星那と不可侵(だった)領域
北の外れとはいえ、政令指定都市である中心地の駅とその周辺は、大都会と言って差し支えないくらいに大きな街となっている。
そんな駅構内から直接入ることができる、左右にそびえる巨大な商業施設。そのうちの一つのテナント前に、星那たちは訪れていた。
「……で、最初がここってハードルが高すぎない……?」
「だって、苦手な事はさっさと済ませてしまった方が気兼ねなく遊べて良くない?」
「……たしかに、一理あると思うけど」
気兼ねあるものが控えているのでは、それが気になり楽しめないという、柚夏の言葉も、もっともだ。
だが……それでも心情的には、やはり後回しにしたかったのだった。
「……それじゃ、俺は本屋でも眺めてるわ」
皆が店に入ろうとした瞬間、そう言って踵を返す陸。
――逃すか……っ!
死なば諸共。冷静に考えれば陸がここに残る必要は全く無いのだが、それはそれとして一人逃してたまるかというそんな思いと共に、咄嗟に手を伸ばした星那だったが……あいにく、星那と陸とでは身体能力と反射速度がまるで違う。
不意打ちで繰り出した筈の星那の手を、陸はサッと躱すと、いっそ爽やかな表情で足早に去っていってしう。
何にも触れなかった指先に、星那は内心で舌打ちするのだった。
「……逃げた」
「逃げたねー」
その様子に柚夏と二人、顔を見合わせて苦笑し合う。
「それじゃ、私もそろそろ替え時だから、ちょっと選んで来るわ、よー君、なっちゃんの事は任せた、また後でね!」
「わ、わ……っ!?」
そう言って、星那の肩を夜凪の方へと向かって押し出す柚夏。
慣れぬ踵が高いパンプスに踏ん張りがき効かず、ふらついた星那を咄嗟に抱きとめる夜凪。そんな二人に、柚夏は「あとはお二人でごゆっくりー」と、面白がっている顔で手を振って、去ってしまった。
二人抱き合う形でぽつんと残された段になって……星那の顔に、ぶわっと冷や汗が浮かび上がる。
言うまでもなく、
今は女の子となっている星那でさえ、当時の心境を引きずっており足を踏み出せずにいる。
だというのに、今は男の子になってしまった彼はどうするのだろう……と思い、横目で様子を伺うと。
「何をしているの、早く行こう?」
そう言って、何の気負いもなく星那の手を引き歩き出していく夜凪。
慣れもあるのだろうが、その歩みには禁忌の地に踏み入れる躊躇いなど一切見当たらなかった。
――夜凪さんまじパない……っ!?
この時ばかりは、心底彼を尊敬する星那なのだった。
「さて……星那君。探し方を教えるから、練習がてら自分で下着を選んで買ってみよう」
周囲を埋め尽くすフリルとレースとリボンの山。
中には星那には「これ、大事な場所を隠す役に立ってなくない?」としか思えない物まで惜しげも無く並べられた、その店内。
真っ赤になって周囲の光景に圧倒されている星那に、夜凪が突然放った言葉。
「じ……自分、で?」
「これから女の子として生きていくのだから、当然でしょう?」
「それは……そうだけど」
「まぁ、今時ならネット通販を利用するのもアリだけど……それも、必要最低限の選び方くらい知っておかないと何も分からないよね?」
「た……確かに」
「それとも……ずっと僕に任せたいっていうなら喜んで、星那君の下着の管理するけど、その方がいい?」
「自分でできるよう頑張ります……っ!」
――常にどんな下着履いているか把握されてるって、どんな羞恥プレイさ……!?
内心で絶叫しながら、しっかり覚える事を決心する星那