星那と旅行の終わりに

 夕飯のおにぎり用のお米を研いで炊飯器をセットした後、星那は願望通り、一人温泉に浸かっていた。


 瀬織夫妻はお昼寝中で、ほかの皆は周辺の探検について行ってしまった。

 故に今この建物内は静かなもので、星那は天井から垂れる水琴の音に耳を傾けながら、お湯にプカプカと揺蕩っているのだった。


「この温泉とも、今日でお別れかぁ……」


 探検に行った朝陽たちも戻ったら改めてお風呂に入るだろうから、その際にもう一度入る気満々な星那だったが……この数日ですっかり慣れ親しんだ場所から離れるというのは、中々に寂寥感がある。


 だが、どれだけ楽しい時間だったとしても、ハレの日はいつかは終わるもの。

 帰ったらまた別の楽しい事があるはずで……今は、数日だけしか経っていないのにずっと顔を見ていない両親がやけに恋しかったりもする。


「そういえば……花火大会、浴衣を着てほしいって言われていたっけ」


 そんな先に待つ楽しそうな事に想いを馳せ……旅行が終わる寂しさを紛らわせる星那なのだった。







 ――皆が帰って来て、ひとっ風呂済ませた後。


 男性陣がバーベキューコンロで火起こしや、夜凪を中心に焼く野菜の下処理をしている間に、星那と杏奈と柚夏、それと朝陽の四人で、炊いたご飯をおにぎりにしてしまう。


 バーベキューをしながら食べるため、今回は具は無しだ。塩握りと、わかめご飯の二種類をひたすら握っていく。


「どう、こんな感じでいい?」

「うんうん、上出来上出来」


 朝陽が見せてくる、やや小さめなおにぎりに、ニコニコと褒める星那。

 内心これは絶対私が食べると狙いを定めながら、自分のおにぎりノルマはとうに終え、海鮮の下処理も早々に済ませた星那は、今は種を抜いた大量の梅干しの果肉を包丁で叩いていた。


