6◆邑はずれの家
黎基の軍は、国境へと近づいていく。
この国境で入国を阻まれるようなことはなかった。他国の領土で自国の争いを繰り広げるわけにも行かないということか。とりあえずは奏琶国へ入れるしかないのだろう。
国境の衛兵たちは恭しく黎基を迎え入れた。
そして、その目が常人と何ら変わりなく開かれ、自分たちを見据えていることにただただ驚いている。
「儀王様、よくぞご無事で御生還なさいました。一同、心よりお慶び申し上げます。御目のことも使者より聞き知ってはおりましたが、こうして目の当たりにするまでは信じられぬ思いでおりました。真のようで、このような幸福なことが起こりましょうとは――」
つらつらと賛辞を述べる国境の官人を前に、黎基は微笑した。冷たさの滲む表情に、官人は身震いする。
「武真国のダムディン陛下の温情によるところだ。本来であればダムディン陛下をお連れしてもてなしたいところだが、生憎と国情がそれを赦さぬ。その代わりに弟君のチヌア殿下を名代にお連れした。我が国の素晴らしさを味わって頂ければと思っている」
チヌアが引き連れた兵は、チヌアの護衛だと言い張った。
黎基にそれを言われてしまえば、ここで差し止める権限をこの官人が持つわけでもない。
「さ、左様でございますか」
チヌアは年若く穏やかな少年王族であるから、微笑みを浮かべていれば警戒心を抱かせない。
「奏琶国の兵は行き届いておりますね。羨ましい限りです」
などとニコニコと朗らかに言われては、誰も敵意など持たないのだ。
それでも、チヌアはあのダムディンの弟だ。穏やかなばかりではないのかもしれないが。
「では、職務に励め。頼んだぞ」
「はっ!」
黎基の顔を直視するような不敬は犯さず、兵たちはサッと頭を垂れた。
サラサラと砂が隙間から零れ落ちるようにして、なんの障害もなくすべての兵はこの狭い関所を通り抜ける。ここまでは黎基も、また秦一族も想定している流れだ。
問題はここからである。
黎基は祖国の土を踏んだ感触を味わう間も惜しみ、遙群の
「儀王様の御目が!」
「ああ、なんて瑞兆だ……」
恍惚とした声が漏れ聞こえる。
太守は
太守の館に就くと、太守自らが出迎えに出てきた。そうして、黎基が目を合わせると打ち震えた。
その太守に黎基は笑みを向ける。
「再びここを訪れる時、この目は見えるようになっていると申しただろう?」
「え、ええ……。真にもってその通りにございました」
拝礼する太守に、黎基はうなずく。
この時、太守は疲弊して見えた。太守ともなれば心労は多い。それにしても、だ。
そのわけは当人の口から語られる。
「……ここから離宮建設の労役に出た者が一人、物言わぬ屍となって戻りました」
秦貴妃の新しいもの好きはそうそう変わるものではない。今手掛けている離宮が出来上がったとしても、また同じことを繰り返すのだろう。
「毎日重い岩や土砂を運び、疲れきっていたようです。倒れた時に頭を強く打って、それっきりだったと。家族はようやく迎え入れた父親が生きていないという事実に打ちひしがれています。いつまでこんなことが続くのやら……」
どうしても必要な工事であったとは思えない。だからこそ、太守も犠牲者の遺族も心を静めることができないのだろう。
黎基にもっと力があれば、この悲劇は防げた。これからは、防ぐ。
もう、隠れたりはしない。
「私の言葉に二言はない。それはすべてにおいてだ。出かけに語ったことが今こそ実現する」
太守は顔を上げ、微かに潤んだ目を向けて返事をし、それから再び頭を垂れた。
秦貴妃を始めとする一族と戦うと話した。
あの時、この太守が上辺だけで色よい返事をしたとは思っていない。しっかりと大局を見据えることができる人物だと黎基には思えた。だからこそ打ち明けたのだ。
「すまぬが、数日落ち着ける場を提供してほしい。ほんの二、三日のことだ」
「かしこまりました」
その間に策を練るのではない。策はすでにある。
そうではなく、その策のための支度をする期間だ。
黎基が傍らの昭甫を見遣ると、昭甫は大きくうなずいた。
できれば太守の館ではなく、
「古い家でございます。行き届いておらず、この季節には寒さも感じましょう」
「少々のことはよいのだ。そこを借りよう。小間使いも要らぬ。場だけでいい」
「よろしいので?」
「ああ」
太守からしてみれば、精一杯のもてなしをするつもりであったのかもしれない。肩透かしを食ったような顔をされた。
しかし、今は酒盛りをしてる場合ではない。
一刻だけ待ち、黎基たちは
「では、しばらく部屋に籠らせて頂きます」
「頼む。くれぐれも気をつけてな」
宣告通り籠ってしまった昭甫のいる部屋の方を見遣り、ついてきていた展可が不思議そうにしていた。
「あの、劉補佐は一体……」
「今はまだ話せぬが、いずれわかるだろう」
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