38◆真実か偽りか

 黎基たちが武真国の王都、アルタンへ来て三月みつきが過ぎた。

 ダムディンはその間、青巒国との交渉を進めてきた。やはり青巒国王はあの王弟に重きを置いておらず、身柄の交換に値をつり上げると、頑として応じないのであった。


 しかし、どうやらイーハンと国王とは母堂を同じくする兄弟らしく、王太后が王に泣きついているのでイーハンは見捨てられずに済んでいるとのことだ。

 ダムディンと青巒国王との折り合いがつく地点に交渉が行き着くには、まだ時がかかりそうだった。


 その間に、ダムディンのすぐ上の兄であるタバンが動いた。

 日和見だともくされていたタバンは、バトゥとガンスフが討たれた後も動きを見せなかったが、もうどうにもならぬとして重たい腰を上げたのだ。


 タバンには、他の兄たちを討ったダムディンに挑む気概がない。ダムディンのひとつ上、まだ二十五歳である。タバンは弟に降るという選択をするしかなかった。


「――それで?」


 煌びやかな王座にふんぞり返ったダムディンが、冷ややかに言い放つ。

 王に相応しい金糸の衣と宝玉に彩られていたが、当人の放つ偉才がそれらに劣ることはなかった。黎基は貴賓席から、家臣のようにしてぬかずく王兄を眺めた。


 ダムディンよりも線が細く、優しげな風貌をしていた。とても兵を駆って出陣するような勇猛さは見受けられない。

 どうすればいいのかもわからぬまま、居城で縮こまっているうちに出るに出られなくなったというのが妥当なところだ。


 情けないと言ってしまえばそれまでだが、王の子に生まれついたからといって、誰もが優れた才を持つわけではない。

 イーハンのような男でも王族、凡平な男がいたとしても仕方のないことだ。しかし、王族として生まれた以上、無才が罪だと咎められる部分がある。


 ダムディンは、この気弱な兄をどう扱うのだろうか。

 タバンはガクガクと震えながら一向に顔を上げなかった。そんな兄にダムディンはさらに言った。


「それで、他の兄たちが死に絶えたから、不利と見て今さらやってきたと?」


 冷たい、血の通わない声だ。そこには怒りしかない。

 この気弱な兄は何もしなかった。バトゥたちでさえ、己の信念に従って戦ったところ、タバンは何もせずに過ごしていただけなのだ。

 ダムディンは、こうした腑抜けた男が嫌いなのかもしれない。


 タバンは震えながら蚊の鳴くような声を発した。


「わ、我は陛下に弓引くつもりなど毛頭なく、しかし、血を分けた兄弟たちと戦うのも、身を引き裂かれるようにつらく――」

「随分とお優しいことだ」


 クッとダムディンは軽く笑った。

 ダムディンはこの兄を少しも信じておらず、あてにもしていない。タバンは財産を没収された上に、今後一生幽閉の身となるのだろう。それを憐れと思うほど、黎基もまたタバンを好きにはなれなかった。

