第93話
俺は今、サロンで友人という名の捕食者達に囲まれながら、顔を俯けて自らの太ももとにらめっこをしていた。
一緒の卓には、真冬と亜梨沙と義弥が座っている。ちなみに、希空は、残念ながら習い事で不在でした。
この卓上に、厳冬のように冷たく刺すような空気に満ちているのは、太陽のように明るさを振りまく希空がいないからなのだろうか、
恐る恐る顔を上げてみる。
皆の表情は、三者三様だった。
怒りを湛えた顔。
面白そうに顔を歪めた顔。
そして、一切の無表情である。
一番怖いのは、もちろん無表情ですよ。名前の通り霧氷のような空気を纏ったそのお方は、隣にちょこんと座りこみ、俺の瞳を覗き込んでいた。嘘などついてもすぐに分かるんだぞと言わんばかりの見透かすような視線だった。
どうしてこんなことに。
俺はただ野鳥談義に花を咲かせていただけなのに。
「咲也さん、一体どういうことですの?」
重苦しい空気の中、亜梨沙が口を開いた。
何を言われるのだろうか。
怖いなあ、と思っていたら、
「義弥の許嫁といえ、外部生に鼻の下を伸ばすなど、みっともないですわ!」
「そっち!?」
怒っていたのはそういう理由なの?
外部生ってだけでそこまで怒る?
というか、冤罪だよ。
俺は、鼻の下など伸ばしていないのだから。
当然、共通の趣味の話が出来る楽しさはあったけどね。
普段あまり使っていない表情筋をふんだんに使ってぎこちない笑顔を作ったり、距離感をうまく掴めずに早口でまくしたてたりしていたかもしれないけど。
「鼻の下なんて伸ばしてないよ」
誓って言おうではないですか。
さすがに親友の許嫁を性的な目で見れるわけないじゃない!
「いいえ嘘おっしゃい! ものすごいニヤけ面でしたわよ!」
「ええ!?」
ものすごいって。
そんなに変な顔だったの?
ちょっとショック。
今度からもっと笑顔の練習しようかな……。
「彼女は俺と同じ趣味を持つ同士だったから、テンション上がっちゃっただけだよ」
「それしきのことで、あんな変な顔出来るわけがありませんわ!」
「そこまで言う!?」
逆にどんな顔だったのか見てみたいよ。
まるで、見てきたかのような言い方に違和感を覚えながらも、大分心にダメージを負ってしまった。自分の胸に手を当てる。心の傷も治せたりするのかしら。
心なしか、気分が晴れてきたような……。
よし決めた。
自然な笑顔を作るため、自己啓発本を買おう。
そこで、面白そうに見守っていた義弥がようやく口を開いた。
見てないで助けてくれ。
「ちなみに、趣味ってのは何だったの?」
「野鳥観察」
答えつつも、許嫁なのに知らないのかと、俺は内心驚いていた。
まあ、色々あるのだろう。だって、俺だって皆には野鳥観察が趣味って言っていないし。表向きは読書を嗜むと言っているからね。
「渋いね……」
「初耳ですわよ……」
「私も知りませんでした」
案の定、俺の趣味を知って、三人は意外そうな顔をした。
亜梨沙は、なぜ教えてくれなかったのかと不満そうだが、仕方ないのだ。
野鳥観察とは、静かに一人で黙々と、がモットーだから。
皆に話すと、誰かと一緒に行くことになるかもしれないからね。複数人で行きたくないわけではないんだけど、野鳥を愛でる自分を見せたくなかったのかも。
「あの、咲也先輩のオススメの場所とか、あるんですか?」
真冬が興味を持ってくれたみたいなので、俺は北海道にある野鳥好きの聖地の素晴らしさについて語って聞かせてあげることにした。
「春国岱とかかな。あそこは素晴らしいよ」
まあ、偉そうに言う俺も、まだ一度しか行ったことはないんだけどさ。しかし、あの感動に勝る場所には未だ出会えていない。
「あとは明治神宮とかいいよ」
近場にある穴場も教えてあげた。あそこは運が良ければエナガちゃんが見られるからね。
「あ、原宿なら近いですし、是非行ってみたいです」
「良いじゃない。都心なのに境内は割と静かだからいいよ、あそこ」
「じゃあ、いつがいいですか?」
季節とか時間帯の話だろうか。まさか一緒になんて話ではないだろうし。
「いつでも大丈夫だよ」
野鳥観察は運だから。見られる時は見られるし、そうでない時はいつ行っても見られないんだよね。
彼等は気まぐれなのだ。
「良かった。では日程は後で調整しましょう?」
「え?」
「え?」
一瞬、目を見合わせて時が止まる。
まさか、本当に一緒にということだったの?
「その、初心者ですもの。もし良ければ咲也先輩が色々と教えてくださらないかと思いまして……嫌でしたか?」
「滅相もない!」
上目遣いは反則だよ、真冬さん。断れるわけないじゃないの。
まあ、同士が増えるのはいいことかもしれない。真冬なら、ワイワイ騒ぐタイプでもないし、一緒にいても嫌じゃないから、いいのかな……。
むしろ、こんなに興味を持ってもらえるなら、もっと早く言っていたらよかったまである。
「……いいんですか?」
「もちろん。一緒に明治神宮でエナガを観察しよう」
「ふふ。やりました。では、詳細はメールで決めましょう」
真冬は嬉しそうにはにかんでいる。
「……咲也さん、野鳥観察もいいですけど、忘れていないですわよね?」
対照的に、亜梨沙は面白くなさそうだった。
忘れていないって……庶民ツアーのことでしょう?
中等部になって、銀水家も俺と同じように放課後時間が作れるようになったのは聞いている。
だから、どこに行くのかは、ぼんやりと決めているよ。家に帰って、きちんと調べたらメールでも送っておこう。
ツアーのことは、あまりサロンの中でする話題ではないからね。
「何の話ですか?」
「中等部の授業の話だよ」
この中で唯一事情を知らない真冬が、首を傾げているが、適当に誤魔化しておく。
「真冬にはまだ早い話ですわ」
「むっ……」
亜梨沙が揶揄うように言うと、今度は真冬が面白くなさそうに顔を膨らませる。
なぜ煽るんですか、亜梨沙さん。
ここは昔から時々バチバチするね。
「野鳥観察かあ……そういえば、昔好きだと言っていたっけ……そっか……」
ふと、傍では義弥が何かを思い返すように呟いていた。
何だよ、ちゃんと委員長の趣味が野鳥観察だって知っているんじゃないか。
これを機に、お前も委員長から良いヤポ(野鳥スポットの略)を教えてもらえばいいと思うよ。
少し調子に乗って彼にそう助言してみると、「ああ……そうだね」と返事が返ってきた。
あれ?
義弥にしては素直だな。いつもの涼やかな微笑もなければ、遠回しな嫌味も飛んでこないなんて。
とはいえ、その後は特に変わった様子もなく、また四人での雑談に移り変わっていったので、これ以上は深く触れることもなく、その日の活動は終わった。
家に帰り、着替えてベッドに横になる。
今日の義弥、様子がどこかおかしかった。
許嫁である委員長のことだとは思うけど、あまり他人の事情を邪推するのもなあ。
俺に出来ることといえば、それとなく気にかけておくことくらいだろうか。せっかく義弥と委員長の二人と近しい位置にいることだしね。
なるべくなら、親友の力にはなってあげたい。
「ん?」
ふと、メールを知らせる着信音が鳴った。
真冬から、野鳥観察に行く日程の調整メールだ。早いな。
相手はまだ初等部生なわけだし、平日の放課後に連れ出すわけにはいかないから、土日になるのだろう。
というわけで、土日ならそちらの予定に合わせるよと返事をしておく。
あ、暇な奴だと思われたかな。
しかし、
「お、早いな」
すぐ返事が来た。
候補の日が送られてきたので、少しだけ時間を置いてから返信メールを打ち込む。
即返事って、まるで携帯に張っていたみたいに思われるじゃない。
スケジュール確認に時間をかける程、忙しいのだと思われたくて見栄を張ったわけでは、決してないんですよ。
「送信、と」
送信ボタンを押した後で、そういえばと俺は、今日のサロンで詰問されていた時の会話を思い返していた。
違和感があった。
彼女らは、ずっとサロンにいたはずなのに、まるで俺の委員会での行動を見てきたかのような言い方をしていたよね。
一体、どうして?
まさか、真冬の『闇』の能力とか?
いやいや。
そんなはずは……。
「……」
ベッドから飛び上がり、左右を見回す。
え、俺、監視されてないよね?
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