第80話

 呆気に取られていた先輩だったが、すぐに居住まいを正すと、


「明前君、それは何の冗談だ?」


 面白くなさそうな声で尋ねてきた。


「その言葉の通りです。彼女は能力なんて使っていないんですよ」

「すぐ分かる嘘はつかないでくれ。オレに報告に来た中等部のメンバーは、風紀委員が何かしようとした途端、君が真冬さんの能力で闇に呑まれたと言っていたぞ」

「嘘なんてついていません。その方以外からは、どんな報告がきているんですか?」

「それを君にいう必要はないと思うが」


 おっしゃる通りで。

 だが、先輩の言動から察するに、幸いなことに楓先輩が能力を使ったところを直接見ていたという報告者はいないのかもしれない。

 もし目撃した証言があれば、江津先輩は「風紀委員が何かしようとした」なんて遠回しな言い方はしない。もっと直接的に「風紀委員会ごときが能力を生徒会に向かって使うなんて」くらいは言うはずだ。

 どうやら、綾小路君もその辺りはぼかして報告してくれたようだ。

 さすがだよな。

 俺は追撃した。


「真冬さんが俺に能力を使ってくれたのは本当ですが、風紀委員の方はそれを見て、咄嗟に使用を取りやめたので、未遂で終わって——」


 しかし、


「……だから問題ないと?」


 先輩の言葉に遮られてしまった。


「あのね、明前君。君はそれでいいかもしれないが、生徒会としては、『風紀委員会が生徒会に向かって能力を使おうとしたこと』自体が問題であると認識しているんだ」


 分からず屋の子供に言い聞かせるような口調だった。

 年相応に扱ってもらえて少し嬉しくなる。いや、小学生なんだけどさ。あまり周りからはそう思われないような行動ばかりしてきたからね。

 それても先輩からすれば、俺はさぞかし面倒なことを言う子供だろうに、声を荒げることなく諭すように話してくれている。


「これはね、奴らからの『宣戦布告』にも等しい行為だ。そいつが能力を使った使わなかったの問題ではないんだよ」

「いや、でも……」

「でもじゃないんだ。明前君、君もいずれ生徒会の役員になると言われているだろ。伝統ある生徒会を引っ張る者として、そんな態度は頂けない」


 しかし、こちらの話に耳を傾けてくれる様子ない。

 驚いた。思っていたよりも保守的というか。

 まるで、風紀委員会のことを野蛮な団体とでも言いたげだ。実際は、風紀を取り締まる団体なのだから、真逆なのにね。

 俺の想定は、どうやら外れたらしい。

 「楓先輩が能力を使っていない」ことで興味を失ってくれると一番楽だなあと思っていたが、これは難航しそうだ。


「我々は、他の生徒とは違うということをきちんと分からせないといけない。中途半端な馴れ合いは首根っこを噛まれるからな」


 このままでは、納得なんてさせられないだろう。

 奥の手もあるにはあるけれど、それを使うと本当に江津先輩を敵に回すことになる。そう思うと、さすがに躊躇いが生まれる。

 話してみて、この人は風紀委員会に対する敵愾心は目を瞠るものがあるけど、それ以外は良い人なのだ。

 可愛くない後輩の俺にさえ、こうして声を荒げずに話をしてくれるのだから。


「だから、能力を生徒会に対して使おうとしたという反乱の種になり得るものは、きちんと摘み取っておかないといけない。分かるかな、明前君」

「……」


 どうすればいい?

 俺は考える。

 江津先輩は、権威主義だ。

 生徒会内部には優しいが、その実メンバーの背後にあるものを見ている。家柄、資産状況……。

 だから、俺が「明前家の名前」を使えば、不本意だとは思うが、この場は俺の意向通りにしてくれる。

 でも、それは本当に原作の咲也と同じところまで堕ちるのと同じことだ。

 同じルートを辿れば、似たようなことがあった時に、同じことを俺はしてしまう気がする。


「…………」

「なあ、明前君。君は、なぜその風紀委員を庇うんだ? そいつが一人どうなろうが、君には何も関係ないじゃないか」


 先輩の言うことはもっともかもしれない。

 俺にとっては、楓先輩はバッドエンドの芽となる存在だ。江津先輩の言う通りにしていれば、きっと彼女が学校から何かしらの処分を下されて、それで終わりだ。学校からの処分は、重くても停学で済むだろう。もしかしたら、自己退学は促されるかもしれないけど。

