ランドセル症候群

 ランドセル症候群という病名があるらしい。ランドセルとその中身が重すぎて背骨が曲がったりするのだとか。


 教科書の重さは増す傾向だそうで、ここ20年で2倍近くになったらしい。

 アメリカの小児科学会が推奨している子供の荷物の重さは体重の10%未満。しかし、今の日本では10%超は当たり前で、25%超ということもあるのだとか。

 というわけで「最近の若いモンは根性がない! ワシの若い頃はランドセルなんか軽々背負っておったわ」とかいう話には意味がない。ワシらが若い頃のランドセルはめちゃくちゃ軽かったのである。


 私は最近Fire HDを使うようになって、その便利さに感動しているわけだが、いっそ教科書は全部電子書籍化すればいいんじゃないの? と思う。

 学校でタブレットを貸し出して、授業ではそのタブレットを使う。そうすれば生徒はタブレットを毎日持ち帰りする必要もないし、学校で管理できるから、変なアプリを入れて授業中にこっそり遊ぶような問題にも対処できる。

 黒板の書き取りもやめて、教師がその日の授業内容をまとめた資料をデータとして配布すればいい。

 紙のノートは科目別ではなく1冊に集約して、適時必要なメモを取るためのものとする。あるいはそれもタブレットでやってしまってもいい。クラウドを利用して同期を取れば、学校で書いたメモを家でも見られる。

 黒板の内容をちゃんと書き写しているかをチェックするためにノートの提出を求める教師がいるが、全く馬鹿げたことだと思う。黒板の内容を丸写しすることがそんなに重要なら、最初からプリントにするなりして配布しろよと思う。


 ともかく、ノートを一冊にして教科書を電子書籍化すれば、生徒の荷物は劇的に軽くなるだろう。この時代に紙の本を大量に持ち歩くなんて時代錯誤もいいところである。



 一方、私は最近、電子化したことで荷物の重量が増えた。Fire HDを持ち歩くようになったため、かばんの重さが約1kg増に(なお、これも小学生の荷物増の原因のひとつらしい。つまり、学校にタブレットを持ち歩くようになったために重量が増加したのだとか。すでに小学生がタブレットを持ち歩いているなら、ますます電子書籍化すりゃいいのにと思う)。また、今まで使っていたかばんだとパンパンになってしまうので、新しくもう一回り大きいやつに買い替えた。もともとそろそろ買い替えの時機が来ていたので、ちょうど良かったとも言えるのだが。


 ざっと重量を量ってみたら、現在の私のかばんの重さは約3kgだった。夏場は水筒を持ち歩くので、それを含めると4kg。

 一方、今どきの小学生のランドセルの重さは平均4.7kgなんだとか。Fire HDを持ち歩くようになって「重くなった」と嘆いている私のかばんより1~2kgも重い。5kgの米を毎日持ち運んでいるのとほぼ一緒。いくらなんでも重すぎだろう。さすが文科省のやることである。



 小学生の頃、私は予習復習をしなかったので、教科書はたいがい学校に置きっぱなしだった。そのため、ランドセルが重いのは学期末だけだった。そのくせ教科書を忘れることもよくあったのだが。今から考えると謎である。


 宿題も、できるだけサボることに力を入れていた。どうしたらやらずに済むかばかり考えていた。


 家で勉強をしない代わりに、宿題サボりの罰や、漢字の書き取りテストの再テストで、居残りはたっぷりやらされていた。私が帰るのは常に下校時間。16時30分か17時だったっけか?

 当時の私の考えとしては、勉強は学校でやるもので、家でやるものではなかった。だから、居残りはOKだが、家で予習復習や宿題をやるのはNGだったのである。


 また、そもそも、小学生の頃は成績は良く、予習復習などする必要もなかった。赤点を取るのは漢字の書き取りだけ。あれは予習しないとできないから当たり前である。知らない漢字をいきなり書くことは絶対にできない。

 それがわかっていても、なお予習しなかった。居残りすりゃいいじゃんと思っていた。テストでいい点を取ることに何の意義も感じていなかったのである。

 今の学校でもやっているか知らないが、クラスの掲示板には漢字のテストの成績表が張り出されていて、1発合格は金のシール、再テスト1回で合格は赤シール、2回以降は青シールが貼られた。私は真っ青だった。


 夏休みの宿題もほぼやらず、学期明けに居残りでやらされていた。のび太なんか目じゃない。なぜ親にまで手伝ってもらってまで締切を守る必要があるのか。あんなもんやらなくていいのである。

 ただ、居残りではどうにもならない、夏休みの工作とかはちゃんとやった。ひまわりの観察日記などは観察せずに適当に書いた。読書感想文もごまかしが効かないから早めに済ませていた。できるだけ薄い文庫を選んで。



 私が勉強方法を理解したのは高校三年の秋になってからだった。勉強で重要なのは予習ではなく復習。そして、テストの点数ではなく、なぜ間違ったかを検証すること。テストの点数で一喜一憂するのは何の意味もない。

 テストは自分のわかっていないところを洗い出すためのもので、点取りゲームとして考えるべきではない。テストの点数は学校という特殊な環境では通用するが、そこから一歩出れば何の意味もない。学校で学ぶのは知識や技術であり、それが習得できれば点数なんかどうでもいいのである。

 テストで悪い点を取るのは悪いことではない。たくさん問題点を洗い出せたのだからラッキーなのである。90点を取って浮かれて10点のミスを無視するより、0点を取って問題を再検証し、そのテストで得られる知識をすべて習得したほうが得。0点だとやることが多すぎて大変だが。


 もっとも、学校の教師も「問題の洗い出し」という目的でテストを作っていない場合が多いから、テストそのものがやるだけ無駄な場合も多々ある。


 残念なのは、私が学校の勉強の仕方を理解した頃には、もう卒業間近だったことである。もっと早く悟っておけば、もう少し学校生活を有意義に過ごせたかもしれないのだが。



 なお、言うまでもないことだが、入試試験では点数が全てである。とにかく効率よく点を稼ぐことだけを考える必要がある。相手は受験生を落とすことしか考えていない最低のクズだから、こっちもあらゆる手を使って点を取りに行く。お上品に振る舞っている場合ではない。ぼーっとしていたら殺られる。仁義なき戦いである。

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