最愛の女の子に、求婚された件

 

「……ん、ふぁ」


 深い沼から這い上がるように、意識がゆっくりと浮上していく。


 まだぼんやりと焦点が定まらない視界と頭で、起き上がろうとして……


「痛っ、つつ……」


 腹部に鋭い激痛が走り、再びポスンとベッドに体を落とした。


 そうだ、ベッドだ。

 真っ白な天井と壁は……間違いなく病院だった。

 そして……ベッド脇のパイプ椅子に座り、こっくり、こっくりと船を漕いでいるのは、最愛の少女。


 今は、比較的簡素なワンピース姿で椅子に座り、居眠りしている彼女……星那の事が、なぜかいつもよりも更に愛しく思え、腹部が引き攣って走る小さな痛みさえも無視してその頬に触れ、撫でる。


 すべすべ、もちもちした心地良い感触のその頬はひんやりとしているが……その下には確かな生きている熱を感じ、心の底から安堵するのだった。


 もうちょっとだけ、この感触を楽しみたい……そう思って、むにっと軽く抓ったところで……その閉じていた目がパチリと開き、目が合った。


「あ、いや、これは」

「夜凪、さん……?」


 なんとか今の行為を誤魔化そうと口を開きかけたところで……そんな星那の目からポロッと溢れる雫。


 ギョッとしているうちに、やがてそれは流れる量を増し……ようやく、なぜ今の自分が病院にいるかを思い出した。


「……ごめん、心配を掛けたね」

「ほん……っとに、そうだよ……っ!」


 あとはヒック、ヒックとしゃくり上げてしまい、まともに声が出ない少女を……起き上がる事ができない夜凪は、ただその背中を優しく叩いてやるのだった。





 すっかり赤くなった目で、すんすんと鼻を鳴らしながらも、星那は夜凪に対して、ここまでの経緯を説明してくれた。


「……ごめんなさい。秘密って約束、破ってしまいました」

「いや、それは……事情が事情だから仕方がないって言うか、むしろ僕が礼を言うべきなんだけど」


 おかげでこうして話ができているのだから、責める道理はない。それよりも、気になるのが……


「なんて言うか……いま、星那君の血が僕の体を巡って生かしてくれているんだと思うと、ドキドキするね」

「〜〜〜〜っ、夜凪さんの馬鹿ぁ!」


 瞬間湯沸かし器のように一瞬で真っ赤になった星那に、怒られてしまった。


 そんな肩で息をしている星那の様子を見て、思わずフフッと笑ってしまう夜凪。

 すぐに星那もからかわれたのだと気付き、ばつが悪そうに、再び座っていたパイプ椅子に腰掛けた。


「それで……僕は、どれくらい眠っていたの?」

「大丈夫、まだあの翌日、日曜日だよ……明日と、明後日までは入院らしいけど」


 そのあとも、傷がきちんと塞がるまでの少しの間は車椅子だからね、と星那君が締めくくった。


「うえ……また出席日数が怖いなぁ」

「そうだね、一緒に補習がんばろうか」


 二人揃ってはぁあ……と溜息を吐く二人なのだった。






 その後……目覚めたばかりで空腹を訴える夜凪のため、星那は昼間訪れたという東堂からの土産である、フルーツバスケットから、一個の林檎を取り出す。


「それじゃ、あの先輩は懲役刑でほぼ確定なんだ」

「うん……誘拐に銃刀法違反に殺人未遂……その他諸々。詳しい刑期は裁判次第だけど、暴力団との繋がりもあったらしいから、数年じゃ出てこられないような刑になるんじゃないかって」


 林檎を食べやすいようにやや薄切りに切り分けながら、あの後の推移を説明してくれている星那。

 夜凪は、手慣れた手つきで種を果実から切り離していくのを眺めながらその話を聞いていた。


「それに……いつだったかの盗撮なんかにも関わっていたそうだから、余罪もポロポロ出てくるんだろうね」

「ふん……まぁ、ついに出るとこに出る事になったってだけだから、僕は同情しないけどね」


 最愛の女の子に手を出した上に、腹に風穴まで開けられたのだ。同情心など、湧いてくる訳もない。


 だが……それでも同情してしまうのが、星那の悪いところであり、良いところでもあるのだろう。


「……もっと上手くやっていたら、あの先輩もこんな事にならずに済んだのかな」


 最初のひと切れ目の林檎の皮を剥き終えたところで、星那がポツリと呟いた。


「そうかもしれない……でも、あれが無かったとしても、また別の事で遅かれ早かれ同じ結果になっている可能性はあるんだ。そんな仮定に意味は無いよ」

「……そうだね」

「あいつは、やっちゃ駄目な事をしたから捕まった……それだけさ。君が気に病む必要はどこにも無いよ」

「……うん、ありがとう夜凪さん、ちょっと気が楽になったよ」

「そっか、なら良かった」


 そう言って、星那が剥き終えた林檎に手を伸ばし、シャクっと囓る。

 美味しそうに頬張る夜凪のその顔に、ふっと表情を緩めながら、また次の林檎の皮を剥き始める星那なのだった。






 そのまましばらく、シャリシャリと林檎を剥く音だけが響く静かな時間が流れ……あらかた皮を剥き終えた星那は、枕元のサイドチェストに皿と果物ナイフを戻しながら、ふと、思い出したように口を開いた。


