第57話

 昼休み。

 希空と約束をしてしまったので、あまり気乗りはしないもののサロンへ向かう。

 普段は放課後に行くことが多いサロンだが、生徒会役員は昼にここで仕事を行うこともあるためか、ほぼ一日中開放されている。中には、表立ってすることの出来ない話をするのに使う人もいるようだ。つまり、今回の俺である。

 というわけで、サロンの扉を開けると、まばらではあるものの、生徒会メンバーの先輩方が座って食事をしている。

 実は、こうして軽く食べられる食事もサロンでは提供されている。初等部は給食があるから、頼めるのは飲み物だけで、食事をすることは出来ないけどね。

 とはいえ、それなりの数の先輩がいるところを見るに、昼にサロンを利用することはそんなに珍しいことでもないみたいだ。

 先輩方と軽く挨拶を交わしながら、初等部のエリアに視線を向けると、すでに来ていた希空がこちらを見て手を振ってきた。

 手を挙げてそれに応じ、彼女が座るテーブルへ向かう。

 早いな。

 俺も、結構早く給食を食べてきたつもりだったんだけと、それより早いってどういうことですか。

 昼飯を抜いているか、フードファイターであるかのどちらかだ。

 うん、後者であることを祈ろう。

 食事を抜くなんて言語道断である。


「早いな。待たせてすまない」

「いいえ、大丈夫です。私も来たばかりですから」

「……そうか。希空さん、お昼は食べたの?」

「ええ、食べましたけど。それがどうかしましたか?」

「いいえ」


 フードファイター希空だったか。

 畏敬の念を覚えつつ、恐れ多くも彼女の前に座った。

 そして、早速話を切り出す。


「いきなりで悪いけど、時間もないから本題に入るよ。希空さんは、亜梨沙さんに選民思想の強い面があることは知っているよな」

「……ええ、存じ上げておりますわ」


 俺は頷く。


「彼女の今後を考えると、その考えはどこかであらためた方がいいんじゃないかと、そう俺は思ってる」

「それは私も思っていましたけれど……」

「でも、俺は所詮他人だ。個人の思想に深入りなんて出来ない。でも、ある時偶然にも、彼女が一般家庭にとっての『当たり前』に対して、強い関心を持っている側面があることを知ったんだ」


 今度は希空が頷いた。


「はい。それも、何となく察していました。……もしかしてこれは、何年か前にお話しされていた『庶民ツアー』に関係のあることでしょうか?」


 大当たり。

 さすがノアえもんだ。何でもお見通しというわけか。

 この子、作品が違ったら探偵モノの主人公とかやってそうだな。

 冗談はさておき。

 俺は頷いた。


「そこまで察しているなら話は早い。俺は、彼女が庶民のことを知る機会を増やすことで、考え方に新しい選択肢が生まれるきっかけになるのではないかと思って、その庶民ツアーを提案した」


 まだ一回だけだけどね。

 それでも、提案に彼女は乗ったのだ。それは紛れもなく事実である。

 亜梨沙は、何かを考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。


「なぜ、そう思ったのですか?」


 ゲームでそういうイベントがあるからだよ。

 ……なんて、言えないよね。


「そのままだ。亜梨沙さんが、自分の知らない庶民の文化に強い興味を持っているのなら、そこにきっかけがあるのではないかと、そんな可能性を感じた」


 カップラーメンとかね。

 多分、彼女は知らないだけなのだ。

 値段の違いはあるかもしれないけど、庶民とお金持ちって、そこまで大きな違いはないのだということを。

 あるいは、薄々分かってはいるけど、それを認めたくないだけなのかもしれない。

 だからこそ、俺の提案に乗ってきたわけだし。


「それで、庶民体験ツアーなのですね」

「ああ。そういうこと」


 好きの反対は嫌いではなく、無関心。

 そういうことなら、芽はまだあるのだ。

 希空はしばし黙り込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……分かりました。たしかに、一般の方が普段食べたり、触れているモノは、この学園では褒められるものではありませんものね」

「そうなんだよ。他の生徒や、先生に見つかったら何て言われるか分かったものじゃない。それで、なるべく人目につかないようにしているんだ」


 希空は納得したように頷いた。

 しかし、次の瞬間、とんでもない言葉が彼女から飛び出した。


「ところで、そのツアーに私が参加することは出来ますか?」

「え?」


 希空の言葉を反芻する。

 参加? 希空が?

 いや、そりゃ出来るは出来るけども。

 まさかだった。よもや参加したいと言われるとは思わなかったので、驚いたよ。


「そこまで驚くことですか? 私だって、一般の方がどのような食事をしているのか、気になりますわ」

「そうなのか」

「そうなのです。参加しても構いませんよね? だって、私も咲也様の秘密を知ってしまった共犯者なわけですから」


 希空は、悪戯っぽく口の端を吊り上げる。

 暗に「仲間に入れてくれないとバラしちゃうかもよ?」と脅されている。なんか身体がうっすら光ってるし。

 え、何されんの?

 怖いからやめてください。

 彼女の言う通り、事情を知られてしまった以上、どのみち断ることなんて出来ないわけだし、最初から承諾するつもりだったよ。


「分かったよ。そしたら、急だけど今日二回目のツアー開催日なんだ。もし何もなければ放課後は空けておいてくれ。場所は、中央棟の特別教室を借りる予定だから、またどの教室かはメールする」

「あら、偶然にも今日は何もありませんわ。では、連絡をお待ちしておりますね?」


 そう言って、彼女はにこりと満足げに微笑んだ。

 亜梨沙も余計なことを話してくれたな。

 おかげで、こうして希空と二人で話をしなければならなくなったじゃないか。

 彼女と話していると、こちらの考えを見透かされているような感じがするのだ。いつも一歩引いた位置で俺達を見守る姉のようなポジションなだけに、とても頼りになるんだけど、同時に敵にはしたくないと思うよ。


「それじゃあ、俺はこれで……」


 要件は済んだ。さっさと教室に戻ろうと思い、出口へ歩いて行こうと立ち上がった。

 すると、


「あ、咲也先輩。お帰りなんですか?」

「えっ!」


 真冬が後ろに立っていた。

 どうして……。

 ハッとして、おもむろに希空の方を向くと、彼女はニコリと笑っていた。


「せっかくですから、真冬にも声をかけたのです。でも残念、咲也様は教室に戻ってしまわれるみたいで——」

「さあ! 真冬さん。こっちへ」

「え? でも、先輩はお帰りだったんじゃ……?」

「まさか。ちょうど真冬さんが来た気配を感じたので、迎えに行こうとしたんだよ」

「は、はあ。そうでしたか……?」


 困惑している真冬へ着席を促す。

 これは仕方ないことなのだ。

 真冬の闇堕ちを回避するためには、彼女とのイベントを回避するわけにはいかないのだから。

 それに、どうせ教室に戻ったってやることないしね。義弥はきっとクラスの他の友達とよろしくしてるさ。

 というわけで、俺はUターンして、元いた椅子へ戻ったのだった。

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