 しかし――。


「お優しい兄上は、他の兄弟と仲良く並ばれるがよろしかろう」


 えっ、とタバンが小さく零して、赦しもないまま顔を上げた。蒼白な、それは血の気のない面だった。

 ダムディンの目はすでにタバンに向いておらず、横に控える腹心のオクタイに告げた。


「この者の首を刎ねよ」


 ザワ、と場が騒然となった。

 しかし、ダムディンは構わず立ち上がった。これ以上話を聞くつもりはないとばかりに。

 茫然自失になっていたタバンだが、自分の命を繋ぐのはこの弟王しかいないのだと、すぐに声を上げた。


「お、お待ちください、陛下! 我はもとより陛下に反意があったわけではございません! ど、どうかお疑いなさいますな……っ」


 悲痛なその叫びに対し、ダムディンは冷笑した。


「そうしたことは問題ではない。俺が要らぬと思えばそれまでだ」

「そ、そんな……っ」


 タバンは、自ら投降したことをダムディンが評価してくれると思っていたに違いない。けれど、ダムディンにそんな甘さはなかったのだ。


 この気弱で揺れやすい兄を、誰かが担いで新たな内戦の火種とすることを危惧したのだろうか。


 黎基もこうした人物は好きではない。けれど、殺してしまうのはあまりに無慈悲なのではないかという気がしないでもなかった。

 生かしておいたところで何かが成せるような男ではない。殺すほどの価値もない。すべての権利を奪ってどこかに閉じ込めておけばいいように思えたのだ。


 絶望したタバンの嘆きが体に沁み渡るようにして響いてくる。僅かに顔をしかめた黎基に、ダムディンは顎でついてこいと促す。


 謁見の間を後にし、黎基はダムディンに続いて廊下を歩く。ダムディンの足取りは早かった。


「お前ならば生かしたか?」


 ふと、振り向かないままでダムディンは問いかけた。黎基はとっさに答えを持たず、それでもしばらくして答えた。


「生かしたでしょう。殺すほど憎いとは思えません」


 バトゥのような男なら脅威となる。しかし、タバンは無害だ。あれを担ぐ者がいるとは思えないほど、芯がない。害もなく、役にも立たない。


 ダムディンはそこでようやく立ち止まると、振り返った。表情はずっと厳しいままだ。


「あれがやつの本当の顔だろうか?」

「えっ?」

「俺を油断させるため、タバンはずっと気弱なふりを続けていたのかもしれない。そうした可能性もある。最後の最後で手を抜くわけにはいかん」


 害のない男だからと気を抜いた途端に、寝首を掻かれる恐れもあるのだと、ダムディンはそこまで考えたのだ。

 そんなことがあるだろうかと考えて、黎基は苦笑した。ダムディンも少し笑う。


「お前は十年、自分を偽った。そうだろう?」

「ええ、そうでした。あり得ないとは申せません。どうやら私の見込みが甘かったようです」


 目的があって、命の危険を感じたのなら、人は自らを偽る。相手に信じ込ませるように仕向けるのだ。それを一番知っているのは黎基だったはずだ。


 もし、タバンが生き延びんとするのなら、ダムディンに認められるだけの働きをし、信用を勝ち取らねばならなかったのだ。それを居城で時を無駄にするばかりだった。ここへ来て取り返しはつかない。騙し合いをするには相手が悪いのだ。


 すべてを賞賛するわけではないが、ダムディンには学ばされることが多くある。黎基もいずれ同じ立場に立つつもりであるのなら、こうならなくてはいけないのだ。


 ただ、ひとつだけわからないことがある。それを率直に訊ねた。


「……ダムディン陛下は、チヌア殿下をどのように扱うおつもりですか?」


 チヌア――ダムディンのただ一人の弟。

 今、チヌアはダムディンの指示に従い、戦には一切関わらず北の領地に蟄居している。


 ダムディンの性質ならば、切り捨てるかに思えた。

 けれど、幼かった頃のチヌアはダムディンを慕っていた。それでさえ、血を分けた弟だからこそと首を刎ねることができるものだろうか。

 王である前に人であるのなら、それは到底できることではない。


 黎基の問いかけに、ダムディンはスッと目を細めた。誰もが気にしつつ触れなかった話題であるのはすぐにわかった。

 ダムディンはひとつ嘆息すると、ため息と共につぶやいた。


「お前は我が国の者ではないから、正直に言おう。チヌアのことは決めかねている」


 それは、ダムディンにしては珍しい迷いのように思われた。黎基の驚きをダムディンも見て取ったらしい。


「チヌアは優秀だ。そして、俺の言うことに逆らわない。けれど、父王の血を持つ正当な子だ。チヌアもまた、火種にはなり得る」

「……私にも異母弟がおります。ほとんど顔も会わせたことがない弟ですが、それでも目の前にいたのなら情が湧くのではないかと思うところです。陛下がお迷いになるのは致し方のないことかと」


 事実、黎基は弟の母である秦貴妃を追放するつもりである。それに従い、弟にだけ慈悲をかけるのは難しい。最悪の選択も時には必要となるだろう。


「そうだなぁ」


 ダムディンはポツリと言った。

 王は、誰よりも孤独な存在である。

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