第66話

 少しずつ暑くなり始めた季節。

 放課後に中央棟への渡り廊下を歩いていると、反対側から知っている顔が一人で歩いてきた。


「こんにちは、三宮さん」

「ひゅっ!」


 三宮さんは、空気が抜ける時のような音を出しながら固まった。


「ひゅ?」

「い、いえ! ごきげんよう、明前様!」


 慌てて取り繕った三宮さんは、ピンと背筋を伸ばしながら深々と頭を下げた。サイドテールの尻尾がぶらんと揺れている。

 いやいや、そんなに怖がらなくても!

 慌てて頭を上げてもらう。

 それより、


「様付けなんてやめてくれ。同級生なんだから、呼び捨てでいいよ」


 これはずっと思っていたんだけど、この学校の生徒って、生徒会メンバーのことを様付けで呼ぶことが多いのだ。一般生徒の中では通例らしく、希空や銀水兄妹も同様に呼ばれているけれど、俺はあまり好ましく思っていない。

 だって、偉いのは家柄であって、俺達じゃないんだから。

 何度か周りにやめてと言ってみたけど、「他の人が呼んでるのに自分だけ変えることは出来ない」と、聞き入れてもらえなかった。

 多分、もう少し仲が良ければ聞き入れてもらえたのだろう。希空とか、親しい友人からはさん付けで呼ばれたり、呼び捨てされているのを聞いたことがあるし。


「そんなワケにはいきません! 明前様を呼び捨てだなんて、お、恐れ多いです!」


 三宮さんが首をぶんぶん横に振っている。はっきりとは言わないが、彼女も他の子達と同じ理由なのだろう。

 無理強いするのも嫌なので、話題を変えた。


「えっと、三宮さんはこれから帰り?」

「はい、ちょっと図書室へ行っていたんですけど、今日は習い事がある日なので……」


 そう言って、彼女はチラリと自分の持っている手提げ袋に目線を注いだ。きっと、その中に習い事で使う道具が入っているのだろう。

 中は見えないけれど、そんなに大きくないので、塾のテキストかピアノとかの楽譜ってところだろうか。

 あ、俺も明日は習い事の日だ。家帰ったら前回習った場所の予習をしておかないと。

 仕方ない。今日はサロンには顔だけ出して、すぐ帰ろう。


「それは大変だな。じゃあ、頑張って——」


 あまり引き留めてもと思い、彼女と別れようとした、その時だ。


「よう、キング。ご機嫌麗しゅう」

「げ」


 桜川が三宮さんの後ろからやってきた。

 どこから来たんですか。

 そう思ったのも束の間。

 意外にも、すでに半分以上俺に背を向けて帰ろうとしていた三宮さんが、桜川に親しげに話しかけたのだ。


「あ、桜川君。ごきげんよう」

「おう。珍しい組み合わせだ。キングにセクハラでもされてたのかい?」

「セ、セクハラなんてされてないよ!」

「そうか。このお方はギャルがお好きだからな、三宮は対象外だったか」


 おい。ギャルの件はもうやめて。

 三宮さんもちょっと後退りするのはやめてくれる?

 というか、


「なんか、仲良さげ?」


 思わず尋ねる。

 君達、仲良いね?


「目玉はちゃんとついてるか、キング。俺達は、強いて言えば、ちょっとした腐れ縁ってとこさ」

「桜川君とは幼稚園が同じだったんです」

「なるほどね〜」


 腐れ縁ね〜。

 本当にそれだけなのかな?

 ギャルゲーばかりやるようになってしまった桜川にも、こうして話しかけてくれる女子がいたとは。


「変な勘繰りとかしても無駄だよ。俺達の間には、何も面白いことなんてないんでね。今の俺には、アザレアがいればそれでいい」

「何も言ってないだろ。というか、アザレアって……あ、やっぱり何でもないです」

「良い質問だよ。キングも『マカロン』のアザレアについて話がしたかったんでしょう?」


 やっちゃったよ……。

 つい「アザレアって何」と言いかけたのてわ、慌てて言葉を飲み込んだのに、めざとく気づかれてしまった。

 結局、今やっているギャルゲーの名前が『マカロン』であり、メインヒロインの名前が『阿佐美クレア』だから、ファンの間ではアザレアと呼ばれているということをペラペラとご教授いただいた。

 いや、教えてくれとも言ってないのに、どれだけ熱弁するんですか。

 ……設定を聞いていたら少し興味は持ったけどさ。


「というか、桜川は何してたんだ」


 放課後なのにカバンも持たずに。

 どこかへ行く途中だったのだろうか。


「俺は暇だったから、泉に行こうとしただけさ」

「何だ、三宮さんと一緒に来たのかと思ったよ」

「……見当違いも甚だしいよ、キング」


 ハッ、と鼻で笑われた。

 ちなみに、「泉」っていうのは、俺達が最初に知り合ったあの池のことです。

 そうです。この人、なぜかあの場所のこと「泉」っていうんですよ。ちょっと早い厨二病なんでしょうかね。

 桜川は、放課後にはよくあそこへ仮眠をとりに行っているようだ。日陰だから、夏場でもそれなりに涼しいので、結構居心地いいんだよ。俺もたまに一人になりたい時に行くことがある。

 授業をサボってまで行かない辺り、腐っても玲明生だなとは思うけれど。


「まあいいや。何だか邪魔しても悪いし、俺は行くよ。それじゃあな。三宮さんも、習い事頑張って」


 二人の邪魔をしても悪いし、早く帰って明日の予習をしないと。


「はい。明前様、ごきげんよう。話しかけてくださってありがとうございました」

「じゃあな、キング」


 俺は二人と別れ、中央棟のサロンを目指す。

 ……あれ?

 そういえばさっき、桜川って池に行こうとしていたと言ったけど、真逆の方向である中央棟の方から来なかったっけ?

 実は別の場所に行ってたのかな。

 まあ、いいか。

 気にしても仕方ない。

 誰にだって、言いたくないことの一つや二つあるものだしね〜。

 俺はそう思い直すと、湧き上がった疑念を払い、駐車場へと向かった。


 ……そう、誰にだって言いたくないことはある。

 だから、その日の帰り道、車の中でそっと携帯をいじり、『マカロン』の公式ホームページをのぞいてみたことは、誰にも言えない秘密なのだ。うん。

 アザレアは、どことなく真冬に似ている気がした。

 テレビを買ってもらったら、試しに買ってみるか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る