銃声
星那を背中に庇い、先輩だった男と対峙している夜凪だったが……そんな中、バンの方からようやく立ち直った他の男たちも降りて来る。
「この、馬鹿野郎! 失敗したらすぐ逃げる手筈だったろうが!」
「こうなったら仕方ねぇ、相手はガキ一人と犬一匹だ、さっさと黙らせて……」
そう言いながら集まってくる、体のあちこちにピアスやタトゥーをチラつかせている明らかに堅気ではない者達。
まずい、一人ならばともかく囲まれたら……そう星那が思った時。
「てめぇら、俺のダチに何してやがる……!」
突如、野次馬たちの影から飛び込んできた、大柄な人影……祭りに遊びに来ていた陸だった。
走ってきた勢いのまま、右手を振りかぶる陸。
踏み込みと同時に放たれたストレートは……咄嗟に両腕をクロスさせてガードしようとした男をその腕ごと貫き、吹き飛ばしてしまった。
「がはっ、ば、バカ、な……こ、こんなガキ……に……!」
「はん、馬鹿にすんじゃねぇ、修羅場の数なら負けてねぇよ」
なんとか身を起こそうとするも、腹に痛烈な一撃を受けたその男が、ズルズルと崩れ落ちる。
そんな男相手に、陸は不敵に笑ってそう告げるのだった。
「な……なんだ、あのガキは……」
あの後ろで控えている大型犬ならばともかく……体格が良いとはいえ、どう見ても高校生の少年に仲間を一撃で倒されたもう一人の男が、驚愕に目を見開く。
――どうする、逃げるべきか?
新手のあの大柄な少年も明らかに武術の心得があり、その実力は計り知れない。
更にはたとえ少年達をなんとかできたとしても、一人で敵意剥き出しの大型犬に勝てるなどとは思っていない。
結論、無理。
そこまでを瞬時に判断し、踵を返し駆け出す。
その判断は間違えていなかった。だが……
「逃がさないよ、オジサン」
恐ろしいほど冷たい目をした小柄な少女が、すでに懐へと踏み込んでいた。
少女……柚夏は、手にした折りたたみ式の警棒を、男の顔先に掠めるように振り抜く。
脳を揺らされた男は……ひとたまりもなく、白目を剥いてその場に崩れ落ちるのだった。
そうして、周囲の誘拐犯グループが陸や柚夏に叩きのめされている頃……星那の目の前で、夜凪が元は先輩だった男を圧倒していた。
捌き、いなし、相手の力を利用して打つ。
非力な『瀬織星那』だった時に護身として叩きこまれた武術は、非力な者が自分より力が強い者を相手にしての戦いに特化しており、感情のまま突進してくる相手はまるでカモのような物だった。
「こっ、の……ウネウネと!」
自分の攻撃は擦りもせず、一方的に殴られていた先輩だった男が、半ば混乱した様子で腕を振り回す。
だが……夜凪はそのような雑な攻撃を難なく潜り抜け、懐へと飛び込んだ。
「げ、は……っ」
カウンターで男の腹部にめり込む夜凪の膝。
その喧嘩はもはや一方的な様相を呈しているが、夜凪には一息に仕留める様子は無く……むしろその感情の篭らぬ虫を見下すような目は、意図的にギリギリのところで男の意識を失わせぬように戦っている節さえある。
「何なんだてめぇ、一ヵ月前とはまるで別人……」
「ああ、
鋭い踏み込みから男の懐に飛び込んだ夜凪が、先程の膝と同じ位置……肝臓直上を狙い済まし肘を叩き込む。
口内を切ったか……あるいは消化器系のいずれかに異常をきたしたか、男が僅かに血混じりの反吐を吐き出した。
そんな光景を見つめながら、星那の中で嫌な予感がいよいよ膨れ上がる。
――やっぱり、今の夜凪さんは何かおかしい……!
淡々と無表情のままで、意識は奪わず痛めつける事を目的にしたような戦い方。
そんな残忍な戦い方をしている夜凪の様子を見つめていた星那に、焦燥感が生まれる。
だが……陸と柚夏が他の二人を黙らせたのを見て、その動きが変わった。
「はぁ、はぁ……ふざけるな、てめぇみたいな奴に、俺が……!」
「いい加減、黙って」
息が上がり大振りになった男の手を取り、足を引っ掛けて投げ飛ばす。
背中からアスファルトに叩きつけられた男に対して……その股間に、足を振り降ろした。
「〜〜〜〜ッ!?」
声も出せず、悶絶する男。
その容赦無い攻撃に、陸をはじめとした周囲の人々……特に男性……が顔を蒼褪めさせた。
それを目にした星那さえも、その激痛を想像していまい真っ青になる……それくらい、容赦無い攻撃だった。
だが……夜凪は、泡を吹き白目すら剥いている男に対して更に追撃の構えを取っていた。さすがに見ていられなくなった星那が、彼の方へと飛び出す。
「……駄目だよ、これ以上はもう止めるんだ!」
後ろから抱きついて、夜凪を止める星那。
そんな星那にすら感情の籠らない冷たい目を向けて、夜凪が呟く。
「離して」
「駄目、これ以上は夜凪さんの方まで悪い事になっちゃうよ!」
こんな奴のせいで、夜凪のその後の人生を棒に振らせるわけにはいかない。
その背中に顔を埋め、必死に制する星那に……やれやれと肩を竦め、夜凪がが構えを解いた。
「分かったよ……君が無事で良かった。それに、止めてくれてありがとう」
「うん……助けに来てくれて、ありがと」
怒りを収め、振り返ってそっと慈しむように抱きしめ返してくる腕の感触に……星那は今回ばかりは、素直に身を委ねるのだった。
そんな中……
「ひ、ひぃ……っ」
犯人たちの車の方から、引き攣った悲鳴が上がる。
