星那と、兄の恋路

 午後は、時折吉田さんも交えた皆でひたすら遊び回っていた。


 浜辺の浅いところで、借りてきた浮き輪に皆で掴まってぷかぷか浮いてみたり、同じく借りてきた水鉄砲で撃ちあったり。

 身体が冷えてきたら、波打ち際で砂遊びをしたりもした。


 どうしても年少の妹がいると、そちらがしたい事を優先しがちになるが……それでも何年かぶりな海辺での遊びはとても楽しく、あっという間に夕刻が近づいていた。


「はぁ……今日はいっぱい遊んだなぁ」


 シャワーで塩水を洗い流し、元の私服へと着替えた星那が、んーっ、と声を上げて伸びをする。


 目一杯水遊びした後特有の、日差しがやけにポカポカと暖かい感覚と、水中に居た時には支えてくれていた浮力が無くなったことで……どことは言わないが……やけに強く感じる重力に対し気怠さを感じながら、帰路へと就いていた。


「吉田さんも、付き合ってくれてありがとうね」


 隣を歩く吉田さんにニコッと笑いかけ、礼を言う。


「ふふ、お疲れ様です。瀬織さんは、いいお姉さんですね」

「そ……そうですか?」

「ええ、こんな優しいお姉さんが居て、朝陽ちゃんが羨ましいくらい」


 ニコニコとそんな事を宣う彼女に、星那は恥ずかしそうに顔を赤く染め、はにかむ。


「そ……そういえば、吉田さんは兄……一夜さんの買い物にも、付き合ってくれたんだっけ」

「ええ。彼、ちょっと頼りないけれど、とても良いお兄さんですね。どことなく瀬織さんによく似ている気がします」

「そ……そう?」


 内心で冷や汗をかきつつ、ニコニコと呑気に笑いながらそんな事を話す彼女から、そっと目をそらす星那。


 ――バレた……訳じゃないよね?


 ちらっと、横目でそんな吉田さんの様子を覗き見る。


 いつもはふんわりとしたボブカットの栗色の髪はまだ少し湿ってぺたんとしており、身に纏うの服装は夏らしい薄手のワンピースと白いサマーニット。


 そんないかにも海水浴帰りという出で立ちをした吉田さんの手には、なんでも家族へのお土産だと言う、一夜が向かった牧場直営店の袋と同じものを下げていた。


 先に来ていた分、一足先に水着から私服へと着替えていた吉田さんは……同じく先に着替えた一夜と一緒に、少し離れた場所にある店まで歩いて来たらしい。


「でも……私はお父さんの晩酌用のお土産だけど、一夜さんはかなり買い込んでいたみたいですね。この後何かするんですか?」

「あ、うん。家にあるピザ窯を使って良いって言われて、せっかくだから今夜、自分達で作ろうって事になったんです」

「へー、家でピザパーティですか、良いですねぇ……」


 頰に手を当てて、ニコニコと話す彼女に……


「吉田さんも……もし良ければ、一緒に夕飯を食べに来ませんか?」


 ふと、星那はそんな事を思い付いて誘ってみる。

 今日は外でピザパーティの予定なため、大勢の人で囲んだ方が楽しいと思ったのと……一夜と一緒の時間を作ったらどうだろうというお節介が少し。


「それはとっても魅力的なお誘いで、心揺れますが……ごめんなさい、今日は家族と食事に行く予定なので、またの機会にという事で」

「あ……そっか、ごめんね」

「それに……明日には帰るので、今回は無理ですね」

「そっか……今日は色々とありがとう、楽しかったよ。また学校で」

「ええ、私も楽しかったです、私はこちらなので、また学校で」


 そう言って、お辞儀して交差している通りを曲がって去っていく吉田さん。

 物腰柔らかくて、丁寧で、良い子だよな……そんな事を考えながら、彼女と別れた星那は踵を返し、少し先に行く皆を小走りに追いかける。




 やがて、星那を……星那の見立てでは、おそらく吉田さんの方も……気にして振り返りながら、最後尾を歩いていた一夜にすぐ追いついて、その隣でペースを緩めた。


「あの子、帰ったのかい?」

「うん、今日はご両親と一緒に過ごすんだって」

「そうか……もし彼女が良ければ夕飯に誘おうと思ったけど、それじゃ無理だね」


 そんな事を残念そうに語る一夜に……星那は、思わずふふっと笑みが漏れた。


「どうかした、星那?」

「いや、やっぱり兄弟だなって。兄さんってば、私が彼女に言った事と全く同じ事を言うんだもん」


 そう言って、ととっ、と駆け足で一夜の前に出ると振り返って、後ろ向きに歩きながら、にまーっ、と悪戯っぽく表情を崩す。


「ね、兄さん……実は吉田さんの事、ちょっと良いなって思ってない?」

「……ごほっ!? な、なん……っ!?」


 星那の言葉に、頬を染めて慌てる一夜。

 その様子を見て、お、これは脈アリだな……そう思って、ますます笑みを深める。


「なんだか兄さん、彼女とこの一日で、随分と仲良くなったみたいじゃん」

「それは……まぁ、何だかんだで一緒に居た時間が多かったし……」

「その割には、さっきも別れがあっさりしてたよね……実は、連絡先の交換までしてたりして」

「ゴッフッ!?」

「あ、本当に? 交換したの?」


 図星を突かれて再度咳き込む一夜に、逆に驚く星那。

 一夜は恋愛沙汰にはかなり奥手なため、まさか……という思いが強かったが。


「へー、そっかー、ふーん?」

「い……いや、そう言うのじゃないから!」

「別にいいと思うけど? あの子なら私も賛成だよ、可愛いし、優しくていい子だし……」


 ――そういえば吉田さんは、入れ替わり直後の学校に復帰した時に危うく虐めに発展しそうになった時も、初めての生理に苦しんでいた時も、助けてくれたなぁ……


 星那はそんな事を思い出しながら、ふふっと笑う。


「……そうか、星那からはそう見えてるのか……あの子、何というか凄いなぁ」

「……え、何その反応?」


 なぜか奥歯に物が挟まったような微妙な表情でそう宣う一夜に、星那が首を傾げる。


「いや、何でもない……仮に、もしそうだとしてもダメでしょ、大学も卒業間近な年にもなって、星那の同級生相手に……」

「何で? ちゃんと成人するまで弁える所は弁えていたら、別に問題無くない?」


 たしかに、星那と一夜は七つも年齢に差がある年の離れた兄弟だ。その同級生という事で、一夜が気後れするのも分かる。

 だが……それで真摯な恋心が否定されるのは違うと、星那は思うのだった。


「星那も、万が一になって、同級生を『お義姉さん』って呼ぶのは嫌じゃない?」

「あはは、兄さんが幸せなら、私はそんな事気にしないよー」

「そ……そっか、うん、そうか……」


 拍子抜けしたという様子とともに、まるで胸のつっかえが取れたように、一夜が肩の力を抜く。

 同時に……その目に、決意が灯った。


「星那、ごめん。これ持って帰って貰っていい? 俺、あの子を送ってくる」

「うん、もちろん。頑張ってね、兄さん」


 吉田さんが宿泊している場所は、まだここからは結構離れている。今ならば、まだまだ余裕で間に合った上に多少は話もできるはずだ。


 星那は、一夜が持っていたシートと牧場直営店のビニール袋を快く受け取って、その背中を軽く押した。


 それを受けて駆け出した一夜に……星那は、ニコニコと手を振って送り出すのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る