カミュ『シーシュポスの神話』

『シーシュポスの神話』は、カミュの哲学エッセイ集。「不条理な論証」「不条理な人間」「不条理な創造」「シーシュポスの神話」の四部からなり、付録として「フランツ・カフカの作品における希望と不条理」が収録されている。註釈によると、この付録は初版本にはなかったものらしい。


 この本はあくまでエッセイで、論文のような精密で堅牢な文体では書かれていない。引用の仕方や自説の展開の仕方もいい加減。

 カミュはこういう書き方しかできなかったらしく、サルトルとの論争の時もゆるい文章を書いて、サルトルの問題点をうまく指摘できていなかった。


 このエッセイ集で最も有名で最もよく引用されているのは、表題作である「シーシュポスの神話」。この話は短いし、本書におけるカミュの論考をわかりやすくまとめていて都合がいい。私もたいがい、引用するのはこの部分だけである。


 他の部分は、面白い論考もあるのだが、論理展開が強引だし雑。カミュは学者としての素質はイマイチだったようである。芸術家ではあったが論理家ではなかった。


 しかし今回取り上げるのは、「シーシュポスの神話」以外の部分。



 この一連のエッセイで特に注目に値する点は、カミュが特殊な意味で「不条理」という言葉を使っていること。

 通常「不条理」とは、理屈に合わないことを意味する。カフカの小説を「不条理」という場合は、こちらの意味になる。人間が突然毒虫になったりすることはありえない。

 一方、カミュは「不条理」という言葉を、「この世界は人間には理解できないし、世界にとって人間なんかどうでもいい」という意味で使っている。実存主義における「実存の不安」と似た意味合いで使っている。カミュとサルトルが一時期仲が良かった理由はこのためだろう。


 後にカミュとサルトルは雑誌上でケンカをして絶縁することになる。今で言うツイバトである。本人達は大真面目だが、端から見たらどっちも馬鹿というアレ。

 余談だがざっとこのケンカについて触れておくと、サルトルはご存知の通り、実存の不安を解消するために歴史に参加することを提言した。資本主義から共産主義に移行するのは道理であり、その道理に乗っかることで生を充足させるべきだと言った。

 カミュはそれに反対したのだが、反対した理由がイマイチだった。暴力によって革命を起こすべきでない、という形で反論したのである。これは理想だが現実的とは言えない。

 ガンジーは非暴力不服従を唱えたが、ガンジーのやり方は、理想を貫くために自分や仲間の命を捨てる行為であり、そういう意味では暴力的である。決して無血で革命を起こそうとしたのではない。敵ではなく、味方の血を大量に流しただけ。


 サルトルに対して最も効果的な批判は、「お前はアジってるだけで何もしてないだろ」ということだろう。自分は象牙の塔に引き籠もってぬくぬくしながら、人を革命へと扇動するろくでなし。それがサルトルである。自ら先頭に立ってアジったヒトラーやレーニンより質が悪い。人として最低である。

 結局サルトルは、実存の不安だのなんだの言っていながら、本人は別に不安なんか抱えていなかったのだろう。ただ自説を認めて欲しかっただけ。承認欲求モンスターである。控えめに言ってもクソ。まあ、それは余談だが。



 カミュが、カミュが言うところの「不条理」、要するに実存の不安にどう対処すべきと考えていたかというと、「不条理」を知りながら明晰でいることだとしている。

 この世は人間にとってわからんことだらけだし、この世にとって自分はどうでもいい存在に過ぎない。自分が死んだって地球は変わらず回り続ける。それをわかった上で、なお理性的でいること、不条理を見つめながら今を生きることが肝要なのである。


 カミュの考えは観念的で理想論に傾きすぎているように感じるかもしれない。しかし、この考えは、自己啓発の文脈だとわかりやすくなる。

 D・カーネギーをはじめとする自己啓発本では、過去や未来の心配はせずに、今、すべきことをせよと説く。

 過去は変えられない。想定される未来は起きるかわからない。変えられない過去を嘆いたり、起きるかわからない未来への心配をするのは無駄だし無意味だ。重要なのは今であり、今、何をするかなのである。

 これなら論理的だしわかりやすいだろう。


 カミュの思想はわりといい線を行っているのだが、哲学の世界にどっぷり浸かっていたせいで哲学の文脈から抜け出せず、迷走することになる。サルトルなんかとお友達になるべきじゃなかったのである。



