第5話

 あれからどうしたのか、あまりのショックに記憶が曖昧になっているが、今の俺は身体も濡れていないし、服を着て横にもなっているので、ちゃんと着替えたのでしょう。えらいね。

 そういえば、あれだけ身体に負担をかけたので、風邪は引いてしまうかもと思っていたのだが、不思議なことにそんな気配は全くない。前世が病人だっただけに、人間の身体ってこんなに強いんだなあと感動した。

 しかし、精神の方はボロボロだった。


 姉様に引かれた。

 姉様に引かれた……。


 百歩譲って、局部を見られたことはまだいいだろう。でも、ドン引きされたのは本当にショック。

 おまけに、部屋を去る間際に言われた「不潔」という捨て台詞もセットで俺の気持ちを抉ってくる。


 そんなこんなで布団に横になってから時間の経過とともに、身体に妙な感覚が現れ始めた。

 鳩尾のあたりに、妙な温かさというか、何かが渦巻いているような感じがするのだ。

 もしかして、精神的なショックを受けたことがトリガーとなって能力が発現しかけている、とか?

 いや、そんなことはずないか。


「……」


 そんなはずないよね?

 でも、事は一刻を争うし、試しに母様の部屋に行ってみようかな。


「……」


 そうしよう。……そう、決して、一人だと余計気分が落ち込みそうだからとかではない。


 自室を出て、広い廊下を歩いていると、前から父様がやってきた。仕事で多忙のはずだが、やはり母様のことが気がかりなのか、ここ最近は家にいることが多いように思う。

 正面からってことは、もしかすると、俺の部屋に用だったのだろうか。


「父様、こんばんは」

「咲也。いま部屋に行こうと思っていたところだ。輝夜から聞いたのだが、その、自室で変なことをしていたと」


 姉様、もう父様に報告したのか……。もう屋敷中に全裸で夜風に当たる六歳児という噂が広まるのも時間の問題だ。

 終わった。


「いいえ、父様。これは母様を助けるために……」

「いいんだ。皆まで言わなくていい。疲れたんだろう。習い事を詰め込み過ぎたか。しばらく休んでいいから、ほら、今日はもう部屋に行って休みなさい」

「え」


 抵抗も虚しく、ほら、と妙に温かい目をした父様に促されて、元来た道へ戻されてしまう。これでは能力を試しにいけない!

 あ、でもせっかくだから父様で試してみようか?


「父様、そしたら部屋に戻る前に。いまどこか身体の悪いところはありますか?」

「なんだい、急に」

「明前家の今後を決める大切なことなのです」


 俺が家の中であなたから腫れ物扱いされるかどうかの瀬戸際なんですよ?

 あ、ちょっと! 親切心なんだからお前の頭の方が心配だと言わんばかりの顔をしないで!


「……まあ、強いて言うなら少し頭が痛いかもしれないな」


 訝しげな表情の父様だったが、なんだかんだで答えてくれた。でも、それ俺のせいとか言わないよね?

 母様の看病であまり寝てないとかだよね?

 まあいい。この力を使ってみましょうか。


「頭ですね。では、父様の悪いところを治しましょう。頭を触らせてください」

「さっきから、何かの遊びなのか?」

「そんなところです。ほら、さあさあ」


 先ほどよりも一層怪訝そうに皺を寄せた顔でこちらを見てくるが、明前グループ会長も実の子供には甘いのか、しぶしぶしゃがんで頭を差し出してくれたので、そっと手を乗せる。

 そして、鳩尾のあたりを渦巻く違和感の塊を、手のひらから放出するようなイメージで、能力を使えるか試してみた。

 不思議なもので、ゲームでは能力の使い方とかが細かく描写されたわけではないのに、なんとなく方法がイメージできる。

 

 そして、その予想は当たっていた。


「おや……」


 父様は「少し」と言っていたし、表情を崩さないので分かりづらいが、存外痛みの度合いは強いものだったようで、俺が手を当ててから程なくして、僅かに表情が和らいだ(眉間によっていた皺が三本から一本になるレベルの僅かである)。

 そして、不思議そうな顔で頭をさすっているから、俺に気を遣って言ったわけではないと思う。


「能力……なのか?」


 実際、そう呟く父様を見て確信する。

 無事、能力は発現したようだ。何も運動をしていないのに、父様の痛みを治癒してから少し息が上がっているのも、能力を使った証拠なのだろう。

 加えて、俺の能力が原作のとおり、「治癒」能力であるという裏付けもとれた。

 つまるところ、原因は分からないけれど、俺は本当にゲームーー「のノア」ーーの世界に来てしまったのだと、あらためて実感する。もう、元いた世界には戻れないかもしれないということだ。

 ……いや、今はそれよりも大事なことがあるじゃないか。

 能力も無事に開花したことだし、ここからが本番だ。


 まだ不思議そうな顔をしている父様をまっすぐに見ながら、俺は言った。


「父様、母様に会わせてください」


 父様は何か言いたげな顔をしていたが、自分の頭を何度かさすりながら。やがて頷いた。

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