第74話
結論から言うと、人だかりが出来ていたことと、真冬のSOSの理由は、希空だった。
人混みの出来ているあの区画に何があるかと思ったら、「わんこそば」の出店があった。産地にこだわり抜いた蕎麦粉と小麦を使った、喉ごしなめらかな蕎麦を出してくれることで有名だ。
面白いのは、食べた杯数の歴代上位3名は、店内に写真と名前が掲載されることになっていることで、一位のところには、顔も名前も知らない昔の先輩の名前が鎮座している。
もう分かったと思う。
そう、フードファイター希空だったんです。
困り果てた表情でやってきた真冬から事情を聞くと、わんこそばの出店の前を通った時、何を思ったのか突然「面白そうじゃないですか。私、これに挑戦してみたいです」と言い出したのだそうだ。
一応言っておくと、わんこそばの出店は大食い大会的なコンセプトでやっているわけではない。テーブルマナーの授業もあるような学校だから、当然食べ物をかきこむようなことはしないよう店から注意喚起がなされている。
それに、他にも豊富な食べ物を取り扱う出店があるので、これまでの挑戦者達もそこまで本気で挑んでいたわけではないそうだ。
だからなのだろう。
突如現れて、あっという間にそばを平らげていく希空は、大層目立った。
本人の名誉のため言っておくけど、希空の食べ方はとても優雅である。流れる様に、見る者を釘付けにする所作で、いつの間にかお椀から蕎麦がなくなっていくのだ。
結果、ものすごい美人がわんこそばを怒涛の勢いで食べ進めているという口コミが広がり、その様子を見に来た男子生徒達で人混みが形成されてしまったらしい。中には、非公式ファンクラブの面々もいるようだ。
「姉様も、予想以上に注目されてしまい、引くに引けなくなってしまったみたいで、やめ時が分からず困っていたんです」
「ええ……」
食べられないではなく、やめ時が分からないなのか……。
人混みで希空の様子は窺い知れないから、実際のところは分からないが、お腹が一杯になったら端が止まるだろうから、真冬の言っていることは多分本当なのだ。
フードファイター希空にはこの程度、造作もないということだ。
「すみません、明前先輩」
「あれ、綾小路君」
真冬の後ろからぬっと綾小路君が現れた。
君もいたのか。雨林院姉妹と綾小路君の三人で回っていたのかな。珍しい面子だ。
「さっき、たまたま一緒になったんです。私は今日、ずっと姉様と回る予定でしたから」
「そうなんだ」
「そうなんですよ?」
意味深に真冬が笑う。
どういうことか気になったが、深掘りはしない方が賢明な気がした。
さて。綾小路君はというと、初等部五年生になって背も少しずつ伸びてきたので、生徒会らしい風格を備えつつあった。幼さはまだ残るものの、顔つきに精悍さも滲み出てきたように思う。
普段から生徒会で会ってはいるんだけどね。こういう、生徒会の外で会うと、また雰囲気は違って感じるよね。
クラスでは、義弥みたくモテてるんだろうな。けっ。
俺は心の中で毒づいた。
……いけない。後輩に対してそんなこと考えるなんて。反省しないと。
「真冬さんの言う通りです。先程、中庭にきたら、何やらすごい人だかりだったので、興味本位で見に来たんです。そしたら、真冬さんが困っていたので力になりたかったのですが、能力のない僕ではどうにも出来なくて」
と、綾小路君は、不甲斐なさを恥じるように俯いた。
たしかに、この集団は中庭の中でかなり目を引く。綾小路君みたいに、気になってやってきた人が一人、また一人と増えていき、これは形成されていったのかな。
俺は、綾小路君に「気にするな」と伝えて、肩をぽんぽんと軽く叩いた。
能力のあるなしに関係なく、一人や二人では、この状況をどうにかするなんて出来ないと思うよ。
というか、
「この人だかりで、お店は大丈夫なのかな。あんまり騒ぐと迷惑なんじゃ……」
「実は、それなんですけど」
と、綾小路君が説明をしてくれた。
曰く、未だペースを落とさずに食べ続ける希空の記録に並ぶことで、彼女に顔を覚えてもらおうと、下心ある男子生徒達がこぞってわんこそばに挑戦しているらしい。
客が絶え間なく来てくれる、一種のフィーバー状態なので、お店としてはそこまで困ってはいないようだ。そもそも学校の文化祭に出しているわけだから、あまり収支を気にすることはないんだろうけど。こういうのって学校から頼まれて出しているのだろうし。
希空は希空で今も食べ続けているらしく、なんとそろそろ50杯に届こうというところらしい。女性の平均値って30〜60杯らしいから、この時点で結構驚くべき量を食べていることが分かる。
「咲也といい、あなた達の学年はたくさん食べる子が多いわね」
「ちょっと、俺は美味しいものが食べたいだけで、希空さんほど食べられませんよ」
食い意地なんて張ってないと、姉様に抗議する。
すると、綾小路君が苦笑いしている。
「実は、僕も挑戦してみたんですけど、16杯でお腹一杯になってしまいました」
「君も挑戦したんかい」
思わず突っ込んでしまった。
お茶目か。
意外な一面もあるものだ。
「そういうわけなので、店側は繁盛しているんです。むしろ、話題が話題を生んでくれると、雨林院先輩への期待感が大きくなっているみたいです。それを節々から感じているから、先輩もやめるにやめられなくなっているみたいです」
「なるほどね……」
どうしようか。
手っ取り早いのは、高等部の生徒会を呼んでくることだ。
あまり目立ちたくないんだけど、このまま希空や真冬のことは放っておけないし、かといって俺達だけではこの人混みをどうすることも出来ない。
死亡回避という目標はあるけども、今の俺は融和路線を選んだのだから、ここで見捨てる選択肢はあり得ない。
大丈夫。
初等部での六年間、彼等と敵対なんて全くせずに過ごしてきたのだから。
よし。
そうして、生徒会を呼びに行こうとした時だった。
「何ですか、この人だかりは!?」
後方から凛と響き渡る女性の声がした。
一拍置いて、辺りがしんとなる。すごいな。あんなにうるさかったのに。
先生が来たのだろうか。
そう思っていると、
「はあ、面倒なのが来たわね」
隣で姉様が、溜息を吐いた音が聞こえて来た。反対側に立っている真冬と綾小路君も、驚いているのか、振り向いたまま息を呑んでいる。
何だか、先生が来たのとは違った緊張感が漂っている。
俺は、少し遅れて声の方へ振り向き、すぐに理解した。
栗色のセミロング。
ヘアピンできちっと分けられた前髪と、ピシッとした制服の着こなしが、本人の真面目な性格を窺わせる。
その姿には見覚えがあった。
「——風紀委員会です。これは何の騒ぎですか?」
まさか、風紀委員会にこんなタイミングで出会うとはね。
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