誘拐犯の残る一人……バンの中、後部出入り口から顔を覗かせて様子を見ていた記者の男が、車を動かして逃げるつもりなのか、車内へと駆け込む後ろ姿が見えた。
「ハチ、お願い、あいつを逃がすな!」
「バウッ!」
星那の指示に、承知、とでも言うようにひと吠えして飛び出したハチが、素早く逃げる男の背中へと飛び掛かり、何かをする暇もなく押し倒す。
「ひ、ひぃぃ……うっ……」
牙を剥く巨体な秋田犬の成犬に、耳元でグルル……と唸り声を聞かされた男は……憐れっぽい悲鳴を上げた後、恐怖心からふっと意識を手放した。
もう一人……最初にハチに噛み付かれた男も車内で気を失っており、これで誘拐犯グループには動いている者は居なくなったように見えた。
――終わった。
平和なはずの住宅地で、突然始まった喧嘩騒ぎ。その収束を感じ、安堵の空気が周囲の者たちの間に流れた――その時だった。
始めに気付いたのは、鼻をひくつかせて振り返ったハチ。
次に気付いたのは……その異変の丁度正面に居た、夜凪だった。
「……星那!!」
突然、星那の腕がぐいっと引かれ、夜凪の背中へと庇われた。
その直後、鳴り響いた一つの音。
それは――パンッ、という小さな炸裂音。
ただそれだけの、癇癪玉のような安っぽい音。
だが……その音は、この場全ての空気を凍りつかせるのには、十分だった。
「……ぁ」
呆然と自分の体を見下ろした夜凪が……ガクッと膝を着き、ゆっくりと倒れる。
「……夜凪、さん……?」
呆然と、うつ伏せに倒れ伏した夜凪のかたわらに膝をつき、その体を揺する。
その腹のあたりからじわじわと広がっていく液体は……血。
呆然とその光景を見つめる星那の眼前で、ゆらゆらと、気絶していたと思われた先輩だった男が起き上がる。
その膝はガクガクと笑っていたが……一方で、目には完全に理性の失せた様子で立ち上がった。
「く、クク、ハハ……なんだ、当たるもんじゃねぇか! 最初っからこうやってれば良かったなあ、夜凪ぃ!?」
狂騒状態にあるその男の手にあるのは……本物はドラマやアニメでしか見た事のない形状の黒い物体――拳銃。
瞬間、周囲が無数の悲鳴と、混乱し逃げ惑う足音に満たされる。
そして……人というものは、一度破った禁忌というものはたやすく踏み越えるものだ。
「ヒャハ、次はテメェだ、女ぁ!」
「……あっ」
パニックの中央でギョロリと周囲を見回した男が、最初に目に留まった柚夏にその銃口を向けた。
突然突きつけられた、日本ではまず目にする事のないその凶器。
それを眼前に突きつけられ、さすがに柚夏も青い顔で硬直し、無防備な姿を晒す。
「……柚夏!」
そんな固まった柚夏を抱きしめるようにして、庇う陸。直後、パン、とさらに響く破裂音。
しかし……柚夏を庇い背を向けた陸の背中を襲うはずだった銃弾は、今度は何の効果も示さず残響のみが響き渡る。
そして……その結果を狂騒に駆られる男が見届ける時間は無かった。
「ガァウッ!!」
「ひゃ……あがぁ!?」
次の獲物に狙いをつけるよりも早く懐に飛び込んだハチが、その銃を構える腕へと噛み付く。ゴキリと骨が砕けた音が、生々しく響いた。
「このっ……てめぇだけは、許さねぇ!」
続いて飛び出した陸の拳が、その男の腹にめり込み……男は体を「く」の字にして崩れ落ち、今度こそ完全に沈黙する。
「陸、大丈夫なの!?」
「ああ、大丈夫だ、銃弾も多分外れたんだろ……それよりも、夜凪!」
「そうだ、よー君!?」
二人が、慌てて星那たちの方へと駆け寄ってくる。
そんな二人と一匹を横目に……星那は、放心状態ながらもなんとかしなければと、出血している場所を圧迫していた。
そんな中……ふっと、星那の頰に、夜凪が伸ばした手が触れ、頰を伝う雫を払う。
「……星那……怪我は……ない?」
真っ青に血の気の失せた顔で、星那に尋ねる夜凪。
その問いに、ふるふると首を振る星那を見て、安堵したように表情を緩める。
「良かった……いいんだ、これで…………君は……
――分かってるよね?
その目で語りかけて来る夜凪に、壊れた操り人形のように星那が頷く。
「おい、そこのあんた、救急車を!」
「あ……ああ、わかった!」
咄嗟に飛ばした陸の指示に、指差された野次馬の一人が我に返って頷いてスマートフォンを取り出し、緊急通報ダイヤルを押す。
「なっちゃん、止血代わるから離れて!」
「あ……わ、私のも……!」
呆然と夜凪の姿を眺めていた星那を押し退けて、ハンカチを取り出して傷口に充て、圧迫を始めた柚夏。
その姿を見て我に返り、星那も圧迫止血の足しにとハンカチを取り出して――ころころと、何かが星那の目の前に転がって来た。
それは、小さな緑色の小枝。
数日前にいつのまにか手に持っていた、今の今まで存在を忘れていたその小枝……ヤドリギの新芽。
――何か助けてほしい事があったら、それに祈って。
そんな声が聴こえたような気がして、星那は引き寄せられるようにその手を伸ばし、震える指で摘む。
「お願い、夜凪さんを助けて……!」
なぜかは分からないが、こうしなければならないという焦燥感に駆られて枝を両手で握り、胸元に抱えて一心不乱に祈る星那。
通報を受けて救急車が到着したのは……その、五分後だった
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