間話:となりの吉田さん
試験も終わり、学校全体に夏休み間近の気だるい空気が流れている中。
大半の生徒は、午前中で終わる授業に意気揚々と帰宅の準備を進める中で、少数の補習を申しつけられた者たちは、暗澹たる表情で昼食を取っているという明暗がくっきり分かれた教室。
そんな中……一人の男子生徒が、耐えかねたように
声を上げた。
「お前らさぁ……仲がいいのは大変結構なんだけど、少し手加減してくれよ!」
「「え?」」
男子生徒の一人から恨みがましい声を掛けられ、星那は、一口大に箸で切った卵焼きを夜凪の口に運ぶ手を止める。
一方で、隣に座っている夜凪はそれを受け入れる為に口を開けたまま止まった。
二日の検査入院を経て、昨日退院した夜凪だったが……傷が塞がり切っていない今はまだ、車椅子を使用していた。
いつもならば外に食べに行くところだが、一年の教室は三階にあり、身障者用のエレベーターも遠いため……億劫になって教室で昼食を摂っていたのだった。
怪我をしているという事情は皆知っており、女子は二人を生暖かく見守っていたが……たまったものではないのは男子、特に彼女の居ない独り身の者達だった。
「ま、まあ介助ですし」
苦笑しながら、再び夜凪の口元へと卵焼きを運ぶ。
それを、今度は躊躇いなく口にした夜凪は、にっこり笑い……
「うん、美味しい。食べさせて貰っている分余計に美味しいね」
「それは良かったです」
感想を告げる夜凪に、こちらもにこっと顔を綻ばせる星那。
その周囲だけ、まるで花でも咲き乱れている様子が幻視されそうな様子だった。
「いや、腹の怪我なのに、隣で食べさせてあげる必要無くない!?」
全恵まれない男子の言葉を代弁したようなその悲痛ささえ帯びたような、そのツッコミに……
「えっと、それは……えへへ」
頬を赤く染めながら曖昧に笑って誤魔化すと、再び口を開けて待つ夜凪に甲斐甲斐しくご飯を与えるのだった。
……つまり、必要ないのは分かった上で、星那自身楽しんでやっているのである。
それを察した男子一同は視線で射殺さんばかりの眼光を夜凪へと突き立てているのだが……
「次はミートボールがいいなぁ」
「そう? はい、どうぞ」
そんな視線はどこ吹く風と受け流し、ただデレっとした様子で、星那が甘酢餡が垂れないよう手を添えて差し出されたミートボールにかぶりつく。
「ひゃ!? ……もう、不意打ちは卑怯だよ!」
「あはは、ごめんごめん」
果ては、その星那の白い手に餡が落ちたのを見て、ペロッと舌を這わせる始末。
そんな夜凪へぷりぷり怒りながらもまんざらでもなさそうな星那の様子に……男子一同、もはや諦めてガックリと崩れ落ちるのだった。
◇
私、吉田遥の趣味は、人間観察である。
そんな私は今、隣席の美少女、瀬織星那さんに惚れ込んでいる。
……惚れ込んでいるといっても、『そういう関係』になりたい訳ではなく、ただ、隣で観賞していたいというだけなのですけれども。
入学してしばらくの瀬織さんは、正直に言えば苦手でした。
高校で初めての隣席になった彼女は、類稀な美貌と、女として嫉妬するほど綺麗な黒髪、小柄だけど惚れ惚れするようなスタイルを持つ、気後れするような美少女でした。
一方で、非常にとっつきにくい女の子で……決して愛想が悪いわけではないのだけれど、いつも澄ましていて、隣で笑っているように見えても距離があるような気がして、正直怖かった。
そんな彼女が、ひと月と少し前に起きた、今の彼氏さんである白山君との許婚関係が暴露される切っ掛けとなった大事件を契機に、なんだか雰囲気が一変した。
まず、全体的に雰囲気が柔らかくなった。
隙が多くなり、危なっかしく思えてきた。
あとご飯美味しい。貰ったおにぎり超美味しかった。
まるで、外ではキリッとお澄まししているくせに、家の中では甘えん坊でおバカなうちのゴールデンレトリバーそっくりだと思うと、すごく親近感が湧いてきました。
