対峙

「はい……黒のバンでした、国道の方へ向かって……はい、お願いします!」


 夜凪が、先程星那を連れ去った車が走り去った方へと走りながら、警察への通報を終えて……電源を切ったその時、視界を掠める一人の参拝客。

 その人物には見覚えがある、近所でよく見かける男性だ。そんな彼が押しているのは……ロードタイプの自転車。


「ごめん、その自転車貸して!」

「え、な、何だ君!?」


 突然血相を変えた少年に詰め寄られ、面食らう彼だったが……すぐにそれが見知った顔だと気付き、若干警戒が緩むのが見えた。


「君は、この神社の……?」

「緊急事態なんだ! 女の子が攫われた……お願いします、助けてください!!」

「わ……分かった、使ってくれ」

「ありがとうございます……!」


 鬼気迫る夜凪の剣幕に押され、男性が首を縦に振る。

 夜凪は返事を聞くのもそこそこに、自転車に飛び乗ると全力で漕ぐ。


 さすがに走るよりずっと早いが、相手は自動車だ。気が急く中で、それでも境内脇の林道から公道へと出る。


 直後……横の茂みがガサガサと鳴ったかと思うと、白い獣が並走するように飛び出して来た。


「まさか……ハチ!?」


 それは、紛れもなく納屋の中に居たはずの白い大型犬、星那家の居候のハチだった。


 彼は今や普段の温厚な様子は無く、牙を剥いて力強く四つの脚で地を蹴り、あっという間に夜凪の漕ぐ自転車を先導するように前に出る。


 ――な、なんだなんだ!?

 ――え、何、犬!?


 人々が、猛スピードで駆け抜けていく犬に驚き、道を開けていく。

 そんな風に出来た空隙を、夜凪は必死に自転車を漕いで追走する。


 根拠があるわけでは無い。だが……


「もしかして君、案内してくれているのか、星那君の所に!」


 理屈ではなくそう感じ、無駄と分かっていても尋ねる。


 ――バゥ!!


 そんな夜凪の言葉に、まるで返事を返すようにひと吠えすると、ハチがさらにペースを上げて人通りの少ない道へと逸れていく。

 河川敷の土手に敷かれた、道路に沿って走る道。そこへと案内するかのように。


 そして……道路側は、だいぶ先の方で多数の車の灯火が道路に沿って瞬いているのも。


「……そうか、帰宅する参拝客の渋滞!」


 例祭のメインである奉納神楽が終わった直後だったため、一斉に帰路に着いた車によって、道路は未だ混雑の中にあった。


 ――大丈夫だ、追いつける!


 この状況ならば向こうは思うように動けず、ならば小回りが利くこちらの方が早い。

 そう確信した夜凪は、人気が無くなってさらにスピードを上げたハチを追いかけて、より強くペダルを踏み込むのだった。










 ◇


「先輩……」


 眼前の、すっかり見るに耐えない様相と成り果てた先輩を呆然と見つめながら、星那が呟く。


 それに……今更ながら気付いた。


 奥の運転手は以前、入れ替わり直後の入院中に星那の病室にまで踏み込んできた記者……病院の先生が言うには、暴力団とも繋がりがあるという噂のあるゴシップ誌を発行している出版社の記者だ。