 問題なのは、その後だ。

 生徒の間では、間違いなく「明前家に手を出そうとした」という噂がついて回る。ただでさえ、一般生徒から見た生徒会は畏怖の象徴なのに、その中でもとびきり家格の高い明前家に手を出すのがどういうことかなのかは、火を見るよりも明らかだ。

 中等部には姉様もいるし、楓先輩の居心地はすこぶる悪くなるはずだ。

 やっとの思いで入学した玲明での学校生活も、楽しめなくなるだろう。

 いや、後味悪い。

 実際のところ、すんでのところで風の能力を射出する先を先輩がずらしたから、どうあっても俺は無傷で済んだと思うのだ。

 もちろん、咄嗟に庇ってくれた真冬には、言葉で言い表せないくらい感謝している。

 とにかく、そういう意味で俺は、驚きはしたものの、楓先輩をどうこうという気持ちはないのだ。


「君の考え方は、少し変わっている。もう少しきちんと考えてごらん」


 俺の考えは、間違っているのだろうか。

 と。


「……誰だ?」


 ふと、後ろからノックの音が聞こえる。

 江津先輩が入室を許可する前に扉は開き、一人の女子生徒が入ってきた。


「ども〜、やってるね」

「……まだ入っていいとは言ってませんよ」

「ノックはしたんだから、固いこと言わないの」

「はあ。……何の用ですか。眞澄様」


 軽いというか、飄々とした雰囲気。

 姉とはまた違った空気感を纏っている。

 彼女は、栗栖眞澄様。

 高等部の生徒会長だ。そして、かつて俺が初等部に入学した頃の高等部生徒会長、栗栖道流様の妹でもある。


「明前君に真冬ちゃん、こうして話すのは久しぶり? 元気してた?」

「……お久しぶりです、眞澄様。おかげさまで元気です」

「ご無沙汰しております、眞澄様」

「うんうん、ご無沙汰〜。元気そうで何より!」


 何でここにいる。

 この件は中等部に任せるって言ってなかった?


「任せてたよ〜。でもね、何だか面白そうなことになってるから、覗きにきちゃった」


 ナチュラルに心を読まないでほしい。

 この人、苦手なんだよなあ。

 そんな俺の気持ちに気付いているのか、いないのか、彼女はこちらに歩み寄り、俺の隣に座った。


「ねえねえ、明前君はさ、一体彼女の何なのかな?」

「……え」


 予想外の質問だった。


「だってさ、隣には真冬ちゃん。外には希空ちゃんに輝夜ちゃんもいるんだよ。それなのに、風紀委員会の子をそこまで庇い立てして、何のつもりか意味が分からないのよね〜」


 ——ハーレムでも作りたいのかな?

 そう付け加えて、眞澄様はケラケラと笑った。

 なぜ。

 そんなの、楓先輩がどうなるか知っているからだけど、そんなこと言えない。

 でも、たしかに俺は元はバッドエンドを回避するために行動していた。今、隣に真冬がいてくれるのは、その結果だといえる。

 なら、今は?

 楓先輩は、たしかに原作の咲也により大きく将来を左右される可能性があるという意味では、被害者だ。

 けれど、それだけなのだ。

 彼女を助けても助けなくても、俺のバッドエンドには何の関係もない。


「…………咲也先輩」


 真冬が、不安そうに俺を見ている。


「……」


 ここは間違えるわけにはいかない。

 考えろ。


「君のやってることって、死ぬと分かってる人への意味のない延命行為なんじゃないのかな? 歪んでるように見えるよ、少なくとも私にはね」


 眞澄様の言葉にハッとする。

 俺は、バッドエンド回避を謳いながらも変な行動をとる一貫性のない人間だ。

 これまで、クラスメイト達ともうまく付き合うことは出来なかった。自分からは話しかける勇気もなく、結果怖がられて、遠巻きにされていた。

 でも、それだけじゃない。

 俺の方も、避けていた。

 怖かったんだ。

 関わる人が増えるということは、それだけ多くの人のバックグラウンドを知ることになる。

 思春期の子には、悩みやコンプレックスを抱えた子がたくさんいる。

 中には、真冬みたいに闇堕ちする子がいるかもしれない。

 原作の楓先輩みたいに、心が折れる子だっているかもしれない。

 俺は、前世で何も成せなかった人間だ。

 元より決められた上限のある人生の中で、死が訪れるのを待つ諦観だけがあった。

 もし、挫折や堕落した子が目の前にいたら、きっと自分と重ねて見てしまっただろうし、それを何とかしようとしただろう。

 間近で見ていて、耐えられる自信はなかった。

 この世界は特殊だ。

 ゲームの世界と酷似した場所。

 そして、似通った人物。

 俺は、おこがましくも先の展開を知っている人物なら救えると思っていたんだ。ゲームの世界に転生したから、先の展開を変えられると悦に浸ってしまっていたのかもしれない。

 つまるところ、俺は独善的な考えで真冬や亜梨沙、楓先輩を振り回していただけだったのではないだろうか。

 たしかに、これではバッドエンドを回避するためという名目で自らを延命させているだけだ。

 ひどい自慰行為だよ。

 何様のつもりだったんだろうか。

 俺は思わず首を垂れる。


「明前君、君の風紀委員を庇おうとする姿勢は正直理解し難いけど、それだけ優しいということは分かった。今度はそれを、生徒会にもっと向けるといい。きっと、生徒会での信頼も今より強くなるだろう」


 江津先輩が諭すように言った。

 俺は、どこで間違えた?

 いや、何にせよ、これで終わりか。


「…………?」


 ふと、俺の手がそっと握られた。ひんやりとしているけど、ほのかに体温を感じられるような感触だった。

 手の主は、言った。


「私は、貴方の味方ですから」

「真冬……」


 なぜ。

 彼女は、なぜここまでしてくれるのだろう。

 不思議な子だ。


「先輩は、昔から何を考えているのか分かりませんでしたけど、低学年の時から私によく構ってくれましたよね」

「……」

「あの時の私は、正直に言って、姉様のことが嫌いでした。勉強も運動も習い事も、何もかもがすごくて、性格も明るくて、いつも煌めいていたから。周りの人は皆、姉様の周りに集まって、私は能力のせいで暗いとか陰口を叩かれて、だから自分にないものをあの人は全て持ってるって、そう思っていたんです」


 やっぱり、幼少期の真冬は姉に対するコンプレックスに悩んでいたのか。

 でも、その言い方だと今は……?

 彼女は続ける。


「先輩は、そんな中で唯一能力なんて気にせずに接してくれました。何を考えているのかよく分からないし、変な絡み方でしたけどね」


 そう言って、クスリと笑われる。

 変な絡み方……当時はそう思われていたのか。


「最初は何か裏でもあるのかと思ってましたけど、あんまりおかしかったので、段々そんなのどうでも良くなってしまいましたよ」

「……」


 そんなにおかしかったのか。

 明前家の子じゃなかったら、ヤバかったのかもしれない。


「とにかく、先輩のおかげで少しは明るくなれたと思っています。能力とだって、向き合う気になれました。だから——」


 そこで彼女は、何かを思い出しているかのように目を閉じる。

 一拍置いてから、

 

