第84話

 送迎の車から降りると、中等部の校舎へと真っ直ぐに向かった。

 朝練だろうか。グラウンドの方から複数のかけ声が聞こえてくるけど、それを除けば学生らしき影は見当たらない。

 広大な土地を持ち、都心にありながら豊かな自然に囲まれた玲明は、朝の空気が驚くほど澄んでいる。

 今、それを独占しているのだと思うと、気持ちが良かった。

 二階にある昇降口へ向かうため、外階段を上がると、そこにはすでに展示用のパネルが並べられていて、学年ごとに新クラスが貼り出されていた。

 まだ朝早いのに、と驚くが、すぐその理由に思い当たった。きっと、朝練のある子達のために早めに掲示しているのだ。

 先生方には本当に頭が下がる。

 心の中で感謝の念を伝えながら、俺はパネルの前まで歩いていき、周りに誰もいないのをいいことに、しげしげと新一年生のクラス表を眺めた。

 後ろで待つ人のことを考えなくてもいいって素敵。

 早起きは三文の徳。まさに早く来た人間の特権って奴ですよ。

 さて、まずは自分のクラスはどこかしら——


「あれ……?」

 

 おかしい。

 新クラスには、誰も話せる人がいない。

 開幕ぼっちハンデか?


「……」


 何度見返しても、瞼を擦ってから見直しても同じだった。

 ……いや、予想はしていたよ。

 当然といえば当然なんだ。

 だって、俺は生徒会メンバー。生徒同士の諍いの起爆剤になりかねないのだ(もちろん起こさないよう立ち回るつもりだけども)。

 中等部からは外部生の子達が編入してくるからね。特に新学期早々は、お互いにどう接するべきか、距離感を測りながら過ごしているから、クラスが何かとざわつきやすい。

 そんな中に、内部生から選ばれた存在として特別扱いされている生徒会メンバーが、クラスに何人もいたら、馴染めるものも馴染めなくなるし、下手したら内部生と外部生の対立構造に発展しかねない。

 だから、俺達はついにバラバラのクラスに散ることになってしまったのだ。だとしても、桜川や三宮さんとも違うクラスとは。

 まさにゼロベースでのスタートだけど、泣き言はいっていられない。

 中等部では、友達百人作る計画を掲げているのです。これからは、誰からも話しかけやすい雰囲気を作って、自分からも積極的に交流を持とうとしなければ。

 中学デビューを成功に導くのだ。

 そうと決まれば、まずは同じクラスの子達が誰なのか、きちんと頭に叩き込んでおかなければ。

 俺はクラス表を穴が空くほどに見つめてみる。と、同じクラスに気になる名前を見つけた。


『左沢 金時』


 見覚えのある名前だ。どこかのパーティーとかで会ったか、もしかしたら原作に登場する人なのか、どちらかだと思うんだけど……そもそもこれ、苗字は何と読むんだったっけ。


「『ひだりさわ』ではなかったよな……」

「そうよ〜、何て読むと思う?」

「ヒィ!?」


 突然横から話しかけられた。

 思わずびっくりして声が飛び出たじゃないか。やめてよね、全くもう……。

 恐る恐る横に顔を向けると、いつの間にか隣に男子生徒が一人立っていた。どなた様か存じませんけど、気配を殺して近づくのはやめた方がいいですよ。

 よく見たらものすごいイケメンだし。中性的で鼻筋は真っ直ぐだし、まつ毛も長くて、某有名事務所の男性アイドルみたいだ。

 そっちにも驚いてしまった。


「驚かせちゃった? ごめんなさいねえ」


 彼は、申し訳なさそうに謝ると、許してと言わんばかりに片目を閉じてウインクした。

 妙な愛嬌がある人だなあ。

 そして、本当に申し訳ないと思ってるのだろうか?


「別にいいよ。全然驚いてないし」


 俺は強がった。

 あんな声を上げた手前、驚いてないというのは無理がある気がしたけれど、過去は忘れるものです。そういうことにしました。

 すると、彼は意外そうな顔をした。


「そう? へえ、ならよかった」


 そして、目を細めて微笑む。

 艶やかな仕草だ。少し義弥と似ているかもしれない。

 でも、一つ決定的に違うのは、その美形と釣り合わぬ程に鍛え上げられた筋肉質な体形だ。それ故に、彼は存在感からして異彩を放っている。

 一瞬、パースが狂ってるのかと思った。

 加えて、話し方や仕草からどことなく漂う、オネエ系の雰囲気。

 このクセの強さで思い出した。

 間違いない。

 

