第4話

 広い廊下を走って自室に戻った俺は、すぐさまベッドに横になった。考え事をする時は、なんとなくこうすると捗るのだ。


 前世。


 あらためて考えると、俺は前世でどんな病気だったのか、よく覚えていない。痛さと辛さが断続的に続いていた思い出だけが身体に残っているだけだ。

 これじゃ、きっかけにはなり得ないかもなあと思うと、ガッカリだ。

 気分転換に、使用人が用意してくれたベッド脇の水差しを取り、コップに注いで飲み干す。

 美味しい。

 きっと、お高いミネラルウォーターなんだろう。

 さて、母様の病を治すために出来ることを考えよう。


 と、実は姉様の話を聞いていて、少し思ったことがある。

 病を治す能力なら、俺自身が風邪や病気になることで、それをきっかけに発現することがあるのではないか、ということだ。

 これはいい線いっているのでは?

 さっそく俺は、自室に備え付けられている浴槽に水を溜める。

 さすがは元華族。大金持ちの家だ。部屋の中で風呂に入れるとは。

 水を溜め終わったら、服を脱ぎ、そのまま全裸でダイブした。


「さっっっむ!」


 あ、ダメこれ入ってられない! 寒すぎる!

 慌てて浴槽から上がる。が、震えが止まらない。まだ三月だしさすがに水風呂は寒い。しかし、たった数秒入っただけでは風邪なんて引けないじゃないか。

 水道代も馬鹿にならないだろうし、きちんと目的のために入らないと。

 と、今度はつま先から恐る恐る入水。

 入り方を変えても寒いものは寒かった。どうする、俺。

 諦めて上がろうと囁く心の中の悪魔を必死に振り払い、自分を精一杯鼓舞しながらなんとか肩まで浸かる。

 恐ろしく冷たい。

 けど、なんか少し慣れてきたかもしれない。

 なのに、身体の震えは止まってくれないし、歯もガタガタと野菜の微塵切りが出来そうなほど小刻みに揺れている。辛い。

 それでも、なんとか10分ほど肩まで水風呂に浸かりきった俺は、軽く体を拭いてから一糸纏わぬ姿でベランダに出ると、腕を組み外の景色を眺めることにした。ここからが第二ラウンドだ。


「…………」


 都内の高台に集まる高級住宅地に居を構える明前家は、本当に都心なのか分からないくらい広い森が敷地内にあるため、何人もの庭師が忙しなく働いているのが見える。


「…………」


 全身を絶え間なく北風が撫でる。三月ともなれば時に小春日和になることもあるけれど、今日はあいにく冬の寒気が強く残る日だったらしく、まあ寒い。

 まさに風邪を引くという目的のためには絶好の日だと思える。

 しかし、身体は全力で今の状況を拒否しているのか、全身の震えがマジで止まらない。

 これは絶対に引いただろう。

 満足げに頷いていると、後ろで扉の開く音がした。


「咲也、さっきのはな……し……だけど……」


 振り向くと、姉様が引いていた。

 姉様がノックせず入るわけないので、おそらく寒さに気を取られた俺が聞き逃したのだろう。

 さあ、どうしましょう。この場から逃げようにも、俺は全裸だ。自分の不甲斐なさを恥じつつ、両手をあげて姉様に降伏した。


「ちょっと、いやかなり不潔よ……」


 姉様は真顔でそう言うと、すっと消えるように退室して行った。

 すると、まるで最初から誰も部屋には来なかったのではないかと錯覚しそうになるほどの静寂が訪れた。


 不潔って言われた……。この世界では姉様と良好な関係を築きたいと思っていたのに……。

 あまりのショックに気絶しそうだ……。

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