第88話
入学式が終わると、各教室へ戻り、ホームルームが行われる。
内容は、簡単な自己紹介と各委員決めだ。
自己紹介については、後日あらためて外部生のためにグループワーク等のレクリエーションを行う予定らしいので、ここでは簡単に名前と趣味を言うだけで十分らしい。
つまり、ここは本番のための布石というわけである。
「出席番号一番。左沢金時よ。趣味は、すぐ思いつかないけど、テニスは好きね。部活にも入るつもり。こんな話し方だけど、気軽にテラちゃんって話しかけてくれると嬉しいわ」
早速、出席番号一番のテラさんから自己紹介が始まった。
いの一番なのに、動じる様子もなく、流暢に話し終えた彼は、深々とお辞儀をしてから着席した。
ああいったオネエ口調のキャラって、ゲームでは強キャラであることが多いけど、まさにテラさんの態度からは、強者の余裕みたいなものを感じる。
続いて、彼の後ろの生徒が自己紹介をし、次はそのまた後ろの子というように、出席番号順に簡単な自己紹介が行われていく。
聞いていると、皆、趣味も特技も様々だ。中にはバードウォッチングが趣味という子もいて、俺は少しテンションが上がっていた。
野鳥観察って心を豊かにする趣味だと思うよ。
仲良くなれるかな。
この季節はメジロが可愛いよね。梅や桜の木に止まる彼らは、春らしさも感じられて趣深いものだけど、何より絵になる美しさを持っていると個人的には思う。
と。
「天童麗奈と申します。お茶とお琴、それから野鳥観察等を嗜みますわ」
現実に引き戻されるピンと張る声。
天童さんの順番がきたようだ。そして、意外なことに彼女もまた、野鳥観察がお好きらしい。
もしかして、彼女と仲良くなれるのでは? と思いました。
バードウォッチャーに悪い人はいない。これ真理だから。
「実は、都心には最近引っ越してきたばかりで、あまり土地勘がありませんの。不慣れなことも多いので、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、どうかよろしくお願い致します」
天童さんはそう言って、深々と綺麗なお辞儀をする。
こういう何気ない所作にこそ、育ちというものは現れるというけど、彼女を見ていると、その通りだなと思う。
そんな子が、義弥と許嫁で、何かありそうだというのだ。一体何があったというのだろうね。下衆の勘ぐりはしたくないけど、友人の事情だからすごく気になる〜。
おっと。
興味は引かれるけど、それは今は置いておかないと。
今、天童さん——つまり、「て」——が終わったところだから、大体クラスの半分が自己紹介を終えたところだ。俺の順番であるか「め」は、もうすぐだ。
今更、自己紹介で何を言おうか考える。
どうしようね。
こういうのって最初の流れが肝心なんだ。
ピシッと決めても、お高くまとまってるだとか、周りと一線引いているだとか思われてしまいそうだし、かといって俺みたいな奴が突然「誰でもフレンドリーに話しかけてちょうだい」なんて言ってみろ。すぐに先生から親へ「ついにおかしくなった」と報告が行くことだろう。
逆効果だ。
要は、砕けた感じはあまり出さずに、趣味や特技で親近感を覚える内容を話すことで、「あれ? 明前ってもしかして意外と普通の人?」となることを狙えば良いのだ。
……玲明に通うような子達から親近感を持たれるような普遍的趣味って何かしら?
お茶とか? ……いや、他の人と同じくらいの知識しかない。
音楽? これも一般教養レベルだ。
例えば、彼女をお手本にして野鳥観察と言ってみるか? 実際に好きで、旅行先では必ず川沿いを散歩しに行くから、家族から呆れられているし。
でも、天童さんから後で「私の真似しないでくださる?」とか言われたら癪だな。いや、単なる想像だから、言われるとは限らないけどさ。ただ、人の後追いは目立つことなく有象無象になってしまうこともあり、少し抵抗がある。
うーん、後はこの場で言えない趣味ばかりだし……やばい何も思いつかない。
これは、初っ端からつまづいたか。
「…………」
「あの、明前君?」
ふと、先生からそっと話しかけられた。
やばい、物思いに耽って全く話聞いてなかった。もう俺の番がやってきたのかな。
「次は君の番だけど、大丈夫ですか?」
やっぱりそうだった。
俺は「平気です。少しボーッとしていました、すみません」と答え、勢いよく立ち上がった。
思ったよりパッと立ち上がったため、前後左右の子達がピクリと震えた気がした。驚かせてすみませんね。
「明前咲也と言います。えっと、趣味は——」
どうしようか。
結局まとまらなかった。
「あー……」
必死に考えるが、その間にも皆の視線がどんどん一極化しているのを感じる。
くっ、恥ずかしくて顔が熱くなっていくのが分かる。
やばいやばい。
こうなれば、俺が興味のあることを趣味と言い張るしかない。何か聞かれても「まだ勉強し始めたばかりで……」で誤魔化そう。
そうだよ、興味のあることだって立派な趣味だよね。……そうだよね?
俺がいまやりたいこと。
あ、お腹が鳴った。
そうか!
「牛ど——」
「牛?」
「——いえ、そう! 牛(ぎゅう)どもを見に牧場へ行くことです!」
「そうか!」じゃないよ、俺。
いくらお腹ぺこぺこでも、食べたいものを言っちゃダメだ。それで初等部の時、失敗したじゃないか。
間一髪、ちょっと牧場好きな変人で留まったのではなかろうか。
……冷静に考えると、変なことを言ってるけどね。
牛どもって何よ。
どの目線からの言葉なの? これじゃ牛界の魔王だよ。おまけに、敵目線で変なこと言ってる割に、やってることはただの社会科見学だし。
教室は、突然の独裁者発言に戸惑いの声やらでざわつき始めている。
「見た目によらず、渋い趣味をお持ちですわね……」
ぼそっと天童さんが呟くのが聞こえた。すると、周りもうんうんと頷いている。
理解するのを諦めて、「渋い」の一言で片付けることにしたようだ。
いっそ笑って……。
結局、独裁者になったのは俺一人という地獄の自己紹介が終わると、続いて委員決めとなった。
案の定、人気のあるところはすぐに決まっていってしまった。
今、余っているのは、皆がやりたがらないクラス副委員長と美化委員だ。
ちなみに委員長でなく副が余っている理由は、天童さんが開幕早々に委員長へ立候補したからです。
あの人、天にも届きそうなくらいピシッと真っ直ぐに挙手していたよ。タクシーを呼ぶ時も、あんな感じで呼んでるのかしら。
なんて、どうでもいいことを考えながら、俺は静観を決め込んでいた。
別に、数分前の失態に悶え苦しんでいたというわけではなくて。
委員会は、クラス委員長と副委員長、体育祭、文化祭の実行委員、図書委員、美化委員、保健委員である。
何も、全員が入る必要はないのだ。
やりたい人がやればいい。実際、天童さんが委員長にすぐ立候補したし。他にも、体育祭や文化祭実行委員は、お祭り好きな子達が真っ先に手を挙げて、その席は埋まってしまったのだ。
とはいえ、さすがに全ての役職が立候補で埋まらなかったから、こうしてクラス副委員長と美化委員が残ったわけだけど。
このままだと、最終的にはくじ引きで決めるか、先生が指名することになるだろう。
くじは、運が悪かったと諦めるしかないけど、指名なら、生徒会メンバーの俺にお鉢が回ってくることはまずないからね。二分の一なら、そこまで分の悪い賭けじゃない。
というわけで、俺は様子を窺っているというわけだ。
皆も、理由はどうあれ立候補する様子はなく、教室の中はしんと静まり返ってしまった。
互いに様子を窺いあっている。何だかデスゲームものみたいな緊張感があるよ。
負けたらクラス副委員になるのだ。
いや、平和な。
俺も進んでやりたいわけではないから、こうして周りの子達と同じく静かにしているわけで、偉そうなことは全く言えないけどね。
美化委員もクラス副委員長も、結構放課後が拘束されるからなあ。
特に副委員長なんて、要するにクラスの雑用だから、プリントを集めて職員室へ持って行ったり、委員会活動があったり、行事の時には積極的に参加したり……結構やることが多いんだよね。
これに加えて生徒会役員としての仕事もあるとなれば、念願の放課後美食ライフを送る上で弊害になりかねない。
「ううん……誰も立候補はいませんか? なら、明前さん、どうですか?」
「ええ?!」
あれ?!
困った様子の先生が指名したのは、俺だった。
何で!?
「明前さんは、初等部でもよく先生の仕事を手伝ってくれたし、生徒会のメンバーでもありますから、まだ学校に慣れていない天童さんの補佐にピッタリだと思うのです。いかがでしょう……やってもらえませんか?」
「え……?」
こんなはずでは……。
たしかに、先生からの頼まれごとを断ったことはないけどさ。
初等部の頃、周りとうまく馴染めなかった俺が、副委員になっていいのだろうか。いざ推薦してもらうと、何だか認められている気がして嬉しいけどね。
けどさ、先生。
おそらく、これ本音は後半の「天童さんの補佐になってもらうこと」でしょう。
生徒会にも匹敵し得る諸々をお持ちの天童さんのことをコントロール出来そうなのが、現状クラスに俺しかいないから、白羽の矢が立ったのだろう。
気持ちは分かるけど、俺にその役割はちょっとばかし難しいですよ。
天童さんは、どことなく亜梨沙と同じ系統の人のような匂いがするんだもの。
「貴方が副委員ですか。一年間よろしくお願いしますわね」
とか考えていたら、天童さんに声をかけられた。
あれ、俺まだ何も返事してないんですけど?
先生も、黒板に俺の名前を書かないで?
目だけ動かして周りを見回す。
皆が、俺に期待の眼差しを向けていた。「やってくれるんですか?」みたいな。
おい、誰だ。いま「明前様が副委員長やってくれるなら俺、美化委員やる」って言った奴。
くそう。
……。
俺は腹を決めた。
「……はい喜んで」
既成事実というのは、こうして出来ていくのだね。また一つ大人になった気がする。
こうなったら、学園生活を楽しくするため、俺だってやる時は何だかんだやる子なんだということを見せつけてやろうじゃないですか!
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