星那と、女の子同士のお風呂

 ――白山家、お風呂場の脱衣所。


 柚夏に拉致られて連れ込まれたこの場所で、星那は部屋着のスウェットを脱ぎながら、深々と溜息をつく。


「まさか、こんな事になるなんて……」

「大丈夫大丈夫、いつかは避けて通れないんだから、ちょっと早いか遅いかの違いだって」

「そうかもしれないけど、心の準備ができてないんだよ……」


 そう、渋々とした様子でゆっくり服を脱いでいく星那。

 その横では、さっさと服を脱いで惜しみなく全裸を晒している柚夏が、「やっぱりこの家のお風呂広くていいなー!」と浴室へと入って行ってしまっていた。


「お、おじゃましま……ひゃあ!?」

「はいはい、背中流してあげるから、座って座って!」


 彼女は恐る恐る浴室に踏み込んだ星那を、さっさと自分の前に座らせてしまった。

 そのまま、手の届きにくい背中側にシャワーで掛け湯をしてくれる。


「しかし、まあ、本当に綺麗な身体してるねぇ。お手入れ大変でしょ?」

「それは、まぁ……でも、最初はありえないと思っていたけど、もうだいぶ慣れたよ」


 毎日時間がかかって大変だけどね、と苦笑する。

 特に、最近は星那と一緒に入浴している朝陽も真似をしたがるので二人分となるから尚更だ。


 それでも、やってあげちゃうんだよねぇ……と、洗われている時の朝陽の、気持ち良さそうに目を細めている光景を思い出して頬を緩めていると。


「……なんか、ズルい」

「ひゃっ!?」


 背後から回された手が、星那の胸を下から支えるようにして揉む感触。

 突然の予想外の場所への刺激に星那が驚く。


「な、何するの、柚夏ちゃん……!?」

「こちとらなかなか成長しなくて悩んでるのにズルいー!」

「ひやぁあぁ……!?」


 最初しばらくは、やや怒りの篭った手付きで星那の胸をこね回していた柚夏だが、やがてゆっくり感触を確かめる優しいものに変わる。


「柚夏ちゃ……もう、いつまで触ってるの……?」


「うへへ、もう少し、もう少しだけ。良いではないかー」

「やめてって……言ってるでしょう!!」


 ゴッ、という、鈍く痛そうな音がお風呂場に響き渡るのだった。





「まったくもう……何か言う事は?」

「……ゴメンナサイ」


 そんな彼女は今、星那の長い髪を洗ってくれていた。


「うわー……凄いよサラサラのツヤツヤだよ、シャンプーのCM取れるって」

「……これも、瀬織さんの努力の賜物だよ。私はそれを教わった通りに維持しているだけで……」


 そんな星那の答えに、はぁ……と呆れたような溜息をつく柚夏。


「……先に謝っておくけどごめんね。私、今からちょっとだけ厳しい事言うよ」

「ど、どうしたの、柚夏ちゃん?」


 急に、真剣な顔で鏡越しに視線を合わせてくる柚夏。その少し怒っているような様子に、星那は戸惑う。


「なっちゃはさ、その……元々瀬織さんのだからとか、瀬織さんに悪いからとか、そういう『今のなっちゃん』を否定するの、やめた方がいいと思うよ」

「……え?」

「あまり、自分の気持ちを押し殺さなくていいって事。どうもなっちゃんってば、よー君に気を使って自分がどうしたいか見えてこないのよ」


 ぐぅの音もでなかった。


「ねぇ、なっちゃんはさ。例えばだけど、元通り男の子に戻れるならどうするの?」

「え……」

「そりゃ、そんなのどうやったらいいかなんて分からないけどさ。もし、そういう手段が見つかったらどうしたいのかなーって」

「そう、だね……それは……」




 ――もし、私なら元の平穏な生活に戻せるって言ったら、どうしたい?




 不意に、そんな少女の声が聞こえた気がした。


「……っ」

「ん、どうかしたの?」

「いえ……以前、誰かに何か関係する事を言われた気がして……」


 脳裏によぎる、白い翼のイメージ。

 だが、そのような記憶は何度思い出そうとしても、どうしても思い出せない。

 何か喉元あたりまで引っかかっているような気はするのだが……


「……大丈夫?」

「うん、多分いきなりそんな質問されて、ちょっと混乱しただけ。元に戻れたらか、そうだなぁ……」


 ――元に戻れたら。


 そうしたら、また以前の穏やかな日々が続いていくのだろうか。自分達……『白山夜凪』と『瀬織星那』も、また他人となって……


「ちょ、大丈夫!?」


 何故か、酷く慌てている柚夏の声に、顔を上げる。そこには……


「…………あ、れ?」


 鏡に映る自分の両頬を伝う、透明な雫。

 ポタポタと胸に落ちていく結構な量のそれは、シャワーの水などではなくて。


「ご、ごめん、何か私、悪い事言ったかな!?」

「ち、違うの、なんだか私にもよく分からなくて……」


 慌てる柚夏に、涙を拭いつつも答える。


 ただ、無性に強い寂寥感を胸に感じたのだ。

 例えるならば……ゲームや小説などで、好きなキャラが死んだり永遠の別れとなったりするシーン、それをまとめて百個くらい見せられた悲しい気持ちを一瞬に押し固められ、胸の中に植えつけられたような。




 思い出すのは、痴漢に遭ったあの日の、応接間で言われた夜凪の言葉。


 ――僕はもう、君がいい。『瀬織星那』じゃない、『星那君』がいいんだ……


 あの日、そう言った彼に、自分は勝手に居なくなったりしないと答えた気がする。




 ――本当に、それだけだろうか。居なくなって欲しくなかったのは、むしろ……




「なっちゃんはさ、もう答えが出てるんだよ、きっと」

「柚夏ちゃん……」

「だけど、それがよー君に悪いと思っているから、迷ってしまって苦しいんでしょ。だから……人の事ばかりじゃなくて、もっと、ちゃんとも考えて、きちんと話し合った方がいいよ、ね?」


 そう、毛先の方から優しく髪についた泡を洗い流しながら、優しく言う柚夏。その言葉に……


「うん、そうだね……ありがとう、柚夏ちゃん。私頑張って考えてみる」


 星那はそう、泣き笑いのまま告げるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る