 思い出せば、先程失礼な事を聞いてきた記者もそうだと、この段になってようやく合点が行く。


 何故そんな者達と手を組んでいるのかは知らないが……間違いなく、ロクな事ではないに違いない。


「……全部、お前とあの新入生のガキのせいだ、瀬織星那ぁ! 親父に勘当されて、学校も辞めさせられて、全部、全部、全部なぁ!!」


 口の端から泡を吹く程に激昂しながら、喚き散らす先輩男。


 ――退学になっていたのか。


 すでに終わった事と思い、停学が延長されたという話を聞いて以降その動向についてはあまり気にしていなかったが、そんな事になっていたとは。


 そんな彼は……ひとしきり哄笑したあと、不意に真顔になる。そんな様子だけで、もはや彼がまともな精神状態ではないことは明らかだった。


「……星那ちゃんよぉ、あのガキと許嫁だったんだって?」

「だから、何だと言うんですか……!」

「決まってんだろうが、お前たちの人生も、滅茶苦茶にぶっ壊してやんだよ……ッ!」

「か、はっ……」


 車内の壁にドンと押し付けられて、星那は衝撃に咳き込む。

 そんな星那を見下ろしながら、愉悦に表情を歪める先輩だった男。


「てめぇがヒンヒン喘いでる映像をプレゼントしてやったら、あのガキはどう思うだろうなぁ……!」


 両手を捕まえて壁に抑えつけ、身動きを封じられる。

 そんな星那の唇を奪おうと、迫ってくる顔。

 その背後には、ニヤニヤとこちら眺めている男の一人が構えているカメラが、こちらを向いて回っているも見えた。


 このまま好き放題されて、辱められているその様子を撮られて……


「そんなのは……願い下げだ……!」


 ギリッと歯をくいしばった星那が、近付いてくる先輩の顔に向け――振りかぶった頭を、思い切り叩きつけた。


「あがっ……!?」


 油断していた鼻先に頭突きを受け、歯を強打した先輩が口と鼻を抑え、痛みに悶えている。

 だが星那の方も、歯とぶつかった額が少し切れたらしく、鼻筋を滑って垂れてくる液体の感触。


「――ッ! ……誰が、あんたなんかと……っ!」


 ガンガンと脳に響く衝撃に顔を顰めながらも、身勝手な事を宣う先輩だった男を怒りを込めて睨みつける。


「……てめぇ、優しくしてやっていれば、調子に乗りやがって!」

「……っ、ぐっ」


 予想外の反撃を受け、もはや完全に目を血走らせた先輩だった男が、星那の巫女装束の襟を締め上げた。

 ギリギリと襟を絞められて、息苦しさに顔を顰めながらも、それでも眼前の顔を睨みつける。


 そんな星那の反応がさらに面白くなかったらしい先輩が……拳を握り、腕を振りかぶった。


 ――殴られる!


 衝撃と痛みを予感し、ギュッと目を瞑る星那だったが――実際に襲って来たのは、予想とは全く違う衝撃だった。


「きゃあ!?」

「うわっ!」

「な、何だぁ!?」


 星那だけでなく、男達と運転手からも上がる悲鳴。

 車の左側面に何かが衝突した衝撃で、まるで車が傾いたような、否、実際に左のタイヤが少し浮き上がり、落ちた。


 そのショックで、拘束の手が離れた。

 何があったかはよくわからないが、星那は好機と見て、身を捻って男達を躱し、ドアへと飛び付く。


「てめぇ……っ!」


 いち早く立ち直った先輩の手が伸び……千早の襟が掴まれた。


 ビリっと、絹が裂ける音。


 一瞬、高価な千早を損傷してしまったことを申し訳なく思うが……それは先程締め上げられたせいで胸元の留め紐が解けかけていたこともあって、偶然が重なった結果まるで忍者の空蝉の術のように、スルリと脱げた。


 捉えたと思った手が空を切り体勢を崩した先輩や、突然の事態の推移にポカンとしている他の男たちを尻目に、震える指をなんとか宥めすかしながらドアのロックを解除する。


 そのままドアを開け、外へと飛び出そうとして……


「待てやこのっ、逃すか……!」

「痛っ……!」


 飛び降りようとした瞬間、男の一人に腕を掴まれ、痛みに悲鳴を上げかける。




 ――そんな瞬間だった。




「ガァウッ!!」


 肝が冷えるほど大きな重低音の吠え声とともに、星那が必死に開けたドアから車内へと飛び込んでくる、白い大きな影。


「……へ?」


 反応が出来なかった、星那の腕を掴んでいる男へと白い影は飛び掛かり……ゾブリと、鋭い牙が肉を突き破る身の毛もよだつ音がした。


「……ぎゃぁぁあああっ!?」

「い、犬!? 犬が何で……!?」


 星那を掴んでいた男の腕に、ハチが容赦なく噛み付いた。

 ぼたぼたと床に鮮血が滴り落ちる。

 背後に悲鳴と、男達が戸惑う声を聞きながら、噛まれた痛みで掴む力が緩んだ男の手を振り払う。


 自由になった星那は――車から転がるように、飛び降りた。


 浮遊感に、一瞬息が詰まる。


 地面に叩きつけられる事を覚悟して身を縮めるが……予想とは違って衝撃はほとんど無く、代わりにふさふさと暖かい物に柔らかく受け止められた。


 ――な、何で車から巫女さんが!?

 ――嘘、誘拐!?


 ざわつく周囲。

 異常を察した事で、野次馬が集まってくる。

 視線が集まり、誘拐犯たちが流石に躊躇する中で……一人、気にしていないといよりは、怒り心頭なため周囲が見えていないという様子で降りて来る先輩だった男。


 そして……


「星那君、無事!?」


 土手を駆け下りて飛び込んでくる、新たな一つの人影。それは、星那を守るように眼前に立ち塞がる。


「ごめん、遅くなった……!」

「あ……」


 息を切らせながらも男達との間に立ち塞がる、夜凪の背中。

 その横に並び立つ、いっそ神々しく見える真白い毛皮のハチの姿。


 ――助かった……?


 誘拐という絶望的な事態を脱したのを感じ、極度の緊張から少しだけ解放された星那が、道路脇の芝にペタンと座り込む。


「ひゅう、格好良いねぇ、新入生クン?」

「誰だ、お前?」

「……てめぇ」

「冗談だよ、そっちはすっかりダサくなったね、先輩?」

「……ぶっ殺す!」


 茶化すような元先輩の声に、いっそ悠然とも言える所作で構えを取りながらも不快害虫を見るような目を向け、言い放つ夜凪。

 怒りに目を血走らせた先輩を前にしても、彼は冷静に見えた。


 だがその横顔は、むしろ怒りに飽和した無表情なのではないか……そう星那は感じ、ゾクリと背筋が震える。


「あの、夜凪さん……」

「大丈夫、ハチは星那君をお願い」


 その言葉に、座り込んでいる星那を守護するように星那の横に立って、男達へと向け唸り声を上げるハチ。


 一人、激昂した先輩と対峙し立ち塞がる夜凪のその姿に……星那は何故か、とても嫌な予感を感じているのだった――……

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