第75話 確執
風紀委員会と名乗った少女は、登場するや強い口調でこう言い放った。
「風紀委員室へ連行されたくなければ、すぐに解散しなさい」
すると、しんと静まり返っていた野次馬連中が、糸の切れたようにわっと動き出し、あっという間に散開していった。
残ったのは、希空に挑戦中の強者だけだ。
すごいな。
風紀委員会の堂々とした佇まいに、思わず感心してしまったが、そうじゃない。きちんとお礼を言わないと。
俺は一歩前に出て、彼女へ頭を下げた。
「ありがとうございます。助かりました」
「いいのよ——って、生徒会!?」
しかし、少女は警戒心を剥き出しにしたまま、臨戦態勢に入ってしまった。おまけに、親指と人差し指で銃の形を作ると、その銃口をこちらへ素早く向けてきた。
まるで、俺に何かを打ち出そうとしているような——
「咲也先輩、危ない!」
「え?」
真冬の叫ぶような声が聞こえたが、咄嗟のことで身体は動かなかった。
やられる、と思った次の瞬間、俺の身体は何かに優しく包み込まれた。
視界が真っ暗になる。
一瞬、何が起こったのか分からなかったが、どうやら真冬が能力を使って俺を守ろうとしてくれたらしい。
思えば、この世界で真冬の能力を生で見たのは、これが初めてだ。
闇の中は、ぬるま湯に浸かっているような感覚に近い気がした。前後左右も区別のつかない不思議な感覚だが、不快感は全くない。むしろ優しく抱き込まれているようで居心地が良いくらいだ。
実際に闇に呑まれると、こんな感じなのかしら?
と、感想を言っている場合じゃないね。
こうして俺が闇の能力で守られている状況から察するに、あの風紀委員の少女は何か能力を使ったのだろう。
それを庇うために、真冬は咄嗟に闇を作り出し、俺を庇ってくれたのだ。
まさか、助けてもらえるとは。いや、憎からず思われているとは思っていたけれど、原作ならば俺を殺すはずの能力だもの。いざ、こうして守ってもらえている状況は、一抹の感動を覚える。
それから程なくして、闇は溶けるように消えた。
闇の中にいたので、日差しの眩しさに思わず目を細めてしまう。瞼を擦りながら、ゆっくり辺りを見回すと、険しい顔で前を見据える真冬を見つけた。彼女と向かい合っている風紀委員の少女は、人差し指を下に向けて突き出している。
指先からは煙が上がっており、まるで銃弾を発射した後の銃口のようだった。
少し先にの地面から土煙が上がっているから、多分あそこに着弾したのだろう。
つまり、俺に対して何かしらの能力を使おうとしたのは間違いなさそうだが、咄嗟に当たらないよう標的をずらしたのだ。
悪い子ではないのかもしれない。
「いきなり何をするんですか!」
しかし、真冬は普段の落ち着きは見る影もなく、向かい合う風紀委員の少女へ怒声をあげた。珍しく、激昂している。
こんな真冬を見るのは初めてだ。
ものすごい剣幕に、さすがの少女も慌てたような表情になった。
「ご、ごめ……いえ、そ、そこの生徒会がいきなり突っ込んでくるからよ!」
「え?」
礼を述べるために一歩出ただけだけど。
というか、一瞬謝りかけなかった?
