第92話

 通常授業が始まった。

 とはいっても、初回は先生の自己紹介や、一学期でどこまでやる予定なのかといった、事務連絡だけで終わってしまったので、今日も気がつけばもう放課後だ。


「それじゃアタシは部活見学に行くけど、咲也は……」

「俺は委員会があるから」


 そう、今日は一年のクラス委員の集まりがあるので、帰れないのだ。


「ああ、そうだったわね」


 納得したように頷くテラさん。

 そして、その奥には、こちらに目を光らせる委員長の姿が。


「……」


 逃げることは出来そうにないですね。

 いや逃げないけども。

 一度就任した以上は、責任持って最後までやるつもりだ。


「新学期早々大変ね。健闘を祈るわ」

「ありがとう。またね、テラさん」


 というわけで、テラさんと別れた俺は、大人しく集合場所へ向かうことにした。

 すると、


「副委員長。行きますわよ」

「あ、はい」


 教室を出ようとしたところで、委員長に声をかけられた。目的地も一緒だし、断る理由もない。素直に頷く。


「……この前は、大変失礼をしました」


 歩き始めて程なくして、彼女が言う。


「入学式のこと?」


 聞き返すと、黙って頷く。

 義弥のことで難癖をつけられた時のことだろう。


「冷静になりましたら、いきなりあのようなことを言うなんて、失礼極まりなかったですわね。本当に申し訳ありませんでした」


 不意に立ち止まった彼女は、あろうことか俺に頭を下げたのだった。

 ちょ、周りに人もいるしやめて!


「頭を上げて! 別に怒ってないから! 驚きはしたけど!」


 しかし、彼女は頭を上げてくれない。

 それどころか、


「慣れない東京での生活に、色々と不安を抱えていましたので、少し不安定になっていたようです。本当にごめんなさい」


 心底申し訳なさそうに謝られて、逆にこっちが恐縮しちゃうよ。


「本当にもう気にしてませんから!」


 何とか頭を上げてもらう。

 俺に声をかけたのは、謝るためだったのか。律儀な人だ。


「もう気にしていません。あの時は俺も少し揶揄う口調だったし、自分の許嫁のことを悪く言われたら、そら良い気分もしないしね。こちらこそ、勘違いさせてごめんなさい」


 なので、俺も頭を下げる。

 ここは喧嘩両成敗ということで一つ。

 すると、彼女は意外そうな顔をした。

 たしかに、あの時はいきなり突っ掛かられて驚いたけど、義弥——許嫁——のことを想って出た言葉なら、怒る気になんてなれないよ。

 あの義弥の許嫁だし、それにこうして謝ってくれるあたり、悪い人ではないのだろうしね。


「意外ですわね……いえ、失礼」

「はは、よく言われるから、気にしないで」

「義弥様からも伺いましたが、本当に変わっていらっしゃいますわね」

「それも、よく言われる」


 参ったなと言わんばかりに肩をすくめると、委員長はようやくクスリと笑った。

 そこまで変わっていると自分では思わないけど、何せ根が庶民だからね。

 いくら明前家でマナーの勉強なんかをしていても、つい前世の癖でやった行動が玲明では御法度だったりして(時にはやった後に)、ヒヤッとした経験は腐るほどある。


「……」


 あとは、彼女が「変わっている」と言った理由は、きっと他にもある。

 おそらくだけど、俺がきちんと委員会活動に参加する気なのが珍しく映ったのではないだろうか。

 義弥を知っている人なら、生徒会メンバーが皆、彼のように優雅で誰にでも優しい人なのだと思いを馳せるかもしれない。

 しかし、実際には「生徒会メンバー」というだけで、一般生徒の中には身震いが止まらなくなる子もいるのだ。

 そんなのが、委員会活動なんて、普通は絶対やらないに決まってる。というか、やらないのだ。だから、普通は生徒会メンバーを推薦することはないんだけどね。

 だから。

 もしかすると、委員長も、心の片隅ではサボるのではないかという気持ちを抱いていたのかもしれない。

 あくまで予想だから分からないけどさ。本当に謝るためだけだったのかもしれないし。

 まあ、それならそれで、あえて逆手に取って真面目に取り組むことで、「あれ? 明前って意外と良い人なんじゃない?」って思わせる作戦をとってみようじゃありませんか。

 不良が猫を拾う現象みたいな。

 ……戯言だけどね。

 逃げる気概も、度胸もないだけ。


「……先程からニヤニヤと、何か変なこと考えていませんこと?」

「いいえ?」


 失礼な。ニヤニヤなんてしてませんが?


