4◇面影
ヤバル砦を出る前に、展可はこの光景を何度目にしただろうか。
郭将軍が、膝に
今青石が敷き詰められた、中庭へ続く段に座り込んでいる二人の様子は、まるで親子である。
郭将軍は三十代前半で、十四歳だという鶴翼の父親には若いのだが、鶴翼が童顔で小柄なため、偉丈夫の郭将軍が膝に乗せるとまるで幼子だ。
しかし、二人を知る展可にしてみれば、将軍が民兵を膝に乗せているという状況は異常でしかない。どうしてこうなったのだろう。
「あ、展可」
無邪気というのか、ほんわかとした笑顔で鶴翼は展可に手を振ってくる。
展可は苦笑し、二人の側へ向かった。
「鶴翼、また郭将軍の膝に……。身の程を弁えないと駄目だよ」
他の兵から見ても妙な光景なのだ。展可がそう言ったのも当然である。
ただし、展可が黎基に特別扱いされていることも異常であるから、お互い様であるとも言えるが。
鶴翼はきょとんとしていた。そんな表情をすると余計に幼い。
「郭将軍が乗ってって言うから」
「そ、そんなわけ――」
ないと思ったのだが、郭将軍は鶴翼の頭を撫で始めた。まるで猫の子だなと展可が思っていると、郭将軍はポツリ、ポツリと語り出した。
「生きていたら、やっと七つといったところだ。こんなに大きくはないのだが……」
「え?」
郭将軍は展可に顔を向け、少し笑った。それは英傑という雄々しいものとはまた違う優しい顔だった。
「俺の息子は三つまでしか生きられなかった。その子、
妻帯しているとは聞いていたが、子を亡くしていたことは知らなかった。郭将軍は鶴翼に息子の面影を重ねているらしい。
武人であるから、それほど家にいられるでもなく、幼くして亡くなった息子と過ごせた時は本当に僅かだったのではないだろうか。
その心中を思うと展可もしんみりとしてしまう。
――しかし、三歳児に似ているとは。鶴翼はやはり、十四歳という年齢よりも幼いのだ。よく十八歳などと言ったものだと、今になって呆れる。
それでも、郭将軍が慰められるのならいいのかもしれない。鶴翼もこうして大人しく膝にいるのなら、嫌ではないのだろうし。
不安定な現状で、ほんの少し気が和む時だった。
その後、
策瑛は先の戦いでの怪我はすっかりよくなり、以前と変わりないほどには動ける。袁蓮は策瑛の看護をしてくれていたというが、二人の仲が進展するようなことはないらしい。
袁蓮は展可の手を引いて物陰まで来ると、コソコソと内緒話をした。
「あんた、殿下から何か言われてるんでしょ?」
「な、何かって……」
こうした時、展可は動揺を隠せない。袁蓮の方が何枚も上手なのだ。
「戦が終わっても殿下のもとに残るように言われているんじゃない?」
「う、うん、まあ……」
歯切れ悪く答える。そんな展可に綺麗な顔を寄せ、袁蓮はささやいた。
「殿下がもし次期皇帝陛下におなりなら、あんたは後宮の妃の一人ってわけね」
目を瞬かせる展可に、袁蓮は同性でもドキリとするような妖艶な笑みを浮かべた。
「殿下があんたを見る目つき、わかりやすいわ。あれだけそばにいれば、特別な感情も持つわよね」
「そ、そんなの、袁蓮は? ずっと策瑛の看病をしていたじゃないか」
「策瑛は駄目。あんな純朴な男、男のうちに入らないわ。こんな美女と二人きりになったってまるで意識しないなんて、どうかしてるでしょ」
「あ、そう……」
策瑛はいい人で終わってしまう男なのだ。実際、とてもいい人なのだから勿体ないが、展可自身が策瑛をどう見ているかと言えば、やはり『いい人』である。
「うちの殿下はあんたしか見てないし、そうね、あたしにはチヌア様なんてどうかしら?」
また困ったことを言い出す。袁蓮はいつも突拍子がない。
「さ、さあ……。武真国の女性はお淑やかなのが普通だっていうから、どうかな」
「何よ、あたしがお淑やかじゃないって言うの?」
ムッとされたが、多分違うと思う。
しかし、それを言ったら怒られるから言わない。
「ええと、私は、その、殿下のお申し出をお断りしているから。落ち着いたら里に帰るつもり」
それを言うと、袁蓮は目を瞬かせた。馬鹿じゃないのかとでも言いたいのか。
言われる前に展可は自分から言った。
「前にも言ったけど、帰るって約束があるんだ。待っている人がいるから」
その相手は恋人でもなんでもなく、兄だけれど。
しかし、袁蓮はああ、とつぶやいた。
「そっか。でも、あんたにはその方がいいのかもしれないわ。後宮なんてガラじゃないもの」
貶されているのではなく、事実を口にしているだけなのだ。展可には事実、似合わない。
「そうだよ。わかってる」
微笑んでみせたけれど、心の底から笑えていただろうか。
地位も何も望んではいない。贅沢な暮らしなどしたいわけではないのだ。
ただ、黎基の心が他の誰かに移ることだけが悲しい。
そんなことは、とても言えないけれど。
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