ポスト構造主義

 構造主義は、当時としては画期的な考え方だった。文化などというわけのわからないものを、システムと捉えて分析するというのは、当時は誰も考えたことのない方法だったし、実際、そうやって分析してみると、結構うまくきれいに文化を説明できたりするわけである。


 ただし、構造主義には、いくつか問題があった。その欠陥を指摘したのがポスト構造主義となる。



 ソシュールは言葉と、その言葉が示すものは、言語システムによって結びついていると考えた。

 しかしこれは少々、言語について簡単にモデル化しすぎたきらいがあった。現実に即して考えてみると、言語のシステムはもっと流動的である。


 たとえば、「猫」と言えば、基本的にはにゃーと鳴くアレだが、実はこの意味の結びつきは、文脈によって常に変化する。


 以下のような文章があったとしよう。


「コンビニに行くと、猫みたいな顔をした店員がいた。その猫は私が入ってきても挨拶すらしないで明後日の方向を見つめていた」


 この場合、「猫」が指すのは、にゃーと鳴くアレではなく、にゃーと鳴く動物のような顔している(と筆者が感じた)人間のことである。

 このように、言葉とその意味は、実は常にそのシステム上では一対一で繋がっているとは限らない。文脈の中で常にその結びつきは変化している。

 同じ日本語というシステムを使っていても、実は話者と聞き手の関係によって、その意味は全然違ったりするわけである。

 言語システムは、ソシュールが考えていた以上にダイナミックに変化し続けるものなのである。



 似たような問題が、構造主義にもある。レヴィ=ストロースの論理は、歴史を考慮していない点に問題があった。人間文化システムも、言語システムがそうであるように、固定的ではなく、常に変化している。その変化を構造主義では考慮していなかった。


 また、ブラジルのインディオ文化を分析するのに、なぜトーテムを選んだか、という説明ができなかった。


 インディオ文化には様々な要素がある。それらの要素の中からトーテムを選んだのは、レヴィ=ストロースがトーテムに興味があったから、あるいは、自説を展開するのにトーテムが都合が良かったからに過ぎない。


 つまり構造主義とは、本当ならいろんな要素があるはずの文化から、観察者が自分に都合のいい要素だけを取り上げて特権化することで、システムを見出す手法なのだと言える。

 システムを見出すのは観察者であり、そのことによって、文化がそのシステムによって支配されているとはいい切れないわけである。レヴィ=ストロースの言う「システム」って、結局レヴィ=ストロースの脳内にしかないんじゃないの? 観察者が違えば、別の要素を取り上げてシステムを考えるんじゃないの? それで本当にレヴィ=ストロースの言っているシステムが正しいと言えるの?



 こうした問題を指摘し、観察対象から要素をピックアップして特権化し、それを基に観察対象をシステム化することは観察者の都合に過ぎないことを暴いたのが、ポスト構造主義である。



 ポスト構造主義は、構造主義の問題を指摘した点では重要だが、じゃあ、どうすればその問題を解決できるか、という点については、十分な答えを出せていない。

 人間が何を論じようとする時、その全ての要素を平等に考慮して論じることなどできないからである。どうしても自分が重要だと思う点をピックアップすることになる。

 それに抗って、ポスト構造主義者たちは、脱構築だのなんだのといろいろ言ってみてはいるが、どの説も、構造を持った瞬間にポスト構造主義によって批判され、相対化されてしまうことに変わりはない。


 ポスト構造主義が暴いたのは、要するに、文系学者の言うことはいい加減だ、という事実である。彼らは結局、自分の都合のいいように事象を解釈し、都合の良い結論を導き出しているに過ぎない。


 こうして、文学者や哲学者はめでたく、ポスト構造主義によって権威を失ったわけだが、どういうわけか、未だに「私はポスト構造主義でござい」と言って、学者然と偉そうな講釈を垂れている文学者や哲学者が存在する。ポスト構造主義を知っていて偉そうに振る舞う文学者や哲学者は、狂っているか、ポスト構造主義を理解していないかのどちらかだろう。



 かつて、文学者はみんなから尊敬されていた。偉そうにテレビに出ては、偉そうに一席ぶっていた。

 しかし、最近は見かけなくなった。それは、ポスト構造主義により、文学者はみんな馬鹿だということがバレたからである。


 私は、ポスト構造主義は、文学界における実存主義だと思っている。文学に真理などないし、神は死んだのである。

 文学に正しさなどないし、何を言っても「それってあなたの感想ですよね?」で論破されるだけの論理でしかない。

 それがわかってしまった後の世界で、文学者は何をすればいいのだろうか?


 それを考えるのは個々の文学者、それぞれの問題である。

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