星那と朝の市場散策

 最後に草刈りから帰ってきた才蔵が、入浴を済ませた後、丁度良い時間となっていたため、才蔵が予約していたレストランへと皆で向かった。



 皆、掃除で疲れていたところに温泉でさっぱりとし、ご馳走でお腹も満たされて……その結果、皆がすっかり睡魔に負けそうになっていた。


 明日は海で遊べるという期待もあって、この夜にもう何かする気力は皆、残っていなかった。

 別荘へと帰って来るなり、皆がいつもより早くベッドへと入って泥のように深い眠りに就き……旅先での一日目は終了した。






 そして、二日目の朝。


 早く就寝した分早く目覚めた星那は……事前にその予定を聞いていたため同じく起き出してきた夜凪と共に、朝の四時から開いているという、瀬織家の別荘からほど近い市場へと来ていた。





「むぅぅ……」



 ここは、水揚げされたばかりの魚介が並ぶ市場の中。

 業者の仕入れ人と思しき作業服の人だかりの中、ぽつんと私服姿の二人は居るのだった。


 様々な種類の魚が並ぶ中、夏らしい肩出しのワンピースという避暑地のお嬢さんといった風情の星那が、険しい顔で魚を吟味していた。


 ちなみに、こうしてこの場であれこれ見比べ始めて、すでに十分ほど経過している。背後では、夜凪が少し疲れたように苦笑を浮かべていた。


 そんな中で、星那が美味しそうだと興味を惹かれたのは……


あじかぁ……」


 鯵は初夏から夏が旬という珍しい魚だ。

 しかも、普段街のスーパーで手に入るものよりもずっと新鮮とあって、星那の心を強烈に吸引していた。


 とりあえず塩鮭は買うのは確定として……ご飯と味噌汁と、焼き鮭だけというのも寂しい。何かもう一品追加できないかと考える。


 ――今の時期なら、産直に新生姜しょうが茗荷みょうがもありそうかな


 なら……うん、いける、と一つ頷いた。


「……うん、三匹ください!」

「あいよ、三枚におろした方がいいかい?」

「ありがとうございます、でも大丈夫、後で自分でやります」


 親切に言ってくれる会計のおばちゃんに、微笑みながら辞退する。

 特に気負いもなくさらっと言った星那が、普段からそうした手間に慣れているのだと察したおばちゃんは……はー、と感心の吐息を漏らす。


「……若い子なのにえらいねぇ。うちの子なんて触るのも内臓見るのも嫌だって言うのに」

「あはは……まぁ、慣れていますから」

「それは、さぞご両親の指導が良かったんだろうねぇ」


 談笑している間に、塩鮭と鯵が包装され、ビニール袋に入れて渡された


 それと、夕食用の帆立やタラバガニなどは発泡スチロール製の箱に、沢山の氷と一緒に梱包されていく。


「こっちは、僕が持つね」

「うん、お願い」


 こちらは星那には少し重いため、夜凪が小脇に抱えてくれた。

 そんな二人の様子に、おばちゃんが興味津々といった視線を送ってくる。


「ところで……ねぇねぇ、お嬢さん達は、恋人同士なのかい?」


 その問いかけに、星那が頬を染めて頷こうとした時……その方肩が、夜凪にぐっと抱かれた。


「いえ、僕達は実は婚約者なんです」

「あらあら、まぁまぁ!」

「ちょ、夜凪さん!?」


 市場のおばちゃんが、夜凪の発言に食いついた。

 突然の夜凪の発言に、星那が慌てる。


「結婚を前提にお付き合いを申し込んで、OKを貰ったばかりなんです」

「はー、最近の若い人は進んでいるわねぇ……よし、おばちゃんサービスしちゃう」

「あ、いえ、そんな……って入れすぎ、入れすぎです!」


 購入したもの以外にも、殻付きの帆立や雲丹を気前よくポンポン袋に放り込むそのおばちゃんに、申し訳なくて慌てる星那。

 一方で、夜凪は……計画通り、と言いたげな顔だった。


「まぁまぁ、おめでたい話を聞かせてもらったお礼だと思って」

「あ……ありがとうございます」


 ニコニコと笑いながらグイグイと押し付けてくる袋を、さすがに何度も辞退するのは失礼と思い、ありがたく受け取る。

 予想外に豪華になった夕飯の材料に、正直なところ嬉しく思っている星那なのだった。


「はぁ……もう。嘘は言ってないからいいですけど……」


 これが狂言ならば絶対に怒るところだが、実際結婚を前提にお付き合いしているのだから何も嘘はない。

 ならば、厚意はありがたく受けて、明日もまた買い物に来ようと誓うのだった。


 そんな星那を他所に……おばちゃんは夜凪を引き留め、その耳元で夜凪にだけ話しかけている。


「気立てのいい、よく出来た素敵なお嬢さんじゃないか。あんないい子は滅多に居ないんだから、絶対に手放すんじゃないよ」

「ええ、もちろん。一生手放すつもりはないですから」


 当然とばかりに言い返す夜凪に……


「あはは、やだよもう、こんなおばちゃん相手に惚気ちゃってまあ!」

「っ痛あ!?」


 背中に、凄まじい衝撃。


 おばちゃんの豪快な笑い声と一緒に、パァン! と素晴らしくいい音と、夜凪の悲鳴が市場に響き渡るのだった。






 その後、併設された産直も周り、野菜類を買い集める二人。


「やった、真っ赤なトマトがいっぱい買えた」

「う……嬉しそうだね……」

「そうかな? でも、これだけあると何作ろうか悩むくらいで困っちゃうね」


 そう、困ったという割には楽しそうな星那と、苦笑しながら付いていく夜凪。

 その手には先程の魚介以外にあれこれと野菜も追加されており、特に葉物野菜や根菜も抱える夜凪の方は、そろそろ過積載でしんどそうだ。


「とりあえずトマトソースは作るとして……あとは、どうしようかなぁ」


 嬉しそうに、戦利品の野菜……特に、なぜかまた大量におまけして貰い山のようになったトマトを抱え、ニコニコと相好を崩しながら歩く星那。


 その姿に見惚れ、奥さんと思しきおばちゃんに思いっきり足を踏まれている旦那さんらしき者もいたのだが……何を作ろうかと思考を巡らせている星那には、与り知らぬ事であった。


 上機嫌で歩いている星那だったが……ふと、足を止めて周囲を見渡す。


「……何だか、すごく見られていますか?」


 しかも、そのほとんどが星那の方へと視線を送っている。

 だが……嫌な気配ではなく、むしろ生暖かく見守っているような、変に優しい視線ばかり。


「あー……うん、何でだろうねー……」


 何故か、目をそらして曖昧な相槌を打つ夜凪。


 ――まだ気付いてなかったのか。


 星那の剥き出しの白い首筋、そこに存在する目立つ「それ」をチラチラ見ながら呟いた夜凪の呟きは、周囲から湧き上がる競りの声に紛れて、ついに星那の耳に入る事はなかったのだった。

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