第81話 卒業

 結論から言うと、楓先輩の処分は学校内での奉仕活動三ヶ月に決定した。

 風紀委員会内での処遇については、どうやら口頭注意だけで済んだようだ。

 あの後、まず俺は風紀委員会室に赴き、「小千谷先輩の件は、彼女だけが一方的に悪いわけではないので、どうか委員会内でも寛大な処分を検討してほしい」と手書きした紙を封筒に入れて、こっそり扉に挟んでおいた。もちろん、匿名。

 誰かに見つからないかヒヤヒヤものだったけど、杞憂だったので胸をそっと撫で下ろした。

 その後は、職員室にも立ち寄った。こちらは、匿名で手紙だけ置いておくなんてことは出来ないので、素直に生活指導の先生に「今回の件は、私にも責任の一端はあるので、一方的に判断して処分はしないでほしい」と直接俺の口で伝えた上で嘆願書を手渡した。

 なお、俺が嘆願をしに来たことは伏せて欲しいとお願いしたんだけど、すごく変な顔をされた。

 それから数日が経った頃、俺は、先輩が奉仕活動を言い渡されたことを姉様から聞いた。

 ついでに、生徒会から風紀委員会には「苦情」ではなく、「改善の要望」が提出されたことも聞いた。

 普段よりも何段階かトーンの小さいそれに加え、「匿名の嘆願」もあったことから、学校側もそこまで問題を大きくする必要はないと判断したのかもしれない。

 彼女の処分は、他の生徒が同じことをした時に下されるものと同じレベル感で、あくまで通常の範疇に収まった。

 おかげで、他の生徒達の間でも話題になったのは最初のうちだけで、時間が経つごとに声は小さくなっていった。

 結局、生徒会側というか俺には全くお咎めがなかったのは、個人的に納得し難いところではある。けれど、こればかりは今の時点ではどうしようもないことだ。

 楓先輩に、不当に重い処分が下されなかったことを、まずは良しとすべきなのだろう。

 

 あれから時間はあっという間に過ぎ、ついに初等部の卒業式がやってきた。

 俺達卒業生は、胸に桜の造花をつけて、講堂に座って開式を待っていた。

 残念ながら、俺の席の周りには仲の良い奴はいない。

 でも、


「なあ」

「はい!? 明前様、どうかしました?」

「君は、初等部で何が一番思い出に残っている?」

「へ? あ、いや、僕は六年の運動会、ですかね。初めてリレーで一位を取れたんです」

「すごいな。君の頑張りが実を結んだんだな。俺も、運動会は思い出に残ってるよ。一年の時、クラス対抗リレーがあっただろ。その時、実は——」


 少しだけ、気持ちを切り替えて積極的になろうと思えるようになった。

 程なくして、開式を告げる司会の声が響いたので、前へ向き直る。

 学園長の話を聞きながら、俺はこの六年間を思い返していた。

 あらためて、目標は決まっているのに、そこまでの道筋には一貫性のかけらもなく、迷走しまくりの学校生活だった。

 それでも、


「続いて、卒業生答辞。代表、明前咲也」

「はい」


 ちょっとは前進したのかな、と思える。

 俺達は、数週間後には玲明の中等部へ進学しているはずだ。

 そこでは、外部生も入学してくるのだ。

 つまり、これからは生徒会と一般生徒という構図だけでなく、内部生と外部生、さらには生徒会と風紀委員会という関係性も意識した行動を取らなければならなくなる。

 複雑な対立構造だ。

 これ何とかしないと、どのみち高等部では積むのではなかろうか……。

 もはや死を回避とか言って逃げることは出来ない。

 それに、忘れてはいけないこともある。

 彼らは、新しい玲明の仲間なのだ。

 仲良くとまではいかないかもしれないけど、彼らも等しく学校生活を楽しむ権利がある。出来るだけ、生徒会との絡みで嫌な思いをしないようにしてあげたい。

 頑張らないと。


「——これにて、第——代卒業式を閉式いたします。一同、起立」


 一斉に立ち上がる。


「礼!」


 卒業式が終わった後は、一旦教室へ戻って最後のホームルームが行われた。そこで、担任の先生から卒業生への挨拶があった。

 生徒会絡みで気を遣う部分も多かっただろうし、ご面倒をおかけしました。お世話になりました。

 その後、事務連絡も終わってクラスは解散となったので、中庭に出ると、父様達が花束を手にして、待ってくれていた。


「咲也。卒業おめでとう」

「おめでとう、咲也さん」

「ありがとうございます、父様、母様」


 花束を受け取り、かしこまった素振りで礼をすると、これで初等部での生活も本当に終わりなんだなと思い、少ししんみりしてしまう。

 ふと周囲を見回す。

 義弥と希空が、後輩や先輩に囲まれてすごいことになっている。二年前、姉様が卒業した時のようだ。

 亜梨沙も、友達とお互いに花束を渡し合っている。

 裏切り者……。

 すると、にわかに後ろがざわついてきたので、これはようやく俺の番かなと思い振り返る。


「輝夜様、お久しぶりですわ!」

「相変わらずお美しいです……」

「中等部でも仲良くしてください」


 姉様が卒業生に囲まれていた。

 ……あれ?


「咲也……」


 父様が可哀想なものを見る目を向けてきた。

 いや、中等部からは積極的にいきますから、友達百人作りますから。そんな顔しないでくださいよ。

 とにかく、しばらくは姉様が解放されるまで待たなければならない。手持ち無沙汰なので、再びキョロキョロと周りを見ていると、不意に袖を引っ張られた。


「……先輩」

「あ……」


 真冬だ。

 俯いているから表情は窺い知れないけど、顔が耳まで真っ赤っかだ。


「卒業、おめでとうございます……あの、では!」


 彼女は、絞り出すようにそれだけ言うと、俺に紙袋を押しつけて、ぴゅーっと走っていってしまった。

 中を見ると、杏の実を使ったゼリーと、紅茶のセットが入っていた。よく見ると、袋の中に一輪だけ花が添えられている。

 これは、何の花だろう。ゼリーが杏だったから、花も同じものかな?

 杏は、たしかに今が旬だけど、桜とかじゃないのは被らないよう配慮してくれたのかな。


「……ご卒業おめでとう、咲也くん?」

「うえ!? ……ありがとうございます、雨林院会長」


 いつの間にか、後ろに雨林院会長が立っていた。そりゃいますよね。今日はあなたの愛娘の卒業式ですもんね……。


「何だか、最近ウチの真冬ちゃんと随分仲が良いみたいだけど、ど、どういうご関係なのかな……?」


 うわっ!

 青筋を浮かべた顔を近づけないでくださいよ。

 それに、どういう関係かなんて、むしろ俺の方が聞きたいくらいだ。

 文化祭以降、真冬とは気まずい状態が続いているのだから。

 挨拶とか、最低限の会話はしてくれるのだけど、あっちに避けられている様子なのだ。

 どうして……。

 中等部に入って、まずどうにかしないといけないのは、真冬との関係性かもしれない。

 と、それは一旦置いておいて、俺も知り合いに挨拶に行きたいな。目を血走らせている雨林院会長を父様に預けて、俺は人混みをかき分けて誰かいないかなと探してみる。

 すると、目立つ金髪を見つけた。サラサラのツインテールが風で揺れている。

 亜梨沙が佇んでいた。

 ちょうど友人との会話も終わったようで、一人のようだ。


「亜梨沙さん、卒業おめでとう」

「あら、咲也さん。ご卒業おめでとうございます」


 俺が声をかけると、彼女も表情を崩した。

 お互いに頭を下げて挨拶を交わす。

 

「いよいよ中等部だな」

「そうですわね。でも、通う場所も同じですし、今までとそんなに変わるこたはありませんわよ」


 それもそうだな。


「うん、進学してもよろしくな」

「ええ。こちらこそ、よろしくお願いしますわ」


 さて、次は義弥と希空のどちらかに挨拶をしておきたいが、二人ともまだ大勢の人に囲まれている。


「あれはまだ時間がかかりますわよ。何かあれば、義弥には私から伝えておきますわ」


 こっちは姉様の取り巻きの方達が離れたら、さっさと帰る予定だし、お言葉に甘えてしまおうかな。

 多分、義弥達より姉様が解放される方が先だろうし。


「ありがとう。そしたら中等部でもよろしくと言っておいて」

「任されましたわ。ごきげんよう、咲也様」

「うん、また」


 次は希空だけど……いつの間にか会長が戻ってきて、彼女の取り巻きを威嚇している。

 父様、もっと引き止めておいてよ。

 仕方ない。人混みもはけそうにないし、後でメールを送っておこう。

 あと俺が話が出来るのは、桜川と三宮さんくらいか。友達少ないな……。

 でも、二人とも、周りを見渡しても見つからなかったので、家族のところへ戻る。

 その途中、


「……小千谷先輩」

「ご無沙汰ね」


 俺のことを待っていたのか、行く先に楓先輩が立っていた。


「悪かったわ。本当はもう少し早く会いにきたかったのだけど、人の目があるところでは目立つから……」


 そう言って、バツの悪そうな顔をした。

 いや、先輩がそんな表情をすることないのに。

 実際、俺からも謝るために接触を図ろうとしたのだけど、生徒会が風紀委員会に用というのは、この学園において予想以上に注目を集める。

 だから、何も出来なかったのは俺も同じなんです。

 でも、卒業式の後のこのタイミングなら、人も多いし、目立たない。風紀委員会は、こういう時に警備のために登校していることも多いから、この場にいても不自然ではないし、上手いこと考えたと思う。


「時間もないから、手短に要件だけ言うわ。……その、文化祭の時は、貴方が色々と裏で動いてくれたって聞いたのだけど」


 え。

 何でバレてるんだ。先生がバラしたのか。

 焦る俺とは裏腹に、先輩は落ち着いた様子で、こちらのことをじっと見ている。


「なぜ私のためにそこまでしてくれるのかは分からないけれど、でもその気持ちは嬉しかったわ。……ありがとう」


 そして、深々と頭を下げた。


「ちょ、やめてください。そんなお礼を言われることなんて俺は……」

「本当に不思議な子ね、君は。生徒会なのに、らしくない。それに言動が落ち着きすぎて、本当に初等部の子か疑わしく思うわ」


 先輩は頭を上げると、そう言って冗談っぽく笑った。

 それは自分でも反省している。

 年相応の言動が出来ればよかったんだけど、そこまでうまく立ち回れないんだよ。

 言い訳は頭に浮かぶけれど、実際に言うわけにもいかないし、下手に喋ってもボロが出そうなので黙っていると、先輩は続けた。


「まあ、それは今はどうでもいいことね。でも、お礼だけは言っておきたかったの。君がどういう意図で行動したのかは分からないのがちょっと怖いけど、生徒会に君みたいな人もいるんだと、少し見る目が変わったわ」

「……」

「これ、私の連絡先だから、何か困った時は連絡して」


 と、楓先輩は制服のポケットからメモを取り出して、俺に差し出した。

 立場上、表立って話が出来ないから、こうして風紀委員会とのホットラインが出来るのは助かるけど。

 俺は、そのメモを受け取りつつ、恐る恐るた聞いてみた。


「……先輩は、俺のことを恨んでいないんですか?」


 先輩は一瞬複雑そうな表情になった。

 しかし、すぐに元に戻ると、


「あの時のことは、私がきちんと確認せずに貴方に能力を使ってしまったわけだもの。弁解の余地もないわ。だから、貴方のおかげで私はまだ風紀委員として活動出来ているのよ」


 そう言って、俺の頭をそっと撫でた。


「もちろん、生徒会という組織は好きになれないけどね」


 苦笑しながらそう言うと、「またね」と手を振りながら人混みの中に消えていった。


「……ありがとうございました」


 俺は、もらったメモを手に握りしめ、おもむろに家族の元へ戻った。

 姉様は、ようやく解放されたようで、えらく疲れていた。


「待たせてごめんなさい。次から次へと皆来てしまって……」

「嫌味ですか?」


 大変でしたね、大丈夫ですか?

 あ、本音と建前を間違えた。


「咲也、貴方ね……」

「……失礼。ともかく、また姉様が捕まる前に帰りましょう」

「……もう。まあいいわ」

「そうだな、では帰ろうか」


 父様の言葉を合図に、家族四人揃って駐車場へ向かった。

 

 帰りの車の中で、過ぎ去っていく景色を眺めながら、俺は思いを馳せる。

 これからが、本番だ。

 心機一転、頑張って高等部卒業へ頑張っていこう。

 あ、その前に。

 まずは真冬との関係を修復しないと。

 ふと、彼女からもらった紙袋の中を見る。

 お菓子に添えられていた薄桃色の花が、かさりと揺れていた。

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