以来、私は彼女にすっかりと惚れ込んでいる訳ですが……今日、登校して来た彼女は、また様子が変わっていました。
なんでも、また事件に巻き込まれたと噂されていました。美少女は大変だなぁと思いつつも心配していましたが、その二人が今日、ようやく復学するというのです。
緊張感漂う教室の中に、白山君の車椅子を押して入って来た彼女を見て……ピキーンときましたよ。ええ、刻が見えそうな感じにピキーンときました。
これは、間違いなく二人の中で何かが進展したに違いありません。
なんせ、二人の周囲の空気が違います。以前はどちらかといえば白山君がグイグイと押していて、瀬織さんは何か一歩引いているような、そんな違和感がありました。
ですが今はそれが無くなって、すっかり寄り添っている感じがするのです。
何より……
「押してくれてありがと、また後でね」
「うん、それじゃ、授業の後でまた」
そう言って、白山君の席まで車椅子を運んだ瀬織さんが、こちらに向かって歩いて来る。
歩いて来るのですが……
――なんでそんな嬉しそうに、頬を染めて笑ってらっしゃいますかぁぁあああ!?
あまりに分かりやすい恋する乙女ぶりに、胸を掻きむしりたい気分です。もちろん、そんな内心は表には一ミリたりともおくびに出しませんが。
「おはよう、瀬織さん。何かいい事でもあった?」
そう尋ねてみるだけにします。
ですが、それだけで恥ずかしそうに俯く瀬織さん。
分かる、彼女の破壊力が更に増したという事が。このままでは、私の心臓が持たん日が来そうです。
……と、そんな私の心臓が試される機会は、その日の昼休みという案外早いタイミングで来ました。
普通の授業は午前中だけで、午後は補習授業のみという中、特に何も無い私は帰宅準備をしている横で、二人がお昼ご飯中だったのですが……うん、男子が血涙を流すほどに甘々な光景が広がっていました。
そんな中、先程悪戯されて少し拗ねてしまった瀬織さんの頭をナデナデしている白山君。
しばらくあー、うー、と唸っていた瀬織さんですが。
「……もう、しょうがないですね。今回は許してあげます」
側から見るとどう見てもトロトロに蕩けているのに、そんな風に、自分では寛容さを見せて言っているつもりの瀬織さん。
「――ンッ!」
おっといけません、尊いが漏れてしまうところだったわ、主に口と鼻から。
私の突然の呻き声にビクッと肩を震わせた瀬織さんの、その小動物みたいな仕草に再度溢れそうになる尊いを押さえ込みながら……なんでもないよー、と安心させるように笑い掛けます。
それを見てホッと食事に戻る瀬織さんでしたが……彼女が振り返った先では、白山君がちょっと悪そうな顔をして箸にミートボールを掴み、待ち構えていました。
「はい、お返し。あーん」
「えっ、わ、私は……」
「はい、あーん」
「…………………あー、んっ」
――くぁwせdrftgyふじこlp!!
おっと、言語野がバグってしまいましたわ。
白山君にあーんをやり返されて、真っ赤になって躊躇いながらも口を開けて、パクッとその小さな口には若干大き過ぎるミートボールを頬張る瀬織さん。
「美味しい?」
ニコニコと笑顔で尋ねる白山君に、これ気絶しちゃうんじゃないかしらと思うくらいに真っ赤になって頷く瀬織さん。
白山君、グッジョブです。今日もいいものを沢山見せてもらいました、ご馳走さまでした。
もっと見守っていたい衝動はありますが、これ以上はお邪魔というものですね。
そう、後ろ髪引かれる思いをしながらも……私は、教室を後にするのでした。
【後書き】
・吉田さん
星那の隣席の女子生徒。本編中、お弁当の俵おむすびを分けてもらったり、生理に苦しむ星那に薬をくれたりした子。いつもニコニコとしているゆるふわ系の温厚な女の子だが、中身はこの通りである。
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