 この本でもうひとつ注目すべき点は、カミュがキルケゴールやカフカを批判している点。


 キルケゴールは、実存の不安(キルケゴール風に言うと「『絶望』は死に至る病である」となる)を克服するために、神にすがることを提言している。「実存の不安」というのは、要するに人が神から見放されていることを認めることに他ならないのだが、そうと知りつつも神にすがるという、矛盾したことを提言しているわけである。

 現代の、特に日本人からすれば、キルケゴールが何を言っているかはよくわからないだろう。ただ、西洋哲学において、キルケゴールの影響は大きかった。キリスト教の教えは「信じる者は救われる」である。一方、キルケゴールは「神は人を救わない。むしろ人を罰する存在だが、それでも人は神にすがるしか絶望から逃れる術はないのだ」という、わりとネガティブな神への信仰を説いている。なかなか面白い。


 論理的に矛盾しているだけあって、キルケゴールの説を叩くのは簡単。というわけでカミュも存分にぶっ叩いている。さぞかし気持ちが良かっただろう。後にカミュ自身もサルトルに死ぬほどぶたれることになるのだが。


 カフカについては、なんと、キルケゴールの同類とみなして叩いている。これは面白い。

 カミュはキルケゴールに対して、「不条理」を知りながら神にすがるという飛躍によって「不条理」から逃避していると批判している。そしてこれは哲学上の自殺だとしている。哲学者が論理を捨てたらおしまいだろう、ということ。


 一方、カフカも、『城』の最後で、主人公のKは、城や村から見放された娼婦や姉妹の元に行く展開になっている。それをカミュは「不条理」からの逃避だとみなしたようである。


『城』について軽く補足しておくと、測量士のKは、仕事を依頼されて城に行くことになったのだが、どうしても城に辿り着くことができない、という話。とにかく、様々な妨害を受けて城に入れないのである。一方、Kは何としてでも城に入ろうとしていろいろやる。

 カフカ史上最も長い作品だが、未完であり、かつ、生前は未発表。つまりは没原稿のひとつ。


 未完成の没原のラストで揚げ足を取ってカフカを批判するカミュのやり方は、私はフェアじゃないと思う。

 そもそもカフカは、カミュの言うところの「不条理」を描いていたとは言い難い。カフカは自虐的なブラックユーモアを得意とする作家で、重要なのは面白いかどうか、笑えるかどうかだった。主人公が理不尽な扱いを受けてゴミのように死ぬのを、馬鹿話として書いていた。

 カフカにとって、哲学的な理論などどうでも良かったはずである。重要なのは机上の言葉遊びではなく、現実そのものだった。そして、その現実の不幸をネタに笑い話を書いていたのである。


 カミュとカフカだと、カフカの方がファンタジックな作品を書く。わけのわからん容疑で裁判にかけられたり、毒虫になったり。しかし、カフカの方がリアリストだったのだと私は思う。

 カフカにとって実存の不安などどうでも良かった。神から見放されているかどうかとか、過去や未来の心配とか、死んだ後の事とか、そんなことは眼中にない。

 カフカの問題は今の問題であり、今の不幸だった。今、なぜか知らないけど謎の容疑にかけられたり、なぜか招かれたはずの城に入れない。だから今、それを解決しようとなんとかする。でも、どうにもならない。その不幸や無駄な努力は、第三者にとっては笑い話になるし、笑い話にした方が本人の気も楽になる、というのがカフカの作風。

『変身』で主人公が毒虫になったときも、なぜ毒虫になったかとか、そんなことは考えない。考えたって人間に戻れるわけではないからである。それよりは遅刻の言い訳を考える。ザムザは意外とリアリストなのである。そういうと変な感じに聞こえるだろうが。


 おそらくカミュは、不幸を笑いにするカフカの作風を「逃避」とみたのだろう。笑い飛ばすことによって現実を直視するのを避けているとみなしたから、キルケゴールの同類と分類したわけである。

 では、カフカ論でそう書かなかったのはなぜか、というと、カミュには「自分の不幸を笑い話にする」という概念自体がなかったのだと思う。カフカの作品をシリアスなものとして捉え、まさか笑い話だとは思わなかった。だから、カフカに感じる違和感を言葉で説明できず、『城』のラスト(?)での揚げ足取りという形で無理矢理表現したのだと思う。


 一般的には、カミュとカフカは同等にみなすことが多い。どちらも不条理を描く作家だからである。しかし、根本的なところで大きく異なることが、このエッセイから見えてくる。これは小説だけ読んでいても解りづらい違いである。興味深い。

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