「本当かしら……」


 それからは特に会話もなく、集合場所の特別教室まで廊下を歩いていく。

 中央棟の特別教室のあるエリアは、あまり人で賑わう場所ではないから、静かな廊下に上履きの足音だけが響く。

 正直いって、気まずさはあったよ。

 だって、背筋を伸ばし、凛然とした様子で歩く彼女と、傍でまるで丁稚のように後をついていく俺。

 へへ……。

 いや、対比がエグいよ。

 隣からは、カツカツとヒールの音が聞こえてきそうだった。上履きだから聞こえるはずもないのに、それくらい雰囲気がある。当然、廊下でパリコレでも始めたのかと思ったよ。

 一方、俺はなるべく足音を立てないように歩いていました。癖になってるんだよね。

 ふと。

 委員長の顔色を伺うと、心なしか、さっきよりも表情や雰囲気が柔らかくなった気がする。

 もしや、俺に謝罪を受け入れてもらえるかどうか、不安だったのかな。

 実直で、真面目な人なんだなあ。

 お互いに第一印象は良くはなかったけど、分からないものだ。

 まあ、そんなこと言ったら、転生直後にベランダで全裸でいるところを姉に見られた男だっているのだし?

 今となっては、姉さんも立派な弟ラブ勢(異説あり)なのだから、人の印象はいくらでも好転出来るのだ。

 それに、俺が委員長のことを嫌いになれなかったのにはもっと大きな理由がある。

 彼女を見つめる義弥の表情だ。

 あの時、委員長の後ろ姿を追う義弥の顔には、言葉にし難い感情が込められていたように思う。

 銀水義弥という男は、年不相応に分別を弁えた子供だけど、嫌なことがあればはっきりと言う奴だ。あの日のことが、俺に因縁をつけるためだけの行為だったならば、おそらく黙っていなかったと思う。

 だから、どうしても彼女は悪い人には見えなかった。


「……」


 気づけば、もう集合場所の教室は目前のところまでやってきていた。

 玲明って広いクセして、意外と歩くとすぐ目的地に着くんだよなあ。普段よく使う場所には、すぐに着けるような設計になっていたりするのかな?

 さて。

 俺は、ささっと素早く扉に近づき、窓から中の様子をそっと窺う。誰か知り合いはいないかしら、と。


「え、何をしていますの……」

「知り合いがいないか確認してるんですけど?」


 彼女が後ろで引いていたが、構わず俺は室内の様子を窺う。誰か知り合いは……。

 いなかった。

 残念……。俺は肩を落とした。


「えと、気は済みましたか? なら早く入りますわよ」


 彼女は、そう言って教室へと入ろうとする。落胆する俺の背中を押しながら。

 つまり、パーティの先頭は俺だった。

 お、押すなよ! 絶対に押すなよ!

 ちょっと本当に押さないで! まだ心の準備が出来てないから!

 俺は身を翻し、手のひらを上にして教室へ向けることで、お先にどうぞというポーズをとった。


「……何を遊んでいますの?」

「滅相もない。やはりここはレディファーストかなと」

「はあ、何でもいいですが、行きますわよ」

「へい!」


 元気よく返事をして、呆れたように先に入っていく彼女を俺は追う。

 その様は、さながら丁稚であったそうな……。


 教室の中は、しんと静まり返っていた。

 無理もない。

 入学生代表で生徒会と肩を並べるくらいの家柄を持つ委員長と、家来のようにノコノコと着いてきた本物の生徒会メンバー。

 怖いよね。

 俺だって怖いもん。

 幸い、クラスごとに座る場所は決まっているらしく、席札が置いてあったので、俺達は自分のクラスの席に並んで腰掛ける。


「…………」


 静かだ。

 多分俺達が来るまでは、それなりに賑わっていたみたいだけど、今はこちらをチラチラ窺うばかりで、誰も口を開こうとしない。

 いや、俺は気にしないから話しててよ。静寂の方が苦手なんだけどなあ。

 担当の先生が来る様子もないし、どうしたものか……。

 そういえば。

 委員長に聞いてみたいことがあったんだった。

 俺は、隣で腕と脚を組んで座っているお方に、恐れ多くも話しかけた。


「あの〜、委員長」

「何です?」

「委員長って、野鳥観察が趣味なんだよね?」


 たしか自己紹介で言ってたよね。

 彼女は頷く。


「ええ。そういえば昨日そんなことを言いましたわね。たしかに野鳥観察は好んで嗜んでいますわよ」

「俺も結構野鳥を見るのは結構好きでさ。関西でオススメの場所とかあるの?」

「あら、牛舎だけでなく野鳥も観察するんですのね。見た目によらず殊勝な趣味をお持ちですわ」


 牛舎のことは触れないで。

 そして見た目はほっといて。

 とはいえ、予想外に食いつきが良かったな。心なしか口角が上がっているし、もしかして、彼女は俺が思っているよりも野鳥が好きなのかもしれない。


「野鳥観察はいいですわよね。有名なスポットへ見に出かけることもありますが、普段歩いている道を、散歩やランニングを兼ねながら探すと、余計なことを考えずにいいのです」