 これは、ほぼペースト状にしたのちに、煮切ったみりんと薄口醤油で梅ダレにするのだ。


 ちなみに、これ以外にも味噌とみりんやコチュジャンなどを使用した味噌ダレや、醤油ベースにごまと大蒜と玉葱で作ったタレなども用意した。


「杏那さん、料理はしないって聞いたけど、結構上手ですね」

「ええ……あまり身につかなかったけど、あの人に食べて貰いたくて、これだけは頑張ったのよ」

「へぇ……そういうの、素敵だと思います!」

「あら、ありがとう」


 卓の向こうでは、そんな和気藹々と話をしている柚夏と杏那。こちらも、いつの間にやらすっかり仲良くなったらしい。


 そうしているうちに外ではバーベキューコンロに火の用意ができたらしく、旅行最後の夜、バーベキューが始まるのだった。






 バーベキューというのは、作る側としてははっきり言って楽だ。

 なんせ、材料を適当な大きさに切ればあとは皆がめいめいにやりたいように焼くのだから。




 そんな中、星那は着々と育てていたホタテの上に醤油を垂らし、バターを一欠片放り込む。


 それがグツグツ煮えて来たところで、そのぷりぷりの身を箸で摘んで頬張る。


 途端、口に広がる濃厚なホタテの出汁と香ばしい醤油とバターの香り。この組み合わせで不味いわけがない。


「んー……っ! なんでバーベキューだと、なんて事ない簡単な料理もいつもより美味しく思えるんだろ……」


 残ったスープに、こっそり自分用に用意していた小さな塩無しおにぎりを放り込み、火にかけて箸で崩しながら、恍惚とした表情で首を捻る。


「何それずるい、一口ちょうだい?」

「あ、あはは……はい、どうぞ」


 恨めしそうにホタテご飯を見ている夜凪に苦笑し、一口スプーンで掬ったご飯を食べさせてあげる。


「私にもお肉ちょうだい!」

「おう、ちびっこはよく食えよく食え! これ焼けてるぜ、ほい」

「あ、なっちゃんがなんか美味しそうな事やってる、私もー! ホタテまだあるよね!?」


 わいわいと喧騒を上げながら、いい匂いをさせて焼かれていく肉と海鮮。

 そんな中、ふと大きな肉の塊に噛り付いていた陸が、背後に広がる景色に気付き、ひゅう、と声を上げる。


 その視線の先には、長い夏の昼間も終わってすっかり陽が落ちた街に、次々と灯る光によって広がっていく宝石箱のような夜景。


「しっかしまぁ……夜景を見ながらバーベキューってのも贅沢なもんだ」

「うんうん、綺麗だねー。でも……」


 不意に、柚夏がちょっとだけ残念そうな顔で口籠った。だが、その気持ちは星那にもよく分かる。


「実際に、夜の運河を見て来たかった?」

「そう、それよ! せっかくデートスポットとして有名なのに!」


 そう言って悔しがる柚夏。

 たしかに諸々のスケジュールの関係で夜の運河に出られなかったのは、星那としても心残りだった。


 だが……距離的に、車を出さないと行けないのだ。


 それを残念に思うが……そんな時、才蔵と杏那、そして一夜がニヤリと意味深な笑いを見せた。

 そして、その中の代表として、一夜が口を開く。


「なら……せっかくだしこの後最後に、皆で夜の運河を観に行くのはどうかな?」

「え……でも、お義父さんも兄さんも、お酒……」


 飲酒運転など絶対にさせるわけにはいかない……と星那が思ったところで、一夜が自分の飲んでいたビールの缶をよく見えるように振ってみせる。


「……あ、それノンアルコール!?」

「うん、こんな事もあろうかと、俺はお酒飲んで無いよ」

「あはは……兄さん、大好き!」

「うわっと!?」


 感極まった星那に急に抱きつかれ、目を白黒させている一夜。


「え、飲んでなかったの、マジか!?」

「お兄さん、やってくれるねー!」

「いや、あはは……大学では送迎よくやらされた癖みたいなものだから、あまり褒められると恥ずかしいな……」


 そんな彼は周囲からも称賛され、すっかり困り顔をしていたが……そんな中、あまり面白そうではない顔をしているのが一人。


「……取れるようになったら、速攻で僕も免許取りますから」

「いや、まあ……あの子にとって僕はどこまで行っても身内枠だから、気にしなくていいと思うんだけどなぁ」


 何故か不機嫌な夜凪に隣でボソっと呟かれ、困ったように苦笑いしている一夜なのだった。






 ――そうして、皆お腹いっぱいになるほど食べまくって。


 バーベキューを終え、網や食器類は後で洗うためにぬるま湯に浸けて来た後……一夜の運転する車で市街地、夜景が綺麗だと有名な運河沿いへと繰り出す。車から降りたったそこは……


「うわぁ、すっごい!」

「遠くから見た時も綺麗だったが、こうしてみると圧巻だな……」


 歩道を歩く皆から上がる、感嘆の声。


 温かみのあるガス灯のオレンジ色の光に照らされた赤煉瓦の倉庫が運河に映り込み、まるで光の道のようにイルミネーションに照らされた光景は、幻想的の一言。


 それはまるで、ファンタジーの世界へと迷い込んだような光景が広がっていた。


 デートスポットとしても有名なそのライトアップされた夜景は、皆を上の空にするほどに、期待に違わぬ美しさだった。


「さて……三十分後、ここに集合でいいかな?」

「はーい」

「おっと、朝陽は俺と一緒ね」

「えー!?」


 一夜の指示に、元気に返事をして真っ先に駆け出そうとした朝陽が、一夜に捕まって不平を唱えていた。

 そんな微笑ましい様子に皆笑いながら、まずは陸と柚夏が手を繋いでどこかへと歩いていく。


「はは、私は酔っているからな、すまないが、杏那と二人ここでのんびり座っていよう」

「何かあったら、私の所に戻って来てくださいな」


 瀬織夫妻はどうやらここで夜景をのんびりと眺めている事にしたらしく、ベンチに仲睦まじく腰掛けていた。



 そんな中、決して離れまいと固く手を繋いだ星那と夜凪は……ゆっくりと、運河沿いを歩いていた。


「……旅行、来てよかったね」

「うん……本当に、すごい楽しかった」


 この数日の出来事を一つ一つ思い出し、余韻に浸りながらのんびりと歩く。


 そんな時、ふと顔を上げた際に横を通り過ぎた、恋人同士と思しき一組の男女の影。

 それが、運河を背景に情熱的な口付けをしている最中であった事に気付いてしまい、星那がパッと視線を逸らす。


 ――もしかして手を繋いで歩いている自分達も、周囲の人達からは、あのように見えているのだろうか。


 そう思うと、途端にバクバクと暴れる心臓に、熱くなっていく顔。何も言えず、そのまましばらく無言で歩いていると。


「ねえ……また、二人で一緒に来よう」

「……うん、そうだね」


 不意にボソリと呟いた、夜凪の言葉。

 それに、微笑んで頷く星那。


「それに、ここだけじゃない、色々な場所に行って、色々と思い出を作ろう……時間は、まだまだいっぱいあるんだから」

「……そうだね。ずっと一緒だもんね」


 なんとなしに嵌めて来た、昨日買ってもらったガラス細工の指輪に触れながら、呟く。


「うん、絶対に、逃がさないから」

「あはは……お手柔らかにお願いします」


 二人、ガス灯に柔らかく照らされる下で肩を抱き合って見つめ合い、ふっと笑い合う。


 そのまま……皆が戻って合流するまでのしばらくの間、二人、ぴったりと寄り添ったまま、この光景を眺め続ける。




 ……果たして、先に求めたのがどちらだったのかは、二人にも分からない。


 まるでそれが必然だとでも言うように、お互いの唇に引き寄せられるようにして二つの影が重なるのには――さほど、時間は必要無かった。




 こうして旅行最後の夜は、静かに更けていくのだった――……

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