけど、能力の有る無しで人を見ていないのは本心だ。
どうせ普段は、使うことなんてあまりないものなのだ。能力を使って喧嘩でもしようものなら、良くて停学ってレベルで厳しいし。
そもそも、俺は、能力なんてない世界から来ているわけだしね。
それに。
「……『持たない者』の気持ち、俺にも少し分かるからさ」
前世での俺は、『持たない者』だったから。身体が健康な子達が、羨ましくてたまらなかった時期もある。
もちろん、そんなことを今言えるはずもないんだけどさ。
いけない。
急にこんな分かった風な口聞いたら、人によっては不快にさせてしまうかもと、謝る準備をしていたら、
「……」
不思議そうに目を見開いていた。
そして、一瞬間を置いてから、彼は「分かりました。お気遣いありがとうございます。是非、お願いします」と頭を下げたのだった。
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