咄嗟の判断で能力が俺に当たらないようにしているところ見ると、彼女だって、話を聞かずに無抵抗の人に能力を使ったことは悪いことだと分かっているはず。
謝ればそこで終わりなのに。
いや、風紀委員会は違うのか。
きっと、生徒会メンバーを前にして、反射的に言葉が出てきてしまったに違いない。
それだけ、生徒会と風紀委員会には確執が強く残っているのだ。
素直に謝ることも難しいとは、悲しい話だ。
とはいえ。
「いくら風紀委員といえ、事情も聞かずに生徒会相手というだけで能力を使うのは、あまり褒められたことではないと思いますよ」
話も聞かずに手を出してきたこと自体は反省してほしいので、チクリと刺してやる。
人混みが出来る原因を作ったのはこちらだし、それ自体は悪いことだと思っているから、これ以上は言わないけど。
「それは……」
言い返そうと口を開いた少女だったが、語気が尻すぼみになっていき、やがて静かになった。
今更だけど、この子、見覚えがあるんだよね。おそらく、原作にも登場している。
いかんせん思い出せないのが面映いけど、一旦置いておく。
まずは、目の前の一触即発の空気をどうにかしないと。
「真冬さん、とりあえず落ち着こう」
風紀委員の子は生徒会である俺の話を聞いてくれるか分からないので、まずは真冬を宥めようと声をかける。
「でも、この人、咲也先輩を……っ」
ダメそう。
すごく殺気立っています。
まるでご主人を必死に守る番犬のようだ。
初等部でもトップクラスの美少女にここまで慕われて、男冥利には尽きるけれども、話が進まないと困るのよ。
「気持ちは嬉しいけど、おかげ様で俺は傷一つないからね。大丈夫だよ。それに、いつまでもここで睨み合ってても、お店に迷惑でしょ?」
「それは……そうですけど」
「だから、一旦落ち着こう?」
真冬を近くの椅子に座らせる。
おっと、そうだ。
「綾小路君、申し訳ないけど、生徒会室へ行って、役員の人に軽く事情を説明してきてもらえる?」
さらに、「真冬が落ち着いたら、追って生徒会室へ向かうから、何があったか詳細はぼかして伝えて欲しい」旨も付け加える。
「分かりました。あの、先輩、本当に大丈夫ですか?」
「ああ。心配かけて悪いね。ありがとう」
「いえいえ、他ならぬ明前先輩の頼みですからね」
綾小路君は口の端を吊り上げて笑うと、中央棟の方へ小走りで向かっていった。理解が早くて、聡明な子だ。
高学年になってからはリーダーシップも発揮してきていると聞くし、きっと彼は将来生徒会でも役職付きになるんだろうな。
徐々に小さくなっていく後ろ姿を眺めながら、そんなことを考えた。
「……咲也、本当に大丈夫なの?」
不意に、いつの間にか隣にいた姉様が、心配そうに尋ねてきた。
瞳が、不安げに揺れている。
しまったな。
不要な心配をかけてしまった。
「ええ、俺は全くの無傷です。心配をかけてごめんなさい、姉様」
「そう。無事ならよかった……」
俺の言葉に多少は安堵したらしい姉様は、ふらふらと歩いて真冬の隣に座った。
こんな姉様は初めて見た。
心配かけてごめんなさい。
罪悪感がヤバいや。
さて。この状況、どうしたものか。
周りの注目も大きくなっているようだ。
大事にはしたくなかったけど、もうここまできたら内々で処理するのは難しいだろう。
仕方ないね。俺も腹を括ろう。
ちらりと、目だけ動かして、原因の一端である風紀委員の少女を一瞥する。
彼女は、最初の威勢の良さはどこへやら、所在なさげに視線を彷徨わせている。戦意はなさそうだから、もう少し放っておいて大丈夫だな。
まずは真冬だ。
俺はその場にしゃがみ込み、座っている彼女と視線を合わせる。
「少しは落ち着いたかな?」
「……ええ。ちょっとだけ、ですけど」
「俺と会話が出来るなら大丈夫だ。そういえば、さっき言い忘れていたんだけど」
途端、何を言われるのかと彼女は体を強張らせた。
別に取って食いやしないから……。
そうじゃなくてね。
「助けてくれてありがとう。助かったよ」
初めにお礼は言わないとね。
あんなにすごい剣幕で、俺のことを助けようとしてくれたのだから。
それに。
「闇の能力に呑まれた時の感触は新鮮で、とても興味深かった」
「……あの、私、咲也先輩に能力のこと話したことありました?」
「え!?」
あれ、聞いてなかったっけ?
何とか誤魔化さないと!
「いやあ〜、どこかで聞いたと思うんだけどな……」
「そうでしたっけ?」
「そうですとも!」
「……でしたら、いいですけど」
誤魔化せたかな……?
