第59話
「というわけで、義弥に火を起こしてもらい、ホットケーキを作ります」
まずは、下準備からだ。
「きちんと手を洗ってな」
俺が促すと、二人は素直に頷いて流し台の方へ歩いていく。順番に手を洗ってもらい、事前に持ってくるよう伝えていたエプロンを装着してもらった。中々似合っている。やはり、容姿の整っている人は何を着ても似合うのだろう。
エプロンといえば、原作でも防具としてあったんだよね。たしか、装備すると炎耐性がつくのだ。現実では、汚れを防ぐのが精々で耐火性はないけどね。
「よし、じゃあまずはタネを作っていこう」
「タネ?」
亜梨沙が首を傾げる。
「生地のことをタネというんだ」
「そうなんですのね。では、それはどうすれば作れますの?」
「これからご説明しますよ、亜梨沙さん。まずは、今日持ってきたものの紹介だ」
だから焦りなさんな。
机の上に用意してある材料達の説明をさらっと済ませる。ついでに調理器具も、それがどういうもので、何に使うのかを一つずつ解説してあげた。
亜梨沙は、ふんふんと首を縦に振って相槌を打ちながら、話を聞いていた。
「じゃあ、あらためてタネを作っていこう。まずは、ボウルに牛乳と卵を入れて、混ぜてみようか」
初めに、俺がお手本を見せる。
卵を一つ、机の角で割ってボウルへ入れた。
すると、亜梨沙は恐る恐るといった動きで、卵を机の角にぶつけ出したが、力が弱すぎて、中々ヒビが入らないようだった。
普段から料理をすることはないだろうから、仕方ないけどね。
あ、勢いをつけすぎた亜梨沙の卵が思い切り角にぶつかって割れてしまった。……まあ、殻が飛んだくらいで中身は無事っぽいから大丈夫か。
「これは、力加減が難しいですわ」
「亜梨沙様、扉を軽くノックする感覚でやるとうまくいきますよ」
対照的に、希空はテキパキと材料をボウルへ入れてかき混ぜ始めている。
この手つき、普段から料理をしているのかもしれない。
同じことを思ったのか、
「希空さんは、随分手慣れているね」
義弥がそう尋ねると、
「あまりこういった経験はありませんけれど、こうかな? とやってみたら意外といけました」
「…………」
サラリと答える希空と、横でバツの悪そうな顔をしている亜梨沙。
「すごいね。亜梨沙も頑張らないとね?」
「……言われなくても、分かっていますわ」
彼女は憮然としながら答える。
頬を膨らませながら、飛び散った殻を集めると、希空に一歩遅れて材料をかき混ぜる作業へと移っていった。
はあ。
義弥には、もう少し妹のフォローに回ってもらいたいものだ。いつも口を開けば煽ることばかり言うんだから。
おかげで、すっかりムキになってしまっているじゃないか。ああ……そんな強くかき混ぜなくていいのに。もう。
どうしたものかなあ。
こういう時は、下手にご機嫌取りをしては逆効果な気がする。
それに、せっかく亜梨沙が頑張って料理を作ろうとしているのだから、今はその動向を見守っていよう。
万が一間違っていたら、その時はさりげなく軌道修正するなりすればいい。
それによって、彼女の料理スキルが上がれば、まわり回って俺の胃が救われるのだ。
運動会、栄養ドリンク……うっ。
だめだ。考えては。
深呼吸。
さて、そろそろ、うまくかき混ざった頃合いだろうか。
「二人とも、いい感じにかき混ざったかな。それじゃあ、このホットケーキミックスを入れて混ぜていく。ただし、あまり混ぜすぎないよう注意して」
「どのくらい混ぜればよろしいんですの?」
「ダマが結構残っていた方がいいんだ。大体二、三十回くらいかき混ぜれば十分かな」
「随分少ないですわね。しっかり混ざっていた方がよいのではなくて?」
「良い質問ですねえ」
「え、急にどうしましたの?」
「何でもない。たしかに、しっかり混ぜた方がいいと思うかもしれないが、実は逆なんだよ。ふんわりとしたホットケーキを作りたいなら、混ぜすぎない方がいいんだ」
理由は知らないけどね。
「そうなのですか。ふふ、料理というのは、実際にやってみると意外に奥が深いですわね」
よかった。少し機嫌が直ってきたようだ。それに、存外楽しそうでよかった。
ほっと胸を撫で下ろす。
この庶民ツアーは、不安も大きかった。
原作では、同じようなことをキッカケにして、亜梨沙の考えが変わっていくという展開だったけど、その通りにやって同じ展開となるかは分からない。
これでいいのか、そして喜んでもらえるか
、毎回不安なのです。
自分、小心者ですから。
ホットケーキミックスを、おそるおそるボウルへ入れている亜梨沙の様子を窺う。存外楽しそうで、こうしてみると年相応という感じがする。
こういう一面だけ見ていると、とても選民思想の強い子とは思えない。
でも、クラスでの亜梨沙は女王様だという。あだ名も、振る舞いも。
久しく同じクラスにはなっていないから、詳しくは俺も知らないけどね。恥ずかしながら、他のクラスまで見にいく勇気はなかったです。
ともかく。
こういった体験を繰り返して、原作の亜梨沙みたいに、「自分達の知らない世界も興味深い」のだと思えるようになってほしいな。
きっと、その方が楽しいと思うから。
「亜梨沙さん。いいね、このくらいダマが残っていれば、いい感じにふっくらしたものが作れるよ」
「あら、そうですか? まあ、私にかかればこんなものですわね」
きちんと言われた通り出来ていたので、素直に褒めると、ふふん、と亜梨沙は胸を張った。
……あ、タネが鼻の頭に飛んでる。
指摘すると、顔を赤らめながらハンカチを取り出し、サッと拭き取っていた。
その慌てようが、女王様のあだ名に似つかわしくない可愛らしさで、俺は思わず笑ってしまった。
「いよいよ、焼いていくか。義弥、頼む」
「待ってました。任せてよ」
ふふん、と自慢げに指先から炎を出して見せながら、義弥が微笑む。
君達、本当こういうところ双子だよね。
こっちは別に可愛くないけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます