39◆密談

 展可と別れ、黎基は昭甫の手を借り、再び太守の私室に向かった。

 太守と雷絃の四人で話の続きを行う。大事な話なのだ。

 それは、兵糧のこと以上に――。


「余興は気に入ってもらえただろうか?」


 黎基が口元だけ微笑んでみせると、太守は戸惑いながらもうなずいた。うなずいても黎基には見えないはずなのだが、とっさに動いてしまうのだろう。


「ええ、感激致しました。殿下は元々、幼少期から麒麟児と謳われた御方でございました。その才をご披露頂き、光栄の極みにございます。穀類は可能な限り、明日の出立に間に合うようにご用意させて頂きます」


 これで太守は、予定していたよりも少々色をつけて兵糧を出してくれるだろう。そこは期待通りだ。

 そうして、黎基が太守にこの話をしようと決めたのは、遙群が武真国から最も近いせいだ。それから、太守の人柄も判断要素のひとつである。


「心遣いに感謝しよう。……それと、これはあなたのことを私が、信ずるに足る人物だと思うからこそ打ち明ける話だ。どうか他言無用に願いたい」

「は、はい」


 急に雲行きが変わったことを太守も感じたようだ。面持ちに緊張が走る。


「まず、武真国の援軍要請に従って、私が行軍することをお決めになったのは陛下だ。しかし、それをさせたのは秦一族の、特に貴妃によるところ」

「そ、それは……」


 どうとも答えにくいことだ。わかっている。ただ聞いてくれたらいい。

 黎基は続けた。


「この彗のむら京師みやこからは遠い。それ故にまだ見えづらい部分もあるだろう。しかし、労役に増税、徐々に暮らしを圧迫しているのは貴妃の奢侈によるところが大きい。貴妃の親類である秦一族の者共も利を貪り、我が物顔で横行している。このままでは国が傾くことなど、朴に頼ることもなくわかろう」


 太守が生唾を呑んだ音が聞こえる。うっすらと目を開けて見ると、脂汗を掻いて震えていた。

 答えに窮し、生きた心地もしないようだ。


 下手なことを言い、それがもし漏れれば太守など簡単に斬首になる。黎基が何を思いこれを口にするのかがわからぬ以上、先走って答えては身を危うくすることだけは察しているのだ。

 だから、黎基は答えに道筋をつけていく。


「私の目は、武真国にて治療する。私には彼の国に、秦一族が知らぬ繋がりがある。次にここを訪れる時、私の目は見えるようになっているだろう」

「そ、そのようなことが――」


 国内の医者が誰も治せなかったのに、武真国にはそのような名医がいるというのかと、太守が恐れおののいている。


 黎基は国内のまともな医者になど診せられたことはないのだ。万が一、見えるようになっては困るのだから、秦貴妃は誰にも治せなかったという報告を父にしただけだろう。

 実際、見えるのだから、詳しく調べられては都合が悪いのはお互い様ではあったが。


「ああ。そうして、この目が見えるようになった暁には、皇太子の座に戻して頂く。目が見えぬことで廃太子とされたのなら、見えるようになれば問題はないはずだ。それを拒むのなら、私は反旗を翻してでもその座を奪還するだろう」


 ヒュッ、と太守が息を止めた気配がした。大人しそうに思われた廃太子が、ついに恐ろしいことを口にしたのだから無理もない。

 しかし、黎基は努めて穏やかに言った。


「秦貴妃が心を入れ替え、陛下と共に民のために国を正しく導いてくださるというのなら、私はこのまま野に埋もれてもよいのだ。けれど、このままでは国はそう遠くないうちに滅ぶ。それを止められる者が、この国にどれほどいるだろうか? 私はずっと、暗闇の中で考えてきた。何が国にとって最良であるのかを。それは決して、離宮の建設のような過ぎたる贅沢や、私腹を肥やす佞臣たちをのさばらせることではない」


 滾々と流れる水のようにして言葉が零れていく。それは、黎基がずっと抱えてきた思いだからだ。

 これを今、太守に語る意味を彼自身はどう捉えただろうか。


 黎基の軍が武真国に向かった隙に京師みやこへ密告することくらいは容易い。それを承知で伝えたのは、あなたを信じるという意味だ。

 さあ、どちらに着くか――。


 見えないとされている目を向けてくる黎基に、太守は色を失った顔でゆっくりと答える。頬を伝った汗が一滴、膝に落ちた。


「わ、私は、遙群太守にございます。群を正しく管理し、人々を飢えさせぬようにするのが役割です。だからこそ、容易には何も申せません……」


 皇帝の不況を買ってしまえば、群もむらも罰せられる。それを恐れるのは当然だ。

 黎基はうなずいてみせた。


「そうだな。今はまだ、私の言うことも信じられぬだろう。戦に行くのだから、無事に戻るとも限らない。しかし、私が武真国より帰還した時、またこうして話をさせてくれるだろうか」


 そっと、力を抜いて微笑んでみせる。

 この時、太守はようやく深く息をつけた様子だった。


「畏まりました。……本日はお疲れのことと存じ上げます。どうかお寛ぎくださいませ」

「ああ、ありがとう」


 太守のところを去る時、雷絃の面持ちには、これでよかったのだろうかという思いが見えた。しかし、昭甫はこれでよいのだという顔をしていた。

 部屋を出てすぐ、召使いの男が恭しく客間へと案内してくれる。


「部屋はふたつご用意させて頂きました。……あの、先ほど湯殿に通したお嬢さんですが――」


 お嬢さん、と。男装していた展可だが、背が高めであるとはいえ、見る者が見ればやはりすぐにわかるらしい。そう思ったのだが、それは少し違った。


「どうやら湯あたりをしたようで、下女が先にお部屋へ運ばせて頂きました」


 それを聞くなり、昭甫が呆れた目をした。


「あいつは何をやってるんだ?」

「……久々に湯に浸かれたから、長居しすぎたのだろうな」


 雷絃がそれとなく庇う。

 なんでも卒なくこなせそうな展可にもそういう抜けたところがあるのだと思うと、黎基としては微笑ましく感じられたのだが――。

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