 予想以上だわ。

 これ野鳥大好きだろ。

 委員長は、そのまま関西地方で有名なウォッチングスポットの良し悪しについて、ガイドかと思うくらい雄弁に語り出した。

 なので、俺もお返しに学校の中でよく小鳥達がやってくる場所を教えてあげた。

 まあ、ギャルゲ狂いの先客がよくいる、「あの池」なんですけど。

 あそこには、ハクセキレイちゃんとかエナガちゃんとかがやって来てくれることがあるのだ。おまけに、春先から夏にかけてなら、ツバメちゃんだって見られる。

 野鳥好きにとっての穴場であり、楽園なのだ。

 ちなみに、俺はよくそこで野鳥を愛でているのだけど、どうやら野鳥愛が漏れ出てしまっていたようで、「キング……さすがに鳥はやめておくことをおすすめしますよ」と桜川から心配されてしまったことがあります。

 その後も、委員長とは「野鳥は冬毛を蓄えた姿と、それ以外のシーズンとどちらの方が可愛いか」談義等で盛り上がり、結構仲良くなりました。やったね。

 彼女は、一見すると孤高で周りを寄せ付けない風だが、結構雑食というか、興味のあることは何でもやってみるタイプのようだ。

 ゲームも嗜むらしい。

 意外だ。

 野鳥ウォッチャーとナゾ解きゲーが好きな人で悪い人はいない。うん。

 惜しむらくは、ちょうど盛り上がっていたところで先生が入ってきたので、話を中断せざるを得なかったことだろう。

 本来の目的はそっちなんだけどね。

 さて、初回のクラス委員の活動となったわけだけど、今回は活動内容の説明と、顔合わせだけだったので、お互いに自己紹介をした後、年間スケジュールの確認を終えると、もうお開きになった。

 クラス委員の活動は、どうやら月に数回程度。クラスに周知するべき内容や、行事に関する内容の共有をして、HRの時にクラスへ伝達するというのが主な仕事だ。他にも、クラスごとに提出物を取りまとめる仕事もある。

 大方、予想していた通りなので、驚きはないかな。

 イベントの時期なんかはそれなりに大変そうだが、普段そんなに時間を取られるものでもない。

 良い経験になりそうだ。

 前向きな展望を抱きながら、俺は席を立った。

 この後は、生徒会に顔を出そうと思っていたので、野鳥談義を再開したそうにしていた委員長に謝り、その場を後にした。


「残念ですが、また話しましょう。では、ごきげんよう」

「うん、また明日」


 廊下に出て、伸びをしてから階段へ向かう。

 特別教室は、サロンと同じ中央棟にあるので、階段を登って行くことにした。

 それにしても。

 最初は心配だったけど、委員長と仲良くなれてよかった。クラス委員同士、これから話す機会も多くなるだろうからね。共通の趣味で盛り上がることができてよかった。

 玲明学園野鳥の会(非公式)が結成出来そうだ。


 ヒイヒイ言いながらも階段を登り切り、サロンの前までやってくると、ふと扉の前に誰かが立っているのが目に入った。

 あれは……。


「……咲也先輩」


 真冬だった。

 何だか目に光がないような気がするけど、見なかったことにしておこうかな。回れ右しようとしたけど、いつの間にか背後に回られていた。

 闇の能力強くない?

 まるでゲームのラスボスみたいだよ?


「真冬さん、久しぶりだね」


 何もなかったように声をかけた。

 メールでは毎日のように話しているから会っていると錯覚しそうになるけど、直接会うのは約一月ぶりだ。

 そう思うと、何だか懐かしい。

 相変わらず、開きたての薔薇のような美貌と、光をも吸い込みそうな黒い瞳に目を奪われてしまいそうになる。

 歳をとるにつれて、異次元のように綺麗になっていくような気がする。

 初等部生とは思えなくて、色々ヤバい。思春期の男子には刺激が強すぎるよ。

 つい見惚れていると、彼女は恥ずかしそうにふいと目を逸らした。

 しかし、再び目から光がフッと消える。

 そして、


「あの、先程お綺麗な方と随分親しげに話をされていましたけれど、どういったご関係でしょうか……?」


 ものすごく冷たい声色で尋ねてきた。

 あれ?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る