「——私は貴方に救ってもらったんだと、そう思っています」


 俺のことを覗き込むように目線を合わせて、確かな口調でそう言った。

 そう思ってくれていたんだ。

 目の奥から込み上げるものを感じる。

 彼女はさらに続けた。


「延命行為でもいいじゃないですか。残酷かもしれないですけど、その分長く生きられるなら、その方が幸せな人だっているはずです」


 そうか。

 たしかに、そうなのかもしれない。

 真冬の言葉が、まるで地面に落ちた雪のように沁み込んでいくのが分かる。少しでもこうして救われていた人がいることが分かると、何だか胸の辺りが暖かくなる気がした。

 単純さに笑ってしまうけど、真冬に面と向かって言われたおかげで、少し自信が戻ってきた。

 そして、思い出したよ。元は、前世で過ごせなかった学校生活を満喫するために、俺は動いていたんじゃないか。

 病室でただ一人、皆が楽しそうにしているのを見つめることしか出来なかったあの頃を思い出したから。

 たとえ独善だとしても、俺は知っている人に同じ思いをしてほしくなかったんだ。だから、自分にやれることはやってみたい。

 俯いていた顔を上げ、真冬の方を見る。そして、彼女にお礼を伝えた。


「ありがとう、真冬さん」

「……それで、どうするの?」


 ずっと待ってくれていた眞澄様が、焦ったそうに聞いてくる。


「聞いていただきたい話があります」

「うーん? ……まあ、真冬ちゃんの可愛らしい気持ちに免じて、聞くだけは聞いてあげようかな」

「ありがとうございます。まず、江津先輩に先程嘘をついたことを謝らせてください。俺が無傷というのは確かですが、風紀委員の方は能力を使っていました。小手先の嘘をついてすみませんでした」


 江津先輩に頭を下げる。


「……そんなのは初めから分かりきっていたことだ。もういいよ」


 先輩は溜息を吐きながらも、そう言ってくれた。


「ありがとうございます。それで、今回の件ですけど、すでに色んな生徒に広まってしまっている状況だと思っています。だから、生徒会から風紀委員会への苦情は避けられないものであり、小千谷先輩に何かしらの処分が下されることも避けられないのは理解しました」

「うんうん。それで?」

「だから俺は、個人的に風紀委員会と教師へ処分の軽減を嘆願しようと思います」

「……ふうん? ねえ、明前君はどうしてそこまでするの?」


 面白くなさそうな表情で聞いていた眞澄様の問いかけに、俺は答える。


「たしかに、よく確かめずに能力を使った小千谷先輩の行動は良くはないと思います。でも、生徒会に手を出したから厳罰を求めるとか、不当に重く処分されるのは違います。そんなことになれば、彼女はもう学校生活なんて楽しめません。俺は、生徒会も風紀委員会も関係なく、学校生活を楽しんでほしいんですよ。だって、同じ玲明に通う仲間なんですから」

「…………へえ」


 すると、ちょっとだけ彼女はそれを和らげた。

 そして、少し考える素振りを見せると、ふっと笑い、


「……あーあ、何だか、初等部の子らのラブコメ見せられて胸焼けしちゃったな〜。君らはもういいよ。ほら、子供らしく文化祭を楽しんでおいで〜」


 そう言って、有無を言わさず俺と真冬を役員室の外に追い出した。話はまだ終わっていないと意見したけど、「君の言いたいことは分かった」とだけ言われ、これ以上は聞き入れてもらえなかった。

 扉が閉められると、俺達はぽかんとお互いに顔を見合わせる。

 外で待っていた姉様達も、現状が分からず不思議そうな表情だ。

 話の結論自体はつかなかったけど、とりあえずこちらが話すべきことは話せた……のだろうか。


「咲也、大丈夫だったの?」


 そんな俺の様子を見て、姉様が心配そうに尋ねてくる。


「分かりません。でも、後はなるようにしかならないと思います」

「そう……」


 俺が答えると、姉様は黙り込んでしまった。

 と、


「まあまあ、眞澄様には文化祭を楽しむよう言われたんでしょ?」

「なら、初等部最後の文化祭ですもの。楽しむべきですわよ!」


 重い空気を吹き飛ばすような明るい二重奏が響いた。

 俺も希空のメールを見た義弥と亜梨沙が、心配して生徒会室まできてくれたようだ。

 こういう時、この二人がいると空気が明るくなるな。

 眞澄先輩に言われた通り、気持ちを切り替えて学校生活を楽しむか。

 でもその前に、俺には寄らなければならないところがある。

 皆には後で合流する旨を伝え、俺は一人で風紀委員会室を目指した。

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