「そういえば……あの時の夜凪さん、私の事を『星那』って呼び捨てしたよね?」

「あー、ごめん、咄嗟だったから……嫌だった?」

「いえ、その、嫌と言うわけではなくて……」


 もじもじと、膝上で手を組んで歯切れ悪く言う星那。その様子に……夜凪は、ははぁ、と悪い顔でほくそ笑んだ。


「なら、どうだったかを教えてもらっていいかな、?」


 あえて強調してみせると、星那の肩がビクッと跳ねた。みるみる赤くなっていく顔に、むくむくといたずら心が湧き上がっていく。


 ――星那君が悪いんだからね。


 そう言い訳をしながら、衝動に身を任せる事にした。


「それで、どうなのかな、星那?」

「どうって……べ、別に呼び名一つで何か変わったりなんて……」

「本当かなぁ……だって真っ赤だよ、せ、い、な?」

「〜〜〜〜っ!?」


 再びビクッと体を跳ねさせて、俯いてしまう。

 その、潤んでトロンと蕩けかけている目や、脚を恥ずかしそうに擦り合わせている様子はどう見ても平常心とはほど遠く……


 ――あ、やばい、楽しい。


 男の子が好きな女の子に意地悪する気持ちを、なんとなく理解してしまう夜凪だった。




 ……と、そんな感じでからかっていると、やがて、星那はついには頭からぷしゅうと蒸気を吹き出して、ベッドに突っ伏してしまった。そのまま目だけを動かして、上目遣いで睨んでくる。


 ――うーん……自分の時と違って、星那君が睨んでも怖くないなぁ。


 同じ顔なのに何でだろうなぁと考えながら、すっかり涙目になっている星那君の頭をどうにか腕を伸ばして撫でてやる。


 それでどうにか顔を上げてくれた星那は、口を尖らせてジトっとした目を向けて来る。


「……絶対、わざとやってるでしょ」

「はは、ごめんごめん」

「…………まぁ、恥ずかしいけど嫌じゃないです。二人きりの時なら……」


 そこまで言うと、星那は今度こそ完全に俯いてしまう。耳まで真っ赤に染まっているのを見ると、相当恥ずかしかったらしい。


 ――うちの許婚が可愛い。


 動けるならば、走り回って病院中に叫んで回りたい気分だ。

 生きているって素晴らしいと、すっかりハイになっている気がする夜凪なのだった。





「全くもう……どんどん意地悪さが増していってない、夜凪さん?」

「はは……星那の反応が可愛いから悪いんだよ」

「……もう、そういう所ですよ!」


 またも真っ赤になりながら食ってかかる星那を見つめながら……ふと、そういえばまだ一番大事な事を聞いていない事に気がついた。


「それで……聞かせて貰えるんだったよね。答えは、出た?」

「あ……そうでした」


 その言葉に、星那が居住まいを正す。


 そもそも、神楽舞が終わったら話をする約束だったのだ。しかし、トラブルでその約束はすっかり予定が狂ってしまっていた。


「まず私は……『星那さん』が好きでした」


 膝の上で組んだ手をじっと見つめるようにしながら、そう語る星那。


 星那は、自分の姿が誰よりも好きだったが故に、今の状況に抵抗無く順応できた夜凪とは違う。


 人間見た目じゃない、なんていうのは理想論だ。『白山夜凪』が好きだったのは『瀬織星那』という女の子であり、そのだったのだから。


「……だけど、こうしてお互い入れ替わって……色々あって、お祭り前日の斎戒の中で静かに過ごしながら考えて……分かったんです。もっと、あの時よりも更に惹かれていたんだって」


 そう言って、夜凪の手を取る星那。


「今の『私』が好きだって言ってもらえた事、本当に嬉しかった。本当は、ずっと前からわかっていたんだと思う……だから、今ならきちんと、胸を張って言えると思います」


 両手で大切に包み込むようにそっとその手を握り、胸元へと抱き込むように引き寄せて……ゆっくりと、顔を上げる。


「その……まだまだ女の子に不慣れで、至らないところはあると思うんだけど……」


 そして……星那は顔を赤く染めながらも真っ直ぐに夜凪の方を見つめ……まるで自らの内からの熱に溶かされたような甘い笑顔をふわりと浮かべ、その口を開いた。



 ――そういえば、何であろうと受け入れてくれていた星那だったけれども……入れ替わって以降、その口から言われるのは初めてだ。


 そう、向けられているその蕩けるような愛らしい笑顔に目を奪われながら、夜凪はなんとなしに思った。






「私は、夜凪さんが好きです。前よりも、もっと大好きです……私と、結婚を前提に、お付き合いしてください」






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