星那と迷い犬
結局……夕方まで遊び倒した星那たち四人。
合流したのと同じ駅へと戻り、星那と夜凪、陸と柚夏の二組に分かれて帰路に着いた時には、すっかり日も傾き始めていた。
「すっかり遅くなったけど、いっぱい遊んだねぇ」
「うん……おかげで小遣いがすっかり心許ないよ」
「あはは……それじゃ、次のお小遣いまではしっかり節制してください」
ツン、と突き放すように澄まし顔で答える星那だったが……すぐに、柔らかく表情を緩めて隣を歩いている夜凪の方を覗き込み、問いかける。
「……楽しかった?」
「うん、とても。誘ってくれた二人には、本当に感謝しかないよ」
「そっか、なら良かった」
結構に強引な柚夏の誘いから始まった今回の出来事だったため、それだけ気掛かりだったのだ。
しかし、今の夜凪の顔には、無理して話を合わせているような堅苦しさは見受けられない。その事に、星那はホッと安堵するのだった。
そのまま、帰路を並んで歩く。すると、しばらく黙り込んでいた夜凪がポツリと呟いた。
「……星那君。手、繋いでもいいかな」
「……え? それは、もちろん構わないけど……」
意外なその言葉に、星那は目を瞬かせる。
入れ替わったばかりの頃の夜凪は、そのように断ったりせずに触れてきていた筈だ。
疑問に思いながら了承すると……彼は、少し頬を染め、躊躇いながら星那の手を握って来た。
らしくない、そんな初々しいカップルのような行動に、星那の方もかえって緊張してくる。
「楽しかった。けど……今度は、二人で遊びに行きたいな」
「……そっか。それじゃ、今度は二人でね」
なんだかくすぐったい空気を感じながら……急速に赤味を増していく夕焼け空の中を、二人手を繋いで帰るのだった。
しばらく、手を繋いだまま無言で歩き続け、帰ってきた白山家……の手前、神社の境内に続く石段の前。
そこに、何故か母、真昼と妹の朝陽が居て、談笑らしきものをしていた。
ここまでずっと繋いでいた手を、パッと離す。流石に母に手を繋いだまま帰宅するところを見られるのは恥ずかしい。
名残惜しそうにしている夜凪を促しながら、何だろうと思い近寄っていくと。
「あ、お姉ちゃん、お帰りなさい!」
「うん、ただいま、朝陽」
こちらの姿を認識して飛び掛かってきた朝陽を抱きとめて、ぎゅーっと抱きしめてやる。
そうして嬉しそうに星那の胸に頬ずりしてくる妹の頭を撫でてやりながら、もう一人、真昼の方へと声を掛ける。
「母さんも、ただいま」
「ただいま戻りました、お義母さん」
「ええ、二人とも、お帰りなさい……なんだか顔が赤いけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ」
鋭い母の言葉に、慌てて否定する。
横目でチラッと見れば、夜凪の方は顔を見られないように逸らしていた。
「あらあら、仲良くやっているみたいで嬉しいわ」
「と、ところで朝陽も母さんも、外で何をやっていたの?」
「それがねぇ……」
微笑ましいものを見るような生暖かい視線を送ってくる母に、話を変えようと本来の質問をぶつける。
すると真昼が頬に手を当てて、困ったような顔をした。
一方で朝陽は対照的に、星那の腕の中で嬉しそうにはしゃいでいた。
「なんか、犬がいるの!」
「「……犬?」」
星那と夜凪が、二人揃って首をかしげる。
「うん、犬! すごくおっきいの!」
「えっと……母さん、どういう事?」
朝陽はずっと興奮しっぱなしで、どうにも要領を得ない。ゆえに、星那はどういう事かと真昼に目線で助け舟を要請する。
当然ながら白山家では犬など飼っていないし、このあたりを縄張りとする野犬の話なども聞いた事がない。
もしかしたら……新たに流れてきた、獰猛な野犬なのかもしれない。
そんな心配をする星那だったが。
「ああ、星那ちゃんが心配しているのは分かるけど、大丈夫よ。とってもおとなしい、可愛い子だったから」
「そうなの?」
「ええ。今日のお昼過ぎくらいに境内にふらっと現れて、座り込んじゃって。ずっとお行儀良くしていたし、朝陽が近寄っても遊び相手してくれる良い子だったから気にしてなかったんだけど……」
「そのまま帰らないんだ?」
