36◇居残り
武真国の王都アルタンは、ヤバル砦よりも北東だ。
アマリ砦、ヤバル砦とに護りの兵を残す際、奏琶国の負傷兵もヤバル砦に残った。
それというのも、王都まで距離にして二日はかかるのだ。怪我の程度が軽くなってから動かないと、行きついた頃に悪化しているのではいけない。
この負傷兵の中には策瑛も含まれている。看護のために袁蓮も残るのかと思いきや、顔を合わせた際にあっさりと言われた。
「ううん、残らないわ。だって、あたしみたいな美少女がこんな砦に残ってたら危ないじゃない。女は皆、王都行きよ。策瑛のことは鶴翼にお任せね」
策瑛の見舞いに行った際、袁蓮は軽く笑いながらそう答えた。確かにそうなのだが、まめに看護していたから、置いていけないと言い出すかと思ったのだ。
「そうなのか……」
しかし、袁蓮がこう簡単に言ってのけるのは、それだけ策瑛の傷の治りが早いということだろう。顔色もよく、本人はいたってにこやかだ。
「展可も殿下のお付きで王都だろ? 気をつけてな。俺も怪我がよくなったら行くから。こんな機会でもないと武真国の王都なんて一生行かないし、行ってみたい」
物見遊山に行くわけではないのだが、策瑛も散々な目に遭ったことを思うと、少しくらいの楽しみはあってもいいだろうか。
「僕も行きたい。展可、連れてって」
鶴翼が、座っている展可の背中に負ぶさるようにもたれかかってくる。重たい。
「鶴翼は策瑛を頼むよ。よくなったら一緒に来たらいいんだ」
「いつ治るの?」
いつと言われても困るが。
そこで展可は鶴翼を押しのけ、腰にくくりつけてあった兄の薬を取り出す。展可の肩の傷はすっかりよくなったから、これは策瑛に使ってもらおう。
「これ、私の故郷のお医者様がくれた傷薬なんだ。よく効くから、使ってみるといいよ」
「いいのか?」
「うん。早くよくなってほしいから」
「ありがとな」
礼を言ってくれた策瑛だが、展可が差し出した薬を代わりに受け取った袁蓮と鶴翼は、二人して薬の臭いを嗅ぎ始めた。失礼だ。毒ではないのに。
「この薬、何が入ってるの?」
いい匂いではないのはわかっている。袁蓮が顔をしかめていた。
「全部は知らないけど……」
「そのお医者さん、誰の弟子? どうやって学んだの?」
鶴翼までそんなことを言う。
田舎の医者を信用していないのだ。
「だ、誰って――もう、そんなに効果を疑うんだったら使わなくていいよ!」
この薬を作った医者は展可の実兄で、黎基が失明する原因となった医者の息子であるなどと知れたら、きっと誰もこの薬を使いたがらない。展可は身をもって兄の薬の効果を知っているのに。
展可がムッとしたせいか、策瑛が穏やかに言う。
「いや、使うよ。展可はそのお医者様を信頼しているんだろ?」
「うん、もちろん!」
誰よりも信じている。
力いっぱい答えると、策瑛はほっとした様子だった。
そんなやり取りを騒がしくしていると、そこに劉補佐がやってきた。展可の姿を見るなり嫌な顔をした。こんなところで油を売っていたのかとでも言いたいらしい。
今となっては立場があり、軽々しく動けない劉補佐だが、それでも策瑛のことは気になったようだ。この人も、実はそう悪い人ではないのだ。多分。
「お前は殿下のところに控えていろ」
目が見えなかった黎基は、常にこの劉補佐を従えていた。
自由に動けるようになった黎基は、比較的身軽に単身でどこかへ行ってしまうこともよくある。しかし、ここは他国なのだから、まったく危険がないと言っていいわけではない。護衛は必要だ。
「はい、今から戻ります」
展可が答えると、劉補佐はフン、と鼻を鳴らした。それから、袁蓮や鶴翼にも目を向ける。
「お前たちもしばらく外にいろ」
そんなことを言って、天幕から人払いをしようとする。
策瑛の話によると、劉補佐は昔、ひどいいじめられっ子だったというから、人前では思い出話のひとつもできないのだろう。
えー? と不満げな鶴翼を展可は引っ張って外へ出た。
「じゃあ、私は戻るから」
「あんた、すっかりあっちに馴染んじゃったのね。寂しいわ」
などと言って袁蓮が泣きまねをするが、本心ではそれほど寂しがっていないのは見ればわかる。
「まあ、精々気をつけなさいよ?」
なんてことを言うが、何に対して気をつけろというのか。
もし、黎基の求愛を察知しているのだとしたらすごいが、袁蓮はどこか鋭いので怖い。
「う、うん」
曖昧にごまかすと、展可は砦の中へと戻った。
黎基が率いる奏琶兵の大半が、ダムディン王の正規兵と共に王都へ向けて出立したのは、この二日後のことである。
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