第83話

 中等部の入学式がやってきた。

 朝、部屋で慣れないネクタイを結び、ブレザーに袖を通した俺は、姿見の前に立って自分の姿を確認してみる。

 おお、意外と様になっている。どうせすぐ背が伸びるからと、気持ち大きめのサイズにしてもらったので、多少着られてる感はあるものの、ここまで着こなせているなら、やはり素材は悪くないのでは?

 身長だって順調に伸びているし、モテ要素の塊じゃん。なぜモテないんだろう。世の中には不思議なことがたくさんあるものだ。

 素材は悪くないのになあ。

 ほら、ちょっと「しな」を作ってみたりして。うん、我ながらセクシーである。

 うふん。


「何やっているの……」

「え!?」


 いつの間にか、後ろに呆れ顔の姉さんが立っていた。

 きゃあ!

 ノックはしてくださいよ!


「したわよ。返事がないから、まだ寝てるのかと思って起こしに来てあげたのよ」

「……そうでしたか」


 恥ずかしい。

 新学期早々、鏡の前で変なポーズ取ってる姿をみられるなんて。


「変なことしてないで、早く降りてきなさい。朝ご飯が冷めるわよ」


 はあ、と溜息をつきながら、姉さんは部屋を出て行った。

 あ、そうそう、実は中等部入学を機に家族の呼び方を変えることにしました。いつまでも様付けって、お坊ちゃんぽくて恥ずかしいからね。

 ……はは。

 俺も下に降りようかな。

 その前に、携帯のメールチェック。


「あ」


 メールが来ている。

 誰からかと思って開くと、


『先輩へ。入学おめでとうございます。校舎は変わってしまいますが、仲良くしてくださいね』


 真冬からだ。

 可愛らしい絵文字と一緒に、これまた可愛らしい文章が綴られている。

 ありがとう、もちろん遊びに行くよ、と。

 返信用メールを打ち込み、送信した。

 これでよし。

 俺は、ご機嫌に部屋を出た。


「おはよう、咲也さん」

「おはようございます、母さん」


 リビングに入ると、母さんがすぐに気づいて声をかけてくれたので、挨拶を返しながら、いつも座る席に腰かけた。

 明前家は、母さんの提案でなるべく朝と夜は家族揃って食事をすることになっており、それぞれ座る位置が決まっているのだ。

 現に、俺の指定席には、もう朝ご飯が用意されていた。献立はトースト、ハムエッグにクラムチャウダーだった。スープからは湯気が上がっている。

 美味しそうですね。

 隣では、姉さんがトーストをもそもそと口にしていた。俺が座ると、チラリとこちらを一瞥してから、ハムエッグ用のケチャップを手の届く位置までずらしてくれる。


「ん」

「ありがとう、姉さん」

「ん」


 さっきの奇行は見なかったことにしてくれたらしい。

 とはいえ、口の中に入ったまま無理に返事しなくても……。

 心の中で独りごちながらも、俺は気を取り直して、手を合わせる。


「いただきます」

「はい、召し上がれ」


 母様がニコニコと笑っている。

 何だか、機嫌が良いな。

 まあ、いいか。俺は早速、姉さんが寄越してくれたケチャップを、ハムエッグに回しかける。

 皿の上だけ見ると事故現場みたいだ。

 父さんには「はしたない」とよく叱られるけど、ケチャップはかければかける程上手くなるからね。旨味成分の相乗効果ってやつだ。え、違う?

 気にしないことにした。

 早速、フォークを使って料理を口に運ぶ。

 やっぱりケチャップだよ。トマトの旨味成分が凝縮されているから、何にでも合う万能食材なんだよね。

 続けて、スープを一口飲む。さすがに汁物にケチャップはかけられないから、そのまま飲みましたよ。


「あ〜」


 温かい。何だかホッとする味だ。

 母様の作った味だ、これ。

 うちは、料理専門の使用人を雇ってはいるけれど、母様も料理を作る人なので、こうして自らの作った料理も一緒に食卓へ並べてくれる。

 ホッと息を吐きながら、目だけ動かしてリビングを見回す。父さんの姿はどこにもない。

この時間ならいつも起きて新聞を読んでいるので、もう家を出たのだろう。

 今日はど平日だけど、俺の入学式があるから、早めに出社して仕事の区切りをつけてから学園に来てくれるみたいだ。

 父さんも見かけによらず子煩悩だよなあ。

 来てくれるってだけでも、とても嬉しいけどね。


「今日から咲也さんも中等部なのね。何だか時が過ぎるのって早いわ。制服もとても似合っていたのに」


 ふと、母さんがしみじみと呟いた。

 相変わらず、ニコニコと笑みを浮かべている。


「ありがとうございます。母さんの言うとおり、時の流れって早いなと思います」

「ふふ。まさか咲也さんの中等部入学まで見届けられるなんて、思っていなかったから、とても嬉しいわ。後は彼女に会わせてほしいわね〜」


 俺もそう思います。本当に、能力の発現が間に合って良かったと思う。

 でも、彼女の話は勘弁して。この話何度目よ。


「前から言ってますけど、彼女なんていませんて。俺にはまだ早いですよ」

「そんなことないわ。背だって伸びたし、顔つきも大人びてきているわよ。きっと、学校でもモテるのでしょう? ねえ、輝夜さん?」

「ん!? え、ええ、そうね……」


 急に話を振られた姉さんは、食べていたトーストを持ったまま、遠い目をしながら頷いた。

 すいませんね、嘘つかせて……。


「ほら。私はね、雨林院家の御姉妹でも、銀水家の亜梨沙さんでも、咲也さんが選んだ子なら誰だって嬉しいわよ。だから、遠慮なんてしないで、いつでも家にお連れしてね」

「……はーい」

「ところで、輝夜さんは良い人とか——」


 姉さんに矛先が逸れた。

 全く、俺たち姉弟の恋愛のこととなると、子供みたく目を輝かせて色々聞いてくるのは勘弁してください。

 さて、食べるなら今のうちだな。集中集中。

 とはいえ、余裕を持って起きていたので、急いで食べ終えてしまうと、家を出るまでに結構ポッカリと時間が出来てしまうんだよね。

 朝早くの学校は、人も少ないので居心地が良いし、早めに登校するのもありか。

 俺は、朝ご飯をペロリと平らげると、両の手を合わせた。


「ごちそうさまでした。それじゃあ、もう行きますね」


 そして、立ち上がる。


「あら、早いのね」


 母様が首を傾げ聞いてきたので、


「中等部の教室一番乗りになりたいんですよ」


 と、いらん見栄を張った。

 友達がいないから、騒めく教室に入るのが嫌なんて言えないのです。

 ちょっと姉さん、その「分かってるわよ」とでも言いたげな目をやめてください。

 

「そうなの? 男の子ねえ」

「というわけで、いってきます」

「ええ、いってらっしゃい。咲也さん。私も、入学式には間に合うよう行くわね」

「うん、ありがとう。待ってます」


 姉とは対照的に、のほほんと微笑んでいる母さんに手を振り、リビングの出口まで向かう。

 そして、部屋から出ようと取っ手に手をかけた時、後ろからぼそりと声が聞こえた。


「……ありがとうね」

「え? 母さん、何か言った?」

「いいえ〜。まだ寒いから、ちゃんとコート着るのよ」

「あ、はい。それじゃまた後で」


 たしかに何か言われたと思ったんだけど……まあ、何でもないならいいか。

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