星那と、真昼の提案

 

 お風呂から上がったあと、しばらく星那の自室で談笑……ついでに、悪いと思いつつ陸や夜凪の恥ずかしい話に盛り上がったり……した後、柚夏は夜の十時を回るか否か、くらいの頃には眠ってしまった。


 それを確認した星那は、ベッドを抜け出して、部屋を出る。


 目的地は、夜凪の部屋。

 少し前まで陸の指導のもとでトレーニングに精を出していた夜凪は、皆の中で一番最後にお風呂に行っていた。

 そのため、先程入浴を終えて部屋に戻ったばかりなのは、部屋の外から聞こえた足音で分かっている。今行けば、まだ起きている可能性は高い。


「自分がどう思っているかも考えて、きちんと話し合うべき……か」


 お風呂で柚夏に言われた言葉が、脳裏に蘇る。

 確かに、自分達に今必要なのは、今後どうしたいのかをきちんと話し合うことなのだろう。そう思って、夜凪の自室に向かう。


 ――向かった筈だった。


 夜凪の部屋のドアを、ノックしようとした、その時。


「あ……ぅ」


 あの、話があるんですけど。


 そう言おうとしたのに声が出ず、ノックしようとした手を、迷った末に引っ込める。


 それを何度か繰り返しても、寸前で迷い、止めてしまう。どうしても、その一歩が踏み出せない。


 ……分かっている、今はまだ、自分の考えが定まっていないせいだ。


 その後も何度か同じ事を繰り返し……やがて、諦めて渋々と部屋に戻ろうとした。




 ……そんな時だった。予想外の声が掛かったのは。


「……星那ちゃん」

「あ……母さん」

「少し話があるのだけれど、いいかしら」


 その言葉に、首を傾げる。


 朝早い両親は、普段ならばもう寝ている時間だ。

 そんな時間に真昼が二階に来た事も不思議ならば、話があるというのも不思議だ。


「……うん、分かった」

「そう、それじゃダイニングに来て頂戴、そこで話しましょう」


 そう踵を返して一階へと降りていく真昼に、星那もついていくのだった。





「それで……とりあえず、甘酒でも飲む?」

「あの、母さん、私は夜の十時以降に甘いものは……」


 寝る前に良くないというのもあるし、普段の習慣上、躊躇いが先に立つ。

 そんな星那の心境を他所に、冷蔵庫から白い液体に満たされたビンを取り出している真昼。

 有無を言わさずに、ビンからカップに注がれて目の前に置かれた良く冷えた甘酒。


 星那にとっては大好物であるが、夜の間食は体と美容に悪いという考えが、手を伸ばすか悩ませる。


「大丈夫よ、甘酒には美容にいい成分もいっぱい入っているのだから、ノーカンよ、ノーカン」

「そうかなぁ……」

「でも、皆には、特に朝陽には秘密ね」


 ウィンク付きで茶目っ気たっぷりな母の言葉に苦笑しながら、カップに口を付ける。


 ――背徳の味がした。


 口の中に広がる冷たくトロリとした液体。優しい甘さが広がって、ほぅ……っと一息をつく。


 普段であれば絶対しない事をしている罪悪感があるのに、それが逆にスパイスになっていつもより美味しく感じるとか……堕落しそうだから気を付けないと。

 これは今回だけ、そう自分に言い聞かせるのだった。


「それで……母さん、話って何?」

「おっと、そうだったわね。どうするかはあなたの自由意思に任せるから、嫌なら嫌とはっきり断っていいんだけど……」


 そう前置きしてから、コホンとひとつ咳払いして、口を開く真昼。


「……期末試験が終わったら、二週間くらいですぐ夏休みになるけど、その前にうちではお祭りがあるのは勿論覚えているわよね?」

「あ、うん、毎年の例祭ね。それがどうかした?」


 毎年、色々と手伝っているから当然覚えている。


 割と大きめな神社である白山神社では、毎年七月の半ばに例祭を開催している。

 当日は屋台なども並び、神様を迎える神楽かぐらなども供される。結構本格的に開かれ、地元からかなりの数の人が来るお祭りだ。


 ここ、白山神社の例祭は、なんでも昔、本州から北の大地に移住して来た際に、分祀された神社に御神体が納められた人らしいけれど……


「星那ちゃん、あなた……そこで、今年の舞女まいひめをしてみる気はない?」

「え……?」


 舞女は、名前の通り、祀っている神様に捧げる神楽を皆の前で舞うお役目だ。

 そのお役目を担う女性には、未婚の女性が選ばれる。例年であれば、近所の適齢の女性から希望者を募り、頼んで参加してもらっていた。

 たしかに星那ならば資格は満たされているだろうが……それが今からとなると、少し話が変わって来る。


「いや、今からだと時間が……そりゃ、私も演奏は手伝った事もあるし、段取りは理解しているけど、舞台で踊るのはまた別だよね?」


 とにかく、練習時間が足りない。今からであれば、試験勉強の時間も確保しなければならないため、間違いなく強行軍の練習となる。


「確かに、星那ちゃんは試験も控えているし、結構大変なスケジュールになる事は理解しているわ」

「なら、やっぱり……」

「それを理解した上で、もう一回聞くわ……挑戦してみる気は、気は、無い?」


 ぐっと、言葉に詰まる。真昼がなぜこのような提案をしてきたか、理解した。


 思い返せば、星那は自分の意思で女の子として暮らすのを了承したのではない。焦がれた相手が喜んでくれるから、それで一緒に居られるならばという流されての結果だったように思える。


 ……そのツケとして回って来たのが、今の星那の迷いなのだろう。


 これは、「他者のため」に流されて女の子として暮らす事を了承した星那に、今度は「自分の意思」で選択をしろという、母の厳しさだ……と不意に理解した。


「勿論、巫女として神様に捧げる舞台に立つのだから、指導は厳しくやるわ。それでもやるというならば、ですけれどね」


 そう、いつもの緩さの無い真剣な表情で語り掛ける真昼。その目は、「あなたはどうしたい?」と、問い掛けているようだった。


 そんな真昼に、星那は……


「……分かった。やるよ、舞女」


 これを成し遂げれば……今、迷いの中で自分の想いというものを見失いかけている自分も、何かを掴めるかもしれない。


 そう考えて……星那は、真っ直ぐ真昼の目を見つめて頷くのだった。

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