星那とパーティー準備
別荘に戻って最初に行ったのは、お風呂だ。特に、髪が傷むのを気にする女性陣の強硬な主張によって。
たしかに、海から帰る前に更衣室でシャワーは浴びて来た。だがしかし、潮風と海水を多量に浴びた今日はそれでは心許無く……星那、柚夏、そして二人の主張により朝陽も強制で、三人で交代しながらいつもより念入りにトリートメントをしておく。
そうしてお風呂を出て、外で待っていた男性陣と交代した後……星那は髪をポニーテールに束ねると、自分の戦場であるキッチンへと立つのだった。
「さて……それをじゃ、夕飯の準備を始めようか」
と言っても、メインは外のピザ窯で皆で色々と好きな具を乗せてピザを焼くこと。その焼く作業自体は皆やってみたいと言っているが、やはり経験者である才蔵が中心となってやってくれるそうだ。
ここで自分がやるべきは、その具の下処理と……その前に、何よりも大事なものがある。
「肝心の、トマトソースを完成させないとね」
これが台無しならば、今夜のピザパーティは苦い思い出となってしまう。そんな意気込みで作業へと取り掛かる。
大鍋を開けると、濃厚な
表面に黄色味を帯びた油の膜がある、頼んだ通りの煮詰め具合。
よし、とひとつ頷いた星那は、別の鍋へと目の細かなザルを使用して裏漉ししていく。
それが終わったら、さらに火にかけて、塩胡椒で味を調え、好みの加減へと煮詰めていく。
その間、余ったソースの保管用の瓶も煮沸消毒をしておき、これでトマトソースは大丈夫。
そう、一息吐いていると、星那たちの後に入浴していた男性陣が上がってくる。
「星那、何か手伝うことにはある?」
「あ……それじゃ、夜凪さんは玉ねぎとかトマトとか、野菜の具を切って貰っていいかな。魚介類はこっちでやるから」
「うん、了解……なんか山芋もあるけど、あれも?」
「もちろん。その為に買ってきたんだからね。あ、半分は明日の朝食に使うから半分だけでお願い」
今朝産直から買ってきた、季節が早い為やや小さめな自然薯。
あれもピザの具にするのか、というやや疑わしげな夜凪の視線に、星那は悪戯っぽく笑って答える。
首を捻りながら用意しておいた野菜籠を手に抱え、外に出て行く夜凪。
「陸は、窯で使う薪をお願いしていいかな?」
「よし、任せろ」
「置く場所は、外で才蔵さん達や柚夏ちゃんが会場設営しているから、そっちに聞いて!」
星那の指示に、腕捲りして外へと出て行く二人。それを見送って……よし、と気合を入れる。星那には、ここから大仕事が残っていた。
眼前のキッチンに並ぶ、海鮮の山。
まず、最大の敵、タラバガニから手を付ける。家で蟹鍋をした際に母の指導のもとで処理した経験はあるが、そうそう扱える素材ではない。
そんな蟹は、タワシで軽く殻ごと洗い、全部まとめて寸胴鍋で塩茹でにする。
だが、ピザに使うのは脚の身だけになるのだが……かといって胴体を使わないのはもったいなさすぎる。
まず茹で上がった胴体は、蟹味噌を別の容器に取り出して中の身を毟り取り、茹でた脚のうち二本も身を取り出して解し、炒めた香味野菜とともにマヨネーズで和え、再び甲羅に詰めて蟹味噌を上にかける。
あとはこれを窯で一緒に焼けば、蟹の甲羅焼きとして酒の肴になるだろう。
続いて
こちらも何度か捌いた経験はあるものの、普段は出来合いの物を使用するためそう手慣れた訳ではなく、再度気合いを入れてハサミを取る。
こちらは口側にハサミを入れて、円形にバリバリと切り開いていく。
中に見える余計な内臓を取り除き、見慣れた黄色い部分……卵巣をスプーンで取り出して塩水で洗い、先程の殻の中を洗浄したものに盛り付けていく。
普段使い慣れない素材はこの程度。
エビは普通に殻をむき、背ワタを取って完成。こちらは手慣れたもので、サクサクと済ませていく。
烏賊も、ワタを抜いてゲソと胴体を適当に食べやすい大きさに。
他、鮭のちゃんちゃん焼きなど、ピザ以外のサイドメニュー用の食材も次々と下拵えを済ませていく。
しばらくそんな地道な作業に没頭した後、これでだいたい下処理はいいかなと満足し……
「……あ、野菜にジャガイモもあるし、ゆで卵も用意しておこうかな」
……なかった。
ふと、確か朝陽がジャガイモとゆで卵とマヨネーズのピザが好きだった筈と思い出す。
いそいそと鍋に水を張り、湯を沸かす。その間にジャガイモを洗い、一口大に切る。卵はお尻に画鋲で穴を開けて、茹で終えたあと殻を剥きやすいように小細工をしておく。
そんな作業はあっという間に終わり、待っている間のんびりと座っていると。
「ごめん、遅くなった」
リビングに入ってきたのは、吉田さんを送りに行った一夜。その表情は晴れやかで、その様子に星那は安堵の息を吐く。
「あ、兄さんお帰りなさい。ちゃんと送ってきた?」
「うん、ただご両親に捕まっちゃってね、お茶をご馳走になってたら少し遅れた」
そう、照れて頬を掻きながら苦笑する一夜。
その様子は生き生きとしており、ひとまず上手くいっているようで……焚きつけた星那もホッとするのだった。
「準備はまだまだ掛かるから、兄さんもお風呂済ませてきたら?」
「うん、そうするよ」
そう言って、リビングの階段を降りて風呂場へと向かう一夜にひらひらと手を振って、外のウッドデッキの方を見る。
そこでは、着々と立食パーティーの準備が整っていた。
陸はデッキの下から燃料の薪を次々と担いで運んでおり、柚夏はキャンプ用の折りたたみ椅子を広げている。
野菜を切る夜凪の横では朝陽がルッコラやバジルなどの葉物野菜を洗い、手でちぎって手伝いしていた。
そんな光景を、星那は微笑ましく思いながら眺める。
不思議なもので……今の星那は、そんな数ヶ月前とは全く変わってしまった光景に、すっかりと慣れてしまっていた。
このまま、何年もして……取り巻く環境が変わってしまい、大学に行くかどうかはまだ迷っているが……いずれ学業が終われば約束どおりに結婚し、家庭を設けるのだろう。
その時……果たして、自分は元は『白山夜凪』という少年だったことを覚えているのだろうか。
あるいは、すっかり懐かしい思い出となっているのだろうか。
入れ替わり、『瀬織星那』として生きていく事に後悔は無い。
だが……それでも、星那は僅かな寂寥感を感じるのだった。
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