「そうなのよ。すっかり居着いちゃって。このまま一晩預かるようなら、後で夕一郎さんが車を出して必要なものを買いに行くそうよ」
「ふーん……」
神社である以上は参拝客も訪れるわけで、少しでも人を襲う危険があるのであれば、置いておくわけにはいかないのが白山家の事情だ。
それなのに追い払おうとしない、という事は……本当に利口な犬なんだなと、なんとなしに考えながら真昼たちと共に石段を登り、境内に入る。
さて件のお犬様は、と視線を巡らせる星那。
そこに居たのは……
大きな身体に、太くがっしりした手足。
密度のある、ふさふさした白い体毛。
精悍な顔つきは、芝犬などをはじめとした日本犬特有の顔だった。
その中で、大型犬といえば……
「秋田犬じゃないか……!?」
この時点で、ほぼ野良は有り得ない。
国により天然記念物指定され保護されている、六犬種のうちの一つなのだ。
それに……きちんと躾けられていない場合、他者に攻撃的な犬種でもある。
それがこれだけおとなしいということは、どこかで飼われていた可能性が高い。
「でも、特に首輪もしていないんだよね……」
澄まし顔でお座りしているその犬の前にしゃがみこみ、犬と目線をあわせながら、ゆっくり手を伸ばしてみる。
真昼や朝陽の言う通り……犬は、吠える様子もなくただじっと星那のことを見つめていた。その様は、高い知性を感じさせる。
そして、さしたる抵抗も見せず、星那の手がその毛皮に触れた。
――うわぁ、ふかふかだ。
手に伝わる、素晴らしい毛皮の手触り。これは……
「うん、やっぱり野良犬じゃないよ、この子」
「そうなの?」
「うん、綺麗すぎるもの」
後ろから興味津々に覗き込んでいる夜凪に、そう断言する。
触って見た感じ、その毛皮は日頃から手入れがされているものだし、野生に暮らす動物特有の嫌な匂いなどもしない。
「ふむ……もしかしたら、首輪が外れて歩いてきてしまった迷い犬かもしれないね」
「だとしたら、飼い主が探しているかもしれない。張り紙か何かで、今預かっている旨を掲示しておくべきかな」
夜凪の言葉に同意しながら、星那は真昼へと視線を送る。
すると、真昼は構わないからやりなさいと、頷いてくれた。
「それじゃ、そっちは僕が準備するよ。真昼さん、リビングのパソコンをお借りしても良いですか?」
「ええ、構わないわ。何か手伝えることがあれば遠慮なく言ってね?」
「言ってねー!」
和かに了承する真昼と、その真似をしている朝陽。
二人に会釈すると、夜凪は家の中へと消えていった。
「それじゃ、うちにドックフードなんて無いし、私はご飯の用意をしないとね」
「お願いね。私は家の横の使っていない納屋を片付けて来るわ。夕一郎さんが言うには、あそこなら住処に使って構わないそうだから」
「私も手伝うー!」
「はいはい、一緒にお片付けしましょうね。あなたもいらっしゃい?」
元気に宣言した朝陽に温かい微笑みを向けながら、二人が連れ立って納屋へと向かう。
最後に真昼が犬へも声を掛けると、なんと彼も素直に真昼についていく。
――やっぱり賢いなぁ。
お尻を振りながら大人しく真昼たちに着いていくその姿を見送って、最後に星那も自分の仕事のため、家へと歩を向けた。
確か犬に食べさせてはいけない物は……
そんな事を考えながら、神社奥の白山家の家へと戻ろうとした時……何か引っかかりを感じて、境内を見回した。
それは、漠然とした直感みたいなもの。
しかし……星那の視線は、境内入り口を守る狛犬へと吸い寄せられた。
「……あれ……なんだか、魂が抜けたみたい……?」
いつも見ていた、境内を守っている狛犬。
いつもは立派な姿を見せているその像が……何か、足りない気がしてならないのだ。
自然と目線が吸い寄せられるのは、先程の……何処から来たのか不明な犬の後ろ姿。
「……まさかね」
あの昼間出会った不思議な女の子といい、今日は色々あって、少し思考が現実離れしている気がする。
星那は頭を振って変な考えを振り落とし、気を取り直してキッチンへと向かうのだった。
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