星那と、赤い印
星那たちは市場から帰るなり、夕食に使用する予定の生ものは全て手分けして冷蔵庫へと放り込む。
ご飯は昨夜のうちに研ぎ終えて、あとは炊飯器のスイッチを押すだけなので問題ない。
「星那君、トマトソース作るんだよね、トマトはどうしよう?」
「あ、朝ごはんの後、海に行く前に時間がかかる場所はやっちゃうから、適当にぶつ切りにして貰っても良いかな?」
「了解、ついでに他の野菜も刻んでおくよ」
「うん、お願いー」
そう言って、大量の野菜を満載したカゴを持って、ウッドデッキの方にある流し場へと向かう夜凪。
トマトソースに使う野菜は、トマトに玉ねぎ、セロリと人参。
白山家で暮らすようになって以来、しばらく仕事を手伝っていた夜凪は、 このあたりのよく使う野菜の下処理の仕方は星那からバッチリ仕込まれているのだった。
……と、そちらは大丈夫そうだと確認した星那は、自分の仕事へと向かう。
「さて……それじゃ、朝食の準備を始めますか」
そうエプロンを締め、気合いを入れて星那がまず向かい合うのは、丸のままの姿の
これは手早く三枚に下ろし、毛抜きで小骨を抜いた後に細かく刻んで、摩り下ろした
まずはこれで一品、なめろうの完成だ。これは、皆が卓につくまでに
その後、酒を振ってグリルへと塩鮭を放り込み、鍋にだし汁と一口大に切ったジャガイモを入れ、火にかける。
そのまま、煮立って数分。
鍋にかけていたジャガイモの火の通り具合を確かめ、竹串がすっと通るのを確認し、玉ねぎを投入。
さらにその玉ねぎがサッと透き通ってくるくらい火が通ったら、味噌を溶き入れる。沸騰させないように温めて、ジャガイモと玉ねぎの味噌汁も完成。
あとは、先程グリルへと放り込んだ塩鮭が焼ければ準備は終わるのだが……このあたりで、まだ眠っていた皆が起き出してきた足音が聞こえる。
だが、顔を洗ってリビングへ来るには、まだ時間があるだろう。
「……暇だし、もう一品作ろ」
空き時間が我慢できなかった星那により、揉み海苔を散らしたキャベツのおひたしが、朝食のメニューに新たに追加されるのだった。
「うめぇ!」
見慣れないからだろう、なめろうを恐る恐る一口分、ほかほかのご飯にのせて口に運んだ陸が、そんな声を上げる。
「やー、これはご飯が進みますなぁ」
隣にいる柚夏も、そう言って健啖ぶりを発揮していた。
「味噌汁も味噌の風味が飛んだりしていないし、鮭の焼き加減もバッチリだ。またご飯美味しくなったなぁ」
ニコニコと相好を崩して、元弟、現妹の手料理を堪能している一夜。他の皆も似たり寄ったりな中……
「しかし、このなめろうは……むむ、これはいかんぞ」
「え……?」
何か、口に合わなかっただろうか。
顔を顰める才蔵に、不安が鎌首をもたげてくるが……直後、その才蔵はデレっと破顔した。
「まだ朝だというのに、酒が欲しくなるではないか」
「まぁ、あなたったら」
美味そうに、なめろうと焼き鮭を交互に乗せて白米を掻き込む才蔵と、そんな旦那をあらあらと笑いながら見つめる杏那。
その様子に、ホッと安堵の息を吐く星那だった。
「大丈夫です、夜の晩酌の分も取ってありますから」
「おお、それはありがたい!」
気兼ねなくなったのだろう、あっという間に茶碗を空にして、おかわりを頼むと茶碗を差し出す彼に。
「はい、お義父さん」
そう、にっこり笑って受け取る星那なのだった。
朝食は賑やかに進み、皆がご飯のおかわりを要求してくれる事に、星那がニコニコと上機嫌な中。
「そう言えば……市場に行った時に、やけに視線を感じたんだけど、あれは何だったんだろう」
食べる量の関係でいち早く食事を終えた星那が、飲みやすい温度まで温くなったホットミルクに口をつけつつ、首を傾げて朝からの疑問を口にする。
星那的には何気ない一言だったが……食卓の空気が、ピシリと凍りついた。
「……その格好で市場に行ったのか?」
「え? それは、まぁそうだけど」
やっぱり、変だったろうか。そう、自分の姿を見下ろす。やはり、ちょっと朝の市場には相応しくなかったかと心配している星那。
その姿に……はぁ、と溜息をつく陸。
「あー……てっきり気付いていて、見せつけているもんとばかり」
陸が、すまなそうに目を逸らしてそんなことを言う。
「……夜凪さん? まだ黙っていたんですか?」
笑顔の裏に、ゴゴゴゴ、と音を立ててそう夜凪へと語りかけているのは杏那だ。
隣では、才蔵がその様子を苦笑しながら見ているが、こちらはどうやら何も言わない事にしたらしく、黙って見守っている。