危ない危ない。
「……私の能力のことを興味深いなんて、……本当に不思議な人」
ふと、真冬がぼそりと呟いた。
何を言うんだ。
たしかに俺は、原作の記憶があるからこそ君の能力の恐ろしさを知っているけど、闇の中があんなに居心地の良い空間だなんて知らなかったよ。
俺の熱意が届いたのか届いていないのか、とりあえず彼女は落ち着きを取り戻してきたようだ。
不思議と機嫌も良くなっていた。
今は、これで良いのかな。
さて、次だ。
俺は、風紀委員の少女へ視線を向ける。
「先輩」
「……何?」
訝しげな表情を返された。
無理もないけど、今はそれは置いて、後のためにきちんと示し合わせておかないといけないことがある。
「今回の騒動の件ですけど、俺は生徒会も風紀委員会も、お互いに悪いところがあったと思っています」
「……見方によってはそうとも言えるかもね」
「だから、この場で双方謝罪して、当人同士の間では手打ちとしたことにしませんか?」
「何ですって?」
信じられないものを見るような目を向けられた。
でも、彼女も言ったように、この状況は見方を変えればどっちが悪いとも言えるのだ。
生徒会は、人だかりを作って混乱を招きそうになってしまったこと。
風紀委員会は、事実の確認をせずに俺に対して能力を使ったこと。
これを利用して、喧嘩両成敗の方向へ持っていく。
やったことの度合いを見ると、対人に危害を与えかけた後者の方がやばい気はするけど、物は言い様だ。
うまく話をぼかせば、どっちもどっちに聞こえる。
「でも、貴方には何も得がないじゃない……」
「ありますよ。俺は、事を大きくしたくないんです。ここで先輩が首を縦に振ってくれないと、多分生徒会は風紀委員会に正式に抗議しにいきますよ」
これが問題だ。
初等部生とはいえ、玲明でも指折りの名家である明前家の子息に対して、能力を使って攻撃をしかけたなんて、本当にやばいことになりかねない。
良くても退学だろう。
そんなの俺は望んでいない。
幸い、人混みは散った後だったので、実際にその場面を目撃した生徒は多くない。今、集まっている野次馬も、少女が能力を使ったところは見ていないのだ。
彼女も、すんでのところで照準を下にずらして俺に当たらないようにしてくれたから、「当てるつもりはなかったが、能力が暴発した」ことにでもしてしまえばいい。
当の本人である俺にも怪我はないからね。
あとは口裏さえ合わせれば、ひとまずこの場は収められる……はず。
目の前の少女が退学になるのは避けたい。あまりに夢見が悪い。
「私はそれだけのことをしたのよ。なのに、甘いわね、貴方」
「目立ちたくないだけです」
「貴方は、生徒会らしくないわね」
「俺みたいなのも生徒会にはいるんです。きっと、お互いに見ようとしていない部分とかがあるんだと思いますよ」
「そうかもね。あの、ありがとう。……恥を忍んで言うけど、ここは貴方の言う通りにさせてもらうわ。今回は、確かめもせず本当にごめんなさい」
そう言って、彼女は深く頭を下げた。セミロングの髪がふわりと揺れる。
「こちらこそ、楽しい文化祭なのに混乱を招くような状況を作ってしまい、申し訳ありませんでした」
俺も、続いてお辞儀した。
当事者同士は、これで一応丸く収まった。
後は、生徒会への事情説明だな。
しばしお互いに低頭していたが、やがて彼女は姿勢を直し、踵を返した。
「それじゃあ、私も風紀委員会へ報告に行かないといけないから、戻るわ」
途中、何か言い忘れたのか立ち止まり、こちらを振り返る。
「忘れていたけど、私は中等部一年生の小千谷楓(おぢやかえで)。この借りは必ず返すわ」
「初等部六年生の明前咲也です」
「知ってるわよ」
小千谷先輩は、ふっと柔らかく笑うと、「ありがとう」と最後にもう一度お礼を言い残して、校舎の方へ消えていった。
「はあ〜」
緊張した。もうどうしようかと思ったよ。
大きく安堵の息を吐く。
残すは対生徒会だ。
不思議なことに、あんなにお腹が空いていたはずなのに、何も食べられる気がしない。
後のことを考えると、お腹がキリキリしてくるのだけど、綾小路君を待たせているし、さったさと生徒会室へ行こう。
真冬と姉様に声をかけようとした時だ。後ろから透き通る声に呼び止められた。
「咲也様、何やら騒がしかったですけど、何があったのですか?」
希空だった。
すっかり忘れていた——って、え?
冗談だよね?
君、この状況でずっと蕎麦食ってたの?
たらふく食べたらしく、ニコニコと笑顔を浮かべ、「新記録だそうです」と控えめにピースをしているのが、また可愛らしくて憎めない。
あなた、原作では実の妹から殺したいほど憎まれてるんですけど、このままで大丈夫?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます