27◆牢
それから黎基は、腹心の二人と彼らの部屋で話をした。
「――ダムディン陛下はバトゥ討伐に何か秘策があるらしく、すぐに進軍するそうだ。しかし、私たちの軍は待機でいいと仰られた。これについてどう思う?」
すると、昭甫は椅子の背もたれに体を預け、顎を摩りながらつぶやいた。
「我々が先の戦いで負傷した兵を抱えているからでしょうか? それとも、どうせ役に立たないと思われているのか」
それどころか、前回のように足を引っ張られたくないと思われても仕方はない。
しかし、雷絃は首を傾けた。
「この砦を護るためではないでしょうか? バトゥの他にも脅威はあるのですから」
タバンやチヌア、ダムディンの他の兄弟が横やりを入れてこないとも言えない。
けれど、黎基は二人の意見のどちらでもないような気がした。直接ダムディンと話した黎基が違うと思うのだから、多分違うのだ。
「……私は兵を出そうと思う。負傷兵もいることだから全軍ではない。動ける者を半数ほど連れていければ」
何か、胸騒ぎがするのだ。
昭甫は細い眉を跳ね上げる。
「それならば、私はまた留守番ということですね?」
「来たいのか?」
「まさか」
と、失笑する。
この男の値打ちはその頭脳だが、それもわかりにくい形で発揮されるのだ。
黎基の覇道には不可欠な人材ではあるが、こうしている分にはただの不躾な臣でしかない。
「昭甫殿はともかく、私はもちろんお供致します。それで、展可はどうなさいますか?」
雷絃の問いかけに、黎基は口ごもった。
「連れていきたくはない。しかし、残していくのも不安だ」
正直にそれを口にした。
なんとなく、これ以上ダムディンのそばに寄せたくない。黎基が彼女に執着することを利用されそうな気がしてしまう。隠しておきたいが、展可が大人しく待っていてくれるとも思わない。
すると、昭甫が嘆息した。
「牢に入れた羅瓶董のことですが、処断はどうなさいますか? 愽展可はあれのことを恨んでいます。もし殿下の留守中に愽展可が何かやらかすとしたら、羅瓶董の殺害かもしれませんよ。一応、私刑は軍律違反と見なし、処罰せねばなりません。いかなる理由があろうとも。ですから、それをさせないためには置いていかない方がいいかと思います」
物騒な話をする。
しかし、絶対にそうしたことが起こらないかと言われると、そこはわからない。
展可は普通の娘よりも気丈で、仇と見定めれば斬るかもしれない。
そこで黎基はハッとした。その、当の羅瓶董はすでに黎基の手を離れたのだ。
それに思い至った時、嫌な予感はいっそう強くなった。心臓がギリギリと痛む。
黎基は口を押えて黙った。
ダムディンはあの男の使い道をなんと言っただろうか。
鹿の餌、とは――。
「やはり、展可は連れていく。しかし、疲れている様子だったから、後方に下げておくが……」
「それでよいかと思います。ところで、展可は部屋で待機しているのですか?」
雷絃の問いかけに、黎基は
「部屋にいなかった。どこかで体の汚れを落としているのかと思い、捜さないでおいたのだが」
しかし、そろそろ戻ってもいいのではないだろうか。
展可はいつも、黎基のことを最優先に考えてくれた。あまり長く側を離れることはない。
「策瑛のところでしょうか。後で見てきます」
策瑛というのは、展可のいた隊の兵長で、何やら昭甫の知己であるらしかった。負傷しているとのことだから、怪我の具合を見に行ったのかもしれない。それ自体は何も不思議なことではないが――。
「俺は牢の方を見てきましょう」
やはり、雷絃は展可が瓶董に会いに行ったのではないかと気にしていた。黎基もそちらの方が気になる。
「では、私も雷絃と行こう」
立ち上がると、二人はあまりいい顔をしなかった。
「殿下がお会いなさる相手ではございません。不快な思いをされるだけです」
そう言った雷絃に、黎基は苦笑する。
「それでも、一度は会ってみよう」
「……御意のままに」
黎基が行くと言えば、雷絃が止めることはできない。昭甫も何か思案顔だった。
その前に部屋を覗いたが、展可は戻っていなかった。
牢はこの家屋を出た先、外郭に近い北側にある。番兵は黎基たちが中へ入るのを咎めることはなかった。
薄汚い、籠った匂いのする場所だ。風が通らず、ここには生というものが感じられない。
それを求めることが許されない者だからこそ入れられる場で、無理もないのだが。
カッ、カッ、と歩くたびに靴音が響く。
「瓶董はどこに?」
「手前の方です。奥は――捕虜となった敵兵が入れられておりますので」
ここが静かなのは、呻く気力のない者ばかりだからなのか。そう考えると恐ろしさも感じなくはない。
けれど、今後黎基が背負うものもまた、綺麗事では済まされないものばかりだ。心を強く、平坦に保たねばとても歩いていけない。
独房に一人の男が繋がれていた。手枷が嵌められており、今にも首がもげそうなほど項垂れているが、装いを見て奏琶国の者だとわかる。この男が瓶董だ。
雷絃が牢の格子を握り、ガシャン、と音を立てて揺らすと、瓶董は小動物のように怯えて顔を上げた。その目に映ったのが、親王と将軍であったのだから、瓶董は自分を断罪に来たのだと勘違いした。
「お、おた、お助けっ、くだ、さいっ。お、俺は、何もっ!」
切れ切れに許しを乞う。飛び出しそうに見開かれた目、震える顎――。
話に聞いていた瓶董は尊大な男であったはずだが、死を前にして恐怖心から心を入れ替えたのだろうか。それでも、罪は消えない。
「……ここには来ていないようですね。牢守の様子も変わったところはありませんでしたし」
「そのようだな」
黎基はつぶやいた。
来なくていいと思う。瓶董と顔を合わせたところで、展可の心が癒されることはない。むしろ、逆撫でされるだけなのだ。
瓶董は手枷をカチャカチャと鳴らしながら口を動かす。しかし、大河を挟んだ彼岸にいるほどには遠く感じられた。
「お、俺は騙されてっ。俺は、何も悪くない、です」
たわ言だ。兵たちの目撃証言がある。この男が他の静止を振りきって勝手な行いをしたのは事実だというのに、まだこんなことを言う。
黎基は嘆息するときびすを返した。まだ瓶董が何かを言っていたけれど、黎基はもう聞くつもりもなかった。
ダムディンは瓶董をどうしたいのだろう。今のところ放置しているだけのようだ。
いずれは殺すのだとしても、その前に何かの役割を与えようとしていた。それがわからない。
黎基は牢を出ると、外の空気を吸いこみながら雷絃に言った。
「雷絃、実はダムディン陛下が瓶董に興味をお持ちで、身柄を譲ってほしいと仰られた。罰するつもりだと断ったところ、それはダムディン陛下が行うという。なあ、何故だと思う?」
それを聞くと、雷絃は目を瞬かせた。
「利用価値があるとは思えません。刀の試し斬りでもなさるのでしょうか?」
本当にそれくらいの使い道しか思いつかないのだが、鹿の餌というのが引っかかる。
しかし、こうして時を費やして考えていてもわからないものはわからないのだ。それよりも、展可はどこにいるのだろう。顔を見ないと落ち着かない。
「それで、展可はここにも来ていないのなら、やはり策瑛という男のところだろうか」
「他には考えにくいですね」
黎基は雷絃を伴って部屋に戻ったが、やはり展可はいなかった。
苛立ちが募る。顔が見られないだけで落ち着かない。
ダムディンに、その執着で身を滅ぼすなと言われたが、皮肉なことに、その言葉は的外れではないのかもしれない。
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