第85話

 新しい廊下、そして教室は、これまでと同じ学校の中にあるはずなのに、全然違う匂いがして、ソワソワしてしまう。

 時間が早いこともあって、当然俺達以外には誰もいなかった。

 それでも教室の扉には座席表が貼り出されていたので、自分の席をまずは確認しておく。


「あら、やっぱアタシはいつもの定位置ね」


 テラさんは肩をすくめながらそう言うと、自分の席へと向かっていく。

 一番窓際の列の一番前の席。

 最初の席順って大体五十音順だから、苗字が「あ」から始まる彼は、いつもあの場所が定位置だったのだろう。

 あそこら辺って、先生の目につきやすいエリアだから、嫌がる子は多いよね。

 ちなみに頭文字「め」の俺は、廊下側から二番目の列の一番後ろの座席だった。

 あまり目立たない当たり席だった。やったね。

 というわけで、俺とテラさんの席は、対角線上の端と端くらいに離れてしまった。

 ひとまずお互いに荷物を置く。

 それから、こちらに来ようとするテラさんを制して、俺は窓際に向かう。


「気を遣わなくてもいいのよ?」


 とんでもない。俺は自分の意思でそちらに行くことを選んだのです。


「そんなんじゃないよ。あそこ、登校してくる子達の目につきやすいからね」


 窓際の一番前なら、皆が登校してきても、そこまで目立たないはずだ。


「噂って、本当に当てにならないものねえ……」


 すると、テラさんは呆れ顔でこちらを見つめてきた。

 彼の中の俺に貼られた、メッキやレッテルといったもの達が、パラパラと剥がれていく音がする。

 これがありのままの俺なんです……。

 下手に壁を作られて、遠巻きにされるよりずっといい。思ったより好意的に受け取ってもらえているのでよかった。

 この調子で、生徒会以外でも友達が欲しいところだ。せっかく、同じ玲明で学ぶ仲間なのだから、一人でも多くの子達と一緒に学校生活を楽しみたい。

 中等部では、俺がもう少し親しみやすく、そして積極的に動くことで、外部生の子達が馴染みやすい環境を作れたらいいな。

 そういう意味では、最初に会った外部生がテラさんで良かったなと思う。

 下駄箱から教室までの僅かな時間ではあったけど、彼の社交性の高さや視野の広さは、中等部に入ったばかりの子のレベルとは思えない。

 口調や見た目なんて些事だと、気にならなくなる程に、彼は色々なものを背負っている人なのかもしれない。

 嫌味なく、人の懐に入っていくことが出来るその話術は、一種の才能だろう。

 自分で言うのも何だけど、この俺がこんなに早く打ち解けられるのは、すごいことだ。

 と、何だか褒めちぎってしまったけど、その実テラさんがどんな人なのか、俺もまだあまり知らないのだけどね。

 彼は、原作には登場しない人物のはずだが、もしいたとしても「ちょっと濃いサブキャラ」くらいの立ち位置だったのだろうなと思う。

 もしメインキャラでいたら、パワーバランス崩壊しそうだもの。

 つまりところ、この短い間に俺が彼に対して、ここまで好感を持つに至ったのは、まさに彼のコミュ力の高さによるところに他ならないのだ。

 きっと、テラさんは外部生同士でも中心的な立ち位置になれるだけのポテンシャルがある。

 あまり深く考えていなかったけど、よく考えたら、いずれは彼を通じて他の外部生達が俺に対して抱いている先入観とか警戒心とかが、解れてくれるのではないか。

 なんてね。

 流石に他人任せすぎる。

 とにかく、今はテラさんと仲良くなれてよかったということで。

 通い慣れた学校とはいえ、やはり進学となると緊張するからね。

 新クラスでぼっちになる心配だって、これでなくなったわけだし?

 ふふふ……もしかしなくても好調な滑り出しなのでは。


「ぐひひ……」

「うわ、何よ急に笑い出して……」


 おっと、いけない。

 テラさんから、訝しげな視線を向けられてしまったので、俺は咳払いで誤魔化すと、話題を変えるべく尋ねた。


「何でも? ……テラさんは何か部活動はやるの?」

「アタシ? 咲也にはどう見える?」


 ボディビル部かレスリング部でしょ。


「柔道か何か?」


 口元まで出かけたそれを飲み込み、無難に答えた。


「惜しいわね、正解はテニス部よ」

「言うほど惜しいですかね……?」


 思わず突っ込むと、「そうかしら?」とすっとぼけられた。


「ずっとやってたのよ、テニス。だからここでもやるつもり」


 なるほどね。

 あ、そうだ。ここは一つ会話を広げてみよう。スポーツといえば、これだろう。


「ちなみにポジションは?」

「テニスには固定のポジションなんてないわよ……」

「え?」


 そうなの?


「プレイングは人によって分かれるわね。アタシのスタイルは、シコラーね」

「え、下ネタ?」

「あのねえ……お約束みたいな返しをしないでちょうだい。そんな思春期の中学生みたいな……」


 呆れ顔でため息を吐かれた。

 いやバリバリ思春期の中学生ですが? というか、貴方もでしょうに。

 というか、シコラーってそういう意味じゃないの?


「違うわよ。シコラーってのは……」


 テラさんから、それが「ラリーをとにかく続けて粘るタイプのプレイヤーを指す言葉」であることを解説してもらった。また一つ賢くなった。

 どうやら、俺の想像(思春期の男子中学生がおよそ真っ先に連想するであろうイメージ)とは裏腹に、割にガチガチの専門用語だったようだ。

 下ネタとか言ってごめんなさい。

 とはいえ、意味を知って素直に感心した。

 スポーツって今まであまり縁がなかったからなあ。テニスだって、年に数回、軽井沢で家族と嗜む程度にしかやったことなかったから、何だか新鮮だ。

 運動系の部活動も面白そうだ。


「ところで、咲也はどうするつもりなのよ?」

「俺? 俺は……」


 正直、決めかねている。興味があるものはたくさんあるけどね。

 習い事は、初等部を卒業する頃には落ち着いて、今は家庭教師の先生にだけ継続してお願いしている。とはいえ、週に何日もあるわけではないので、放課後は余暇活動に十分使えるくらいには暇だ。

 でも、中等部からは生徒会活動が始まるからなあ。

 加えて、明前家は中等部から寄り道が解禁されるので、せっかくなら放課後は色んなところに行ってみたいという気持ちもある。

 しかしながら、部活動——特に運動系——に興味があるのも本心だ。幸い、咲也の身体ってものすごい丈夫だし、前世で出来なかった運動を思い切りやりたいとも思う。

 あー、迷う!

 部活って、途中から入っても大丈夫なものなのかな。

 最初はやりたいことをやるのに時間を使い、一通りやりつくしたところで部活動に打ち込むとか出来るのかな。

 あまりシステムがよく分かっていないんだよね。でも、得てしてこういう団体は、一度タイミングを逃すとグループが固定化されてしまって、本人達にその気がなくても排他的になる印象がある。

 すでに出来上がった輪の中に入るのが、そもそもすごく勇気がいるしなあ……。

 とにかく。

 どんな部活があるのか気になるから、見学には行ってみよう。そこで、面白そうな部活があれば体験入部出来るか聞いてみる、と。

 まずは情報収集だね。

 学校内でうまく立ち回るためには、これは必須だろう。

 そして、万が一にも興味のある部活動がなければ、諦めて生徒会活動に力を注ごう。

 よし。


「色々見て回って決めようと思ってるよ」

「そう。それがいいわね。部活は逃げないから、ゆっくり悩んで決めたらいいわ。テニス部も見学はあるみたいだし、待ってるわね」

「うん」


 うーん、楽しみだなあ。

 なんてウキウキしていたけど、思ったよりも話し込んでいたみたいで、続々とクラスメイト達が登校してきていた。


「明前様、おはようございます」

「ああ、おはよう」

「同じクラスになれて嬉しいですわ。中等部でもよろしくお願いいたします」

「うん、こちらこそ」


 テラさんの近くの席の子達が俺のことを見かけたからか、挨拶に来てくれた。


「流石、モテモテね」

「皮肉? モテモテってのは、銀水家の義弥君みたいな人をいうんだ」


 毎日が握手会だもんね。

 と、悪態をついていると、


「貴方、いま義弥様の悪口を言われましたか?」


 誰かに後ろから話しかけられた。

 え、振り向く前から背中越しに敵意を感じるよ。まさか過激派ファンクラブ会員を敵に回してしまったかと、そっと振り向いて誰なのか窺う。

 すると、そこには、


「陰でコソコソと、僻んで悪口なんて、男らしくないですわよ」


 見たことのない美少女が立っていた。

 え、誰?

 本当にどちら様?

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