第87話
場面は変わって、俺は講堂にいる。
舞台に向かって左手端には司会用の演台、中央には大きな演台がどっしりと置かれている。舞台右手には、来賓用の椅子がいくつか用意されている。一般的な式典によくある配置だ。
新入生は、クラスごとに並んで座り、入学式が始まるのを待っていた。
あの衝撃の事実発覚後、色々聞きたいこともたくさんあったのだけど、いかんせんタイミングが悪かった。
もう時間的にゆっくり話している暇がなかったのだ。
それを察した義弥は、
『隠していたわけではないんだ。詳しいことはまた時間を作って話すよ。……咲也には僕から聞きたいこともあるし、ね?』
とだけ言って、自分のクラスにさっさと戻っていってしまったので、追及する間もなく、何が何だかよく分からないままその場は散開した。
まあ、説明してくれるというなら、無理に引き留めることもないし。『聞きたいこと』ってのが怖いけど。
何だろうなあ。身に覚えがないなあ。
身に覚えがないといえば、義弥が「天童さんと会っている」と言っていたな。
あんな強烈な美人、会ったら忘れないと思うんだけど……もしかしてどこかのパーティーとかで会っているのかな。
やばい。会った人のこと忘れてたなんて、父さんに知られたら滅茶苦茶怒られそうだ。
遠い目で虚空を見つめる俺だったが、それでもちゃっかりテラさんとはアドレス交換をしてから自席に戻った。
そして、程なくして担任の先生がやってきて、入学式に参加するためにこの講堂まで移動してきたというわけだ。
「…………」
それにしても、義弥に許嫁がいたとは。
冷静に考えれば、いない方がおかしいんだけどね。アイツなら引く手数多だろうし。
つまり、何も浮いた話が来ない俺がおかしいのです。
くっ……。
「大丈夫ですか、明前様?」
悔しさが顔に滲み出てしまっていたのか、隣の男子生徒に心配されてしまった。
「へ!? ああ、大丈夫大丈夫」
「ですが……何かさっき、ものすごい顔をされていましたよ」
「…………」
どんだけよ。
俺の顔、そんなにひどかったの?
心配してくれる彼に、罪悪感を覚えつつも、気にしないでと伝えたところで、タイミングよく司会が舞台脇の演台まで歩いてきた。
式が始まる気配を感じたのか、他の生徒達も段々と波が引くように静かになっていき、やがてぴたりと声がなくなった。
いつも思うけど、こういう時、先生ってじっとこちらを見守っていることあるよね。ひょっとして、将来のために場の空気を読む訓練をさせてるんじゃないだろうかと思う。
多分、近からず遠からずじゃないかなあ。
「察し」の文化だし、空気を読めて損することはないもんね。
なんて、一人で考え事をしていたら、何だかお腹が空いてきた。
今日は入学式の後、軽くホームルームがあって終わりのはずだ。生徒会メンバーはサロンに集合することになっているから、お昼はそこで食べることになるかな。
母さんにも、昼ご飯はサロンで食べるかもしれないと伝えてある。
つまり、お昼はフリーということだ。
ならば、せっかく自由行動が解禁されたのだから、外に少し遅めの昼食をとりにいくのもありなのでは?
決めました。
牛丼屋に行きましょう。
ずっと食べたかったんだよ。待ち焦がれたファストフードを食べてみようじゃないか。
誤解のないように言っておくけれど、サロンや家で出てくる食事も、俺は大好きだ。母さんや家の料理人の作るご飯はとても美味しいし。
ただ、ファストフードへの強い憧れもあるのだ。その昔、前世で親に買ってもらって食べた牛丼の味が恋しい。
塩分と油がふんだんに使われて、ご飯の進むあの味。紅しょうがを添えて、時にはねぎや卵を乗せて……あ、いけない。涎が出てきた。
周りの子達は、きっと牛丼みたいな安物なんてと言うかもしれない。実際、言葉の端々で見下すようなことを言う子もいるからね。まあ、亜梨沙や義弥は物珍しそうに食べると思うけど。
でも、料理って全てが値段に直結するわけではないと思うのだ。
食に貴賎はないのです。
色々なものがあって、だからそれらを一度は食べてみたいと思うのだ。
前世で祖母が言っていたことを思い出す。
『食べた「物」は消化されてしまうけど、食べた「思い出」はずっと残るからね』って。
「続いて——新入生代表、天童麗奈」
マイクから放たれる大声によって、唐突に俺は現実へ引き戻された。
ちょうど、牛丼を食べに行く決意をしている間に、新入生挨拶の番がやってきたようだ。
一拍おいて、凛々しい声で返事をする声が聞こえてきた。
新入生の挨拶は、毎年入学試験で優秀な成績を修めた外部生が行うらしい。
玲明は、中等部と高等部のそれぞれに外部からの入学枠があるけど、入学するためには試験合格以外にも、有用な能力を持っているか、玲明に相応しい家柄であるか等の厳しい書類選考を通過しなければならない。
勿論、筆記試験もすごく難しいらしいけど。
つまり、あの子は厳しい入学試験をトップで突破する頭脳に加え、それに相応しい家柄と能力の持ち主でもあるということだ。
すごいなあ。こんな大勢の前で話すというのに、泰然自若としている。
これほどまでにすごい人だと、内部生でも太刀打ち出来る子は、希空や亜梨沙くらいしか思いつかない。
ふと、講堂に来る途中にテラさんから聞いたことを思い出した。
天童家のことだ。
彼女の実家は、西の方では名の知れた家系らしい。まさに家柄も生徒会メンバーに比肩するものだったのだ。
そう言われてみれば、確かにどこかのパーティーでお会いしたお偉方の中に、天童という苗字の方がいた。きっと、その人が天童さんの父親だったのだろう。
もっと言うと、あの会は、たしか銀水家が主催するものだった気がする。
義弥が、俺も会ったことがあると言ったのはこのためか。直接、挨拶は出来なかったが、彼女もその場にいたのだろう。
俺の記憶力め……。
へこむ俺をよそに、彼女は、はきはきとよく通る声で、挨拶文を読み上げると、最後に綺麗なお辞儀をして舞台を降りた。
周りの生徒達は、その立ち振る舞いに目を奪われている。
それもそのはずだ。
赤い瞳。
サラサラの茶髪。
気品に満ちた振る舞い。
初等部では希空と亜梨沙で男子の人気を二分してきたわけだが、彼女らに引けを取らない容姿を備えた新入生代表の子がいるとあれば、目立たないはずがない。
さらには、女子生徒からも憧れのような視線を送られているのが、印象的だった。
しかし、きっと亜梨沙と犬猿の仲である派手な女子グループからはよく思われないだろう。何かの際に標的にされそうだ。
義弥にもそれとなく注意するよう言っておこう。彼ならば、そんな心配は杞憂だろうけどね。
まだ彼女のいた余韻の残る壇上に上がった気の毒な学園長からありがたいお話が手短になされた後、校歌斉唱を経て入学式は閉式した。
空気が弛緩していく。
同時に、これから起こるであろう多くの波乱を感じさせるざわめきが、講堂には溢れていったように思う。
「新入生代表の……だったよな……」
「……ごく、……れた方だったわ……」
「そう……い様の……噂……よ」
「亜梨沙様……わいそう……こと」
世界が平和でありますように。
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