『誇り ~ 伝えよう この日本のあゆみ ~』

『誇り ~ 伝えよう この日本のあゆみ ~』は、公益社団法人日本青年会議所が2006年に学校の教育素材として制作したアニメ。


 私はこのアニメについて今まで全く知らなかったが、ネットで調べ物をしていてたまたま存在を知った。確か赤十字について調べている途中で引っかかったと思うのだが。全然関係ない。



 調べた限りだと、このアニメを用いた教育プログラムを、文科省は一度は承認したらしい。しかし結局、実際に使用されたことはなかったようである。

 日本共産党はこの件で強い反対キャンペーンを行ったようだが、おそらく日教組の反対の方が大きく影響したんじゃないかと私は思う。


 余談だが、日教組が日本共産党のシンパだと言えたのは1989年までのこと。この年に日教組は分裂し、共産党系のメンバーは全教を立ち上げてそちらに移った。今の日教組はおおむね立憲民主党を支持している。都道府県によってカラーが異なるので、一概にそうとも言えないが。



 現在、このアニメの視聴方法は限られており、YouTubeにアップロードされているものを観るしかないようである。違法かもしれないが、問題があるならYouTubeが削除しているだろう。


 ただのアニメならどうでもいいが、教育素材として作られたアニメとなると、私としては無視できない。専門分野にも関わることである。というわけで、グレーな方法で観た。



 あらすじは、女子高生の主人公が老人ホームに体験学習に行き、そこで謎のイケメン男子と出会って日本の歴史についての講釈を聞くのだが、実はそのイケメンは祖母の兄の霊だった、という話。兄は教師志望だったが特攻隊として戦死したのである。

 主人公は、最初は老人が躓いて転んでも放っておく人だったが、この経験を通して、雨に降られて困っている老人に傘を差し出すようになりましたとさ。めでたしめでたし。



 兄の霊が語る歴史の講釈は、大東亜戦争は自衛のための戦争だった、という観点に立ったものではあるが、そこまで偏っているわけでもない。もちろん、都合の悪いことは語られないわけだが。


 たとえば、朝鮮半島や満洲国のインフラを整備したり学校を建てたりといった都合のいいことは言うが、名前を日本名に変えさせたり、日本の官憲が現地人をいじめていたことなどは語らない。


 また、アメリカが日本を仮想敵国として、ABCD包囲網を敷いたり、ハル・ノートを突きつけたという話はあるのだが、そもそもなぜアメリカが日本に経済封鎖をかけたかは説明していない。アメリカが理不尽なことをしたかのような印象を与える。

 これは盧溝橋事件で日本が中国の都市に爆撃を行ったことに対する経済制裁で、国際連盟の評決によって採択されたもの。

 満洲事変では日本の行為は非難されたものの、経済制裁まではされなかった。しかし、盧溝橋事件でついに国際社会は経済制裁に踏み切ったのである。


 つまりこれは、今のロシアが経済制裁を食らっているのと同じ理由。クリミアのときは経済制裁を食らわなかったが、今回は食らった、という経緯もそっくり。

 満洲事変や盧溝橋事件は、日本からすれば先に手を出したのは中国だったが、その理屈は国際社会では認められなかった。

 ロシアも、先に手を出したのはウクライナだと言っているし、それは事実である。ウクライナはちょくちょくドネツクやルガンスクにちょっかいをかけていた。しかし、だからといってロシアのあの侵攻はやりすぎであり、国際社会ではロシアの理屈は認められていない。


 今、多くの日本人は、ロシアはさっさとウクライナから手を引けばいいのにと思っているだろう。同じ理屈で、かつての日本も、さっさと中国から手を引けばよかったのである。中国に攻め込んだってメリットなんかないのだし。そうしなかったから経済制裁が強化され、キレた日本はアメリカと戦争をした。そして負けた。


 ハル・ノートも、要するに今のロシアにクリミア半島やドネツク、ルガンスクから手を引けという内容だったと考えれば理解しやすい。

 ロシアにとってクリミアやドネツク、ルガンスクは、かつての日本における満洲国や朝鮮半島なのである。そしてロシアも、今やっている戦争は自衛のための戦争だと思っている。



 なぜ語り部が戦死した霊でなければならないかというと、中盤に靖国神社に参拝するくだりと関係する。

 中盤で、兄の霊はわりと唐突に「靖国神社にお参りにいかない?」と主人公を誘う。そこで、靖国神社では戦死者が祀られていて、その中にはA級戦犯もいる、という話になる。そのついでに、東京裁判は戦勝国が一方的に敗戦国に罪を被せるものだったという解説が入る。

 兄は靖国に祀られているのだろう。この作品の舞台が靖国に歩いていける近所だからこそ、兄の霊が出没したわけである。


 あと、兄の霊が特攻隊だったというところもミソ。特攻隊は悲惨だが、東亜戦線に比べれば遥かにマシだったのも事実である。

 もし兄が末期の東亜戦線に送り込まれた陸軍兵士だったら、日本の誇りだの何だのという呑気なことは言わなかっただろう。かつての日本がいかに酷かったかを滔々と語り、同じ過ちを繰り返してはならないと口を酸っぱくして言ったはずである。



 このアニメが学校の教育素材としてどうかと言われたら、良くはないと答えるが、学校で行われている平和学習や国語教育も洗脳教育だから、それと比較して害が多いとも思わない。どっちもどっちである。


『誇り』や平和学習に共通しているのは、感情に訴えるだけで、具体的な分析がないこと。「太平洋戦争で戦死した人達は日本を守るために戦ったんだ」とか「戦争は悲惨だから二度と起こしてはならない」とか、エモーショナルなことは言うのだが、そもそもなぜ日本が戦争をし、なぜ負けたか。どうすれば戦争を回避できたか、あるいは勝てたか、といったことには立ち入らない。

 結局この手の学習は、ただ感動するだけで、何も得られない。そのくせ何かを得た気にだけはなる。こうした学習で感動した生徒たちは、大きくなったら同じ過ちを犯し、日本は滅ぶだろう。



 本当に問題なのは、学校教育が生徒に情報リテラシーを叩き込んでいないことにある。それどころか、読書感想文を書かせて、生徒が学校にとって都合のいい結論を導くように指導している。国語教育は洗脳であり、生徒から考える力を奪う教育である。

 日本共産党はそのことをよく知っていて、それを散々利用してきたからこそ、このアニメに強く反発したのである。


 もし生徒が情報処理の技術を持っているなら、何を観たって問題ない。このアニメを観ても鵜呑みにしないし、制作意図を見抜き、その意図に沿ってバイアスがかかっていることくらいはすぐ気づくだろう。

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