第60話

 さてと、義弥の能力を使って、いよいよホットケーキを焼くところまできた。

 フライパンとコンロ(義弥)は一つしかないので、まず俺がお手本を見せてから、亜梨沙と希空が交互に焼いていくという流れになった。

 タネとフライパンを持ち、換気扇のある流し台まで移動すると、


「それじゃ、俺がお手本としてまず焼いてみるから、それを参考にしてね」

「分かりましたわ」

「分かりました」


 二人とも素直に頷く。


「義弥、中火で頼む。まずは、フライパンを熱して……こう、濡れ布巾に乗せて一瞬冷ます」


 フライパンを濡れ布巾の上に置くと、ジュウといい音が響く。


「次は弱火で頼む。……そしたら、タネをおたまですくって、フライパンへ流し込む。この時、なるべく高いところから入れる。その方が、綺麗な丸に作れるんだ。でも、無理すると外にタネが飛ぶから、程々にね」

「あら……すごい! 咲也さんお上手ですのね! 私も早くやってみたいですわ!」

「美味しそう! 早く私もやってみたいです!」

「二人とも、焦らないでくれ。さあ、フライパンにタネを流し込んだ。後はこのまま三分ほど焼く」


 流し込んだタネの様子をじっと見守る。

 後ろでは、亜梨沙と希空がワイキャイとはしゃいでいる。存外、楽しんでくれているようで何よりである。


「三分焼いたら裏返しますの?」

「ああ。といっても、三分きっちりじゃなくていいんだ。そのくらい焼いていると、表面にぷつぷつと小さな穴が空いてくる。それが裏返す合図というわけよ」

「なるほど。感覚みたいなものなんですのね。うまく出来るまで時間がかかりそうですわ」


 亜梨沙は、そんな俺の話を聞いて以降、横でじっとフライパンを見つめている。どのくらいでひっくり返せばいいのか、その時のタネの様子はいか程か、見逃すまいといった佇まいだ。

 こういうところは年齢相応か、少し幼いくらいであると感じて微笑ましい。

 隣の希空も、そんな彼女の仕草にクスリと笑みをこぼした。


「そんなじっと見られると、妹といえ恥ずかしいな」

「義弥は見てませんわよ」


 時折、そんな亜梨沙をからかうように義弥がおどけるので、その度にジトっとした視線が向けられている。

 平和だ。

 さて。フライパンに目線を落とすと、いい具合にタネに穴が空いてきた。

 そろそろだろうか。


「よし。じゃあ、いよいよひっくり返そう」


 俺は片手にフライ返しを持ち、ホットケーキの端に差し入れる。


「よく見ていてくれ。こうして……一気にひっくり返す!」


 そして、フライパンを動かしながらひっくり返そうと、したのだけど。


「…………」


 真ん中で千切れてしまい、ひっくり返らなかったばかりか、まだ生焼けだったタネがフライパンになだれ込んでしまった。


「……」


 はい。失敗しました。

 ええ、失敗ですとも。

 本番に弱い明前咲也がまた出ましたよ。頭の中が真っ白になりそうになるが——

 ダメだ。

 今日の俺は、ホットケーキ作りの講師なのだ。ただでは転んではいけない。

 正気に戻った俺は、急いでひっくり返らなかった生地の半身を裏返し(この時にさらに分解して、ぐちゃっとしてしまったことを申し添えておきます)、片割れに合体させる。そして、飛び散ったタネを、もんじゃ焼きの土手を作る時のようにかき寄せた。


「よし!」

「いや、よしじゃないですわ」

「ぷっ、さ、咲也様……」


 亜梨沙のツッコミも、希空の吹き出した笑い声も聞こえないフリをする。

 これは、二人が失敗した時のことを考えて、ひっくり返せなかった場合はこうしてリカバリー出来るんですよと身をもって教えて差し上げたのです。

 本当です。

 と、そんな言い訳をしている場合じゃなかった。

 ひっくり返し損ねた時、タネが義弥の腕にも飛んでしまっていたのだ。

 謝らないと。


「義弥、ごめん。大丈夫か?」

「うん、この能力のおかげで、熱いものには強く出来ているからね」


 え。そうなんだ。

 炎の能力ってそういう仕様なの?


「能力のおかげで、常に皮膚に熱気がまとわりついている状態だからね。おかげで僕は、熱いものも平然と触れるってわけ」


 すごいな。

 通りで、義弥の近くにいるとほのかに暑いわけだ。薄々気づいてはいたけどさ。


「そうなのか。火傷とかしてないならよかった」

「それに、こんなこともあろうかと、腕周りを薄い炎で覆っておいたからね。飛んだタネも制服や皮膚に付着する前に消し炭になってるよ」


 あ、そう。

 随分器用な使い方をしてるな。

 彼の腕を見ると、たしかにさっきフライパンから飛んだはずのタネは見当たらない。

 というか、それ俺たちが不用心に義弥の腕を触ったら火傷してたんじゃないの……?

 怖いっ!

 やっぱりホットプレートとかこっそり買えばよかったかな。

 家には家庭用のホットプレートなんてものはなかったので、母様に買ってもいいか聞いてみたのだが、却下されてしまった。

 曰く、「私は本来、そういうのはまだ早いと思っているの。だから、反対はしないけれど、新しくそのための器材を買うのは許可出来ません」とのこと。

 だから、無い知恵を絞って義弥に行き着いたというのに。

 基本情報はゲームの知識があったし、何となく怖くて本人からは能力について聞かないようにしていたのだけど、まさかこんな火だるま(字面通り)だとは……。

 戦々恐々としている俺をよそに、義弥は続けて言った。


「てっきり僕は、ひっくり返すのに失敗するのは亜梨沙だと思っていたんだけど、まさか咲也先生がやるとはね」

「……」


 悔しいが、何も言い返せなかった。


「義弥とは後でじっくりと話をする必要がありそうですけれど、内容には同意しますわ。咲也先生ほどのお方でも、ご失敗をなさいますのね?」


 亜梨沙も、追随してニヤニヤと嬉しそうに笑っている。おそらく、失敗するのは自分だけだと思っていただろうから。俺が失敗したことで、思わぬ収穫があったと喜んでいるな。

 でも言い返せません。

 悔しい。誰か……。

 そうだ、ノアえもん!

 縋るように彼女を見ると、笑いを堪えて全身を震わせていた。いつも通り、希空は俺の失敗がツボだった。


「……」


 結局、双子に散々からかわれるわ、出来たホットケーキはボロボロだわで、何とも示しのつかない結果になってしまった。

 次は、亜梨沙の番だ。


「で、では、やりますわよ」


 声だけは緊張しているようだったが、俺が失敗している姿を見ているからだろう、肩の力を抜いて挑戦出来ていた。結果、初めてにしてはそれなりに綺麗にタネをひっくり返し、少し歪な楕円形のホットケーキが完成した。


「ふふ。どうやら、私にはホットケーキ作りのセンスがあるのかもしれませんわね?」


 このドヤ顔である。可愛いけど。

 というか、君のだって歪な楕円なんだからね。初めてにしてはよく出来てるとは思うけど、大成功とは言いがたいんですが?

 しかし、俺に反論する権利はない。

 なぜなら、スクランブルエッグならぬ、スクランブルホットケーキミックスを作ってしまったから……。

 意気消沈した俺とドヤ顔で作った料理を見せびらかす亜梨沙を尻目に、いよいよ希空がフライパンを持った。


「上手に出来るか分からないですけれど、失敗しても笑わないでくださいね?」

「気楽にね、希空さん」


 俺より下なんてことにはならないんだから。


「そうですわ。もし上手く出来なくても、私が教えて差し上げてよ、希空」


 いや、君はどうしてそんな大きく出られるんだよ。楕円のくせに。


「あら、ではその時はお言葉に甘えますね」


 ご覧の通り、希空からは、姉が妹に接するような態度で簡単にあしらわれているけどね。ここでも、彼女は大人だった。

 君、本当に小学生なの?


 数分後。


「……」

「……」


 俺と亜梨沙は、黙りこくっていた。


「僕は、この展開がくると予想していたよ」


 義弥が肩をすくめた。

 そう。今、俺達の目の前には、綺麗な円形に、きつね色の焼き目がとても美味しそうなザ・ホットケーキが皿に盛られていたのだ。

 よくお店の前に飾られている、ダミーのホットケーキみたいな綺麗さだった。

 うん、義弥の言う通り、俺も何となく予想はしていたよ。

 きっとこういうオチなんだろうって。

 亜梨沙なんて、もう悔しさもない、ぽかんと口を開けたまま皿の上のホットケーキを見ている。


「あら? 私、何かやってしまいましたか?」


 くそう!

 どうして、この子は何でもかんでも上手く出来ちゃうんだよ!

 と、文句の一つでも言ってやろうと思ったのだが、余計惨めになるだけだし、堪えた。

 気を取り直して、料理再開だ。

 その後は、用意した材料で作れるだけのホットケーキを作り、それから試食会としゃれこんだ。

 皆は、俺が家から持参してきたメープルシロップやバター等を使って、思い思いのトッピングをして食べていた。途中、ベストな組み合わせを皆で探したりして、大いに盛り上がった。

 そして、やはり希空はフードファイターだった。詳しくは本人の名誉のために語らないけどね。

 それにしても。

 すごく楽しい!

 ちなみに俺は、ホットケーキにはケチャップをかけて食べるのが好きなのだけど、誰も分かってくれなかった。

 というか、引かれた。

 何でよ。

 なお、亜梨沙は、


「自分で作るというのは斬新で楽しめましたが、私を納得させるにはまだ弱いですわね」


 と宣っていた。

 海外から輸入した高級なメープルシロップを贅沢に使い、大口開けて頬張っていたのにね。

 こっそり写真撮っておけばよかったな。そうすれば何かあった時に交渉材料に出来たのに。

 ちっ。

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