「アタシの名前はね、左沢金時(あてらざわ きんとき)って読むのよ。可愛い名前でしょ? よろしくね、明前くん」


 彼が、左沢金時ご本人だ。


 あれから簡単な自己紹介をお互いにしたのだけど、まだ外は冷え込んで寒かったので、とりあえず教室に向かうことになった。

 「せっかく同じクラスなんだし」と、並んで廊下を歩き、中等部のある東棟を目指す。

 そういえば、


「俺のこと知ってたの?」

「何の話?」


 とぼけるんじゃないよ。さっき俺から名乗っていないのに「明前くん」と呼んだじゃないか。


「……ああ、そんなの。アナタ有名人じゃない。財界では特にね」

「え、そんなに有名?」


 ええ〜、恐れ多いなあ〜。

 参っちゃうなあ〜。


「嬉しそうね……。でも、有名人なのは本当よ。アタシも明前グループが主催するパーティーでアナタのこと見たことあるけど、女の子は軒並みアナタか銀水家のおぼっちゃまに熱視線を送っていたわよ」


 やっぱり社交界で会ったことがあったのか。何なら言葉も交わした記憶がある。見た目と口調にインパクトあり過ぎるし。

 とはいえ、まだ社交界慣れしてないから、周りの大人達の顔と名前を一致させるために脳のリソースを使っていたため、今の今まで忘れてしまっていた。

 決して、覚えてなかったわけではないんですけどね。

 幸い、彼の方もさほど気にしている風ではなかったので、心の中でホッと安堵の溜息をついた。

 話を戻す。


「熱視線ね……」


 たしかにパーティーでは、同い年くらいの女の子達から注目はされるけどね。そんな生優しいものじゃなかったよ。

 あれは、獲物を逃すまいとする猛禽類の眼光だった。

 いくらモテたいとはいえ、さすがにあそこまで露骨に媚を売る子達を周りに侍らせたいとは思わない。

 とはいえ、無碍にも出来ないチキンな俺は、程々に相手をしてから離れるようにしているが、これがまた疲れる……。

 贅沢な悩みなのかもしれないけどさ。

 この時ばかりは、平然と彼女らの猛追をかわす義弥のことを尊敬したものだ。


「単なる熱視線ならどんなに良かったか……」

「あら、たしかに大変そうだったわね……少し無神経だったわ、ごめんなさい」


 ぼそっと呟くと、さすがに気の毒に思われたのか、気を遣われてしまった。

 いや、別に謝らなくたっていいのに。


「それにしても、予想外だったわ」


 話題を変えようとしたのか、彼は言った。


「何が?」

「アナタよ、アナタ」


 俺?

 人差し指で自分を指差すと、彼は頷いた。


「そう、アナタ。噂ってのはアテにならないのが分かったわ」

「え? 何のこと?」

「アナタに関する噂が、外部生の間では入学前から話題になっているのよ。あの『明前家』の御曹司で、おまけに孤高で周りには誰も寄せ付けず、風紀委員会や生徒会の先輩でさえ逆らえないから、彼にだけは気をつけろってね」

「ええ!?」


 孤高? 誰も寄せ付けない?

 どこが!?

 単に話しかけられないだけだよ!

 風紀委員会や生徒会の先輩についての部分は、文化祭のことがあるから、全く嘘ってわけではないけど、かなり脚色して伝わっているじゃないか。


「このアタシでさえ、さっき話しかけるのは少し勇気が必要だったもの」

「そうだったんだ……」


 どうしよう。

 外部生の子達と仲良く出来るかな。

 不安そうな顔でいると、


「きっと大丈夫よ。アタシみたく、すぐに誤解だって分かってくれるかもしれないじゃない」


 と、励まされた。

 彼の言う通りだ。前向きに考えよう。


「うん、ありがとう」

「ま、こうして仲良くなった縁もあることだし、誤解してる子がいたらアタシから話してあげるわよ」

「左沢君……」

「水臭いわね。アタシのことは『テラちゃん』でいいわよ、咲也」


 そう言って、彼は片目でウインクして見せる。

 何この頼りになる人。


「テラさん……」


 思わず「さん付け」で呼んでしまった。

 「ちゃん付けでいいのに」と、彼は残念そうに言ったが、外見的に「ちゃん付けではないな」と思ったので、そのまま「テラさん」呼びにした。

 俺は、左沢あらためテラさんの優しさに感動しながら、教室へ向かうのだった。

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