一夜はと言うと……黙って、朝陽の耳を塞いでいた。そんな朝陽は何も分からない様子で、焼き鮭の身と、嫌いな血合の境目で戦闘中だ。
「なっちゃん、ここ、ここ」
皆を代表するように、柚夏が自分の首元を指差している。
「え、ここ……?」
柚夏が示した場所に触れて見て……何か、すごく身に覚えがある。確かここは、昨夜お風呂で……
「〜〜〜〜ッ!?」
突如、真っ赤になって椅子を蹴立て、洗面所へと駆け込む。
飛びついた鏡台、その中の自分の姿。オフショルダーのワンピースから剥き出しとなった、その首元には……虫刺されのような赤い点が、うっすらと、だが白い星那の肌では誤魔化しようがないくらいに浮き出ていた。
「あー……バラしちゃった」
残念そうに夜凪が呟いたのが、聞こえてくる。
そこは……昨夜、夜凪が舐め、吸い付いていた場所。つまりこれは、夜凪が星那に刻んだキスマーク。
そして、自分は朝からこれを、市場で人目に晒したまま歩いていたのだと、ようやく気が付いた。
「よ、な、ぎ、さぁぁあああん!!?」
洗面所から、すっかり真っ赤になって涙目な星那が、首元を抑えながら帰ってくる。
「どうするんですか、今日はみんなで海に行く予定なのに!」
外はカンカンに晴れていて、朝だと言うのにやや暑いくらいの、絶好の海水浴日和である。
この天気を逃すのはもったいない……そんな時に、これだ。
「べつに、キスマークつけられるくらいはいいけど!」
「あ、それは別に良いんだ」
ぷりぷりと怒りながらそんなことを言う星那に、思わずという様子で呟く柚夏。
「なんで、よりによってこんな日に……」
「決まっているじゃない、こんな日だからさ」
「――ひゃ!?」
そのままぶつぶつと文句を言い続けるつもりだった星那だったが……突然、隣に座っている夜凪に、ぐいっと肩を引き寄せられた。
心の準備もないまま夜凪の胸へと倒れこむ形となった星那は、その言葉が止まり、あぅあぅと意味のない呻き声だけしか上げられなくなる。
「昨日、言ったでしょ。君の水着姿を他の男どもに見せるのも癪だから、余計な願望を抱けないようにマーキングさせて貰うって」
怪しい雰囲気で星那の頰を撫で回している夜凪の様子に、すっかり首あたりまで真っ赤になって石化した星那。
夜凪はそんな星那の首のキスマークへと、更に唇を落とすのだった。
「……コホン。夜凪、仲良き事はいい事だが、そういうのは二人きりの時にしなさい」
「残念。また後でね……この旅行中、消えるたびに付けてあげるよ」
渋い顔の才蔵にそう諭され、夜凪は怪しく笑いながら星那を解放する。
ふらふらと元の椅子に座りなおした星那だったが……すっかり茹って頭から湯気を上げている星那は、しばらく使い物にならなそうな雰囲気だった。
そんな星那に、スススッと近寄ってくるのは、柚夏。
「おやおやぁ、昨日マーキングしたって、一体どこでしちゃったのかなぁ?」
「そ、それは……」
柚夏の質問に、真っ赤になって指先を弄ぶ星那。
昨日一日中、皆で作業をしていたのだ。そんなことが可能なタイミングは、お風呂か、夜くらいだろう。
だが、星那と柚夏と、あと朝陽は相部屋であり、夜はおそらく柚夏は気付くであろうから不可能だ。だとしたら必然と、どこで何をしたかは明白だった。
「はぁー……混浴しちゃってますかぁ。流石、婚約までしている二人は違いますなぁ」
「うぅ……」
羨ましい半分な柚夏に茶化されて、星那はさらに真っ赤になって俯く。
「おい、その辺にしとけ、星那が熱中症でダウンしかねん、そうなったら色々と困る」
「陸ぅ、今夜は私たちも混浴する?」
「ダメに決まってんだろ」
「ぶー、陸のいけずぅ」
「……水着着用なら、ギリギリ許す」
「えー、私も裸のお付き合いしたいー」
見かねて止めに入った陸に柚夏がそんな誘いを持ちかけるも、一蹴されている。
その言葉に、「ダメに決まってるんだ……そうだよね……」と地味に星那が流れ弾を喰らっていたりしたが、星那たちに当てられて自分達もイチャつく事にしたらしい二人には届かない。
「……はぁ。この空気、独り身には毒だなぁ、朝陽、空いた食器洗うから手伝って」
「……? わかった」
深々と溜息をついて、暗澹とした顔で呟く一夜。
彼は、そんな賑やかになった食卓から空き皿を回収して、よくわかっていない朝陽を伴い、逃げるように皿洗いへと向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます