間話:陸たちの事情

 未だ混乱冷めやらぬ、無数のパトカーの警光灯が周囲を彩る河川敷の道。

 ここを発った救急車のサイレンが、どんどん遠ざかっていき……やがて聞こえなくなる。


「よー君、大丈夫かな……」

「……まあ、信じて待とうぜ」


 不安そうに、友人が二人も乗り込んだ救急車が消えた方向を眺め、呟く柚夏。

 その頭をポンポン撫でて宥めながら……陸には、多分大丈夫だろうという確信があった。


 ――なんせ、『天使様』が付いているみたいだからな。


 一度だけ、実家で紹介されて顔を合わせた事がある、幼い真っ白な少女の事を思い出しながら、心の中でひとりごちるのだった。




「あー、陸君、こちらに居られましたか」

「あ、東堂さん、お疲れさまっす」


 しばらく警察の仕事ぶりを眺めていると、知っている声に呼び止められる。

 振り返ってみると、そこには旧知である一人の刑事がこちらへと歩いて来ていた。


「そんで、頼まれた例の犬っころの件ですが、不問って事で処理させときました。まぁ、よく躾けられた奴だったし、緊急事態の中で主人を守るためだった……って事で落とさせて貰いましたわ」

「助かります。流石にこれで保健所行きは可哀想だったからな……」


 なんせ、二名の人間に噛み付いて、片方は骨が砕けるほどの大怪我だ。大問題になってもおかしくはないが……それでは可愛がっている星那達が可哀想だ。


 それに……流石に、『中身』を知っていて放っておくのもあまりに罰当たりだし。


「しかしまぁ……まさかあの嬢ちゃんが、陸君……九条の御曹司のご友人だったとは思わなかったですけどね」

「はは……ダチを見る目あるだろ?」


 おどけてみせる陸だったが、すぐに真面目な顔になる。


「それで……東堂さん。あいつが持っていた銃がどっから流れて来たか、見当はもうついているんじゃないか?」


 数発も撃てば暴発しかねない、玩具に毛が生えた程度に稚拙な……その威力は人を容易く殺せるという点以外にはあまりにも粗悪な銃。


 そんな厄介の種にしかならないような物をばら撒くような連中となれば、相当に絞られる。


「それは……ええ、回って来とりますわ」

「なら、俺に回してくれ、この件は俺たちが受ける。姉貴……っと、当主代行様にはこっちから伝えておこう」

「了解です、御曹司もお気をつけて」


 軽く敬礼を取る東堂にこちらも軽く手を振って、背後に控えて静かにしていた柚夏を促して、共に歩き出す。


 その陸の目には、まるで今から戦に臨む将のようで……いつもの呑気さは、全く見受けられなかった。






 ◇


「東堂警部補!」

「おお、現場の後始末、だいたい済んだか」

「はい……あの、先程の少年達は?」


 連れ立って立ち去る少年少女を眺めながら、巡査の青年は東堂に尋ねる。その顔は、なぜ東堂の方が相手にへりくだっていたのかが分からないという疑問がありありと浮かんでいた。


 そんな巡査の青年の様子に……はぁぁ、と深々と溜息を吐くと、気を紛らわせる為に煙草に火を付けた。


「……さてな。この世の中、普通に暮らしている連中は知らなくていい世界ってもんがあんだよ。国の裏側で、色々なもんから守護してる連中とかな」

「は……はあ……?」


 怪訝そうな顔をしている巡査の肩をポンポンと叩いて労ってから、まだ半分以上残っているタバコを携帯灰皿に落として歩き出す東堂。

 路端に駐車してあった自分の車に乗って、エンジンボタンを押す。


「ま、表の人間は、表の仕事に精を出しますかっと。とりあえず、嬢ちゃん達の話聞きに行かなきゃな」


 そこまで考えて……ふと、車内に漂う鼻に馴染んだ匂いに、頭を抱える。


「……やべ、病院に行く前に煙草吸っちまった」


 いっぺん着替えに帰るか……そう、溜息をついて車を発進させるのだった。





 ◇


「ねぇ、陸」

「ん、どうした、柚夏」


 くいくいと袖を引く柚夏に、陸が振り返る。

 そんな彼女は…ジトッとした半眼で、陸を見つめていた。


「これ、何かなぁ?」

「……別に、何でもねえよ」


 柚夏が、陸の服の背中側、ある一点をつつく。

 そこには……柚夏の指がすっぽりと通るくらいの穴が空いており、その奥の肌は小さな円形に腫れていた。


 ――まるで、銃で撃たれたが、皮膚で弾き返されたみたいに。


 そんな柚夏の疑問に、ただ肩をすくめて歩き出す陸。

 そんな背中に……しばらく三歩後ろをついて歩いていた柚夏が、ポツリと呟く。


「……ありがと、守ってくれて」

「さて、何のことやら……それよりも、今夜中に片付けるぞ」

「……うん!」






 ――この日、オフィス街のはずれにある一つの事務所の中が丸ごと一つ、まるで夜逃げしたように翌朝には空になっていた。


 だが……それは、近所の者たちが首を捻っている以外、不思議なほどに何の話題にもならず、ただ忘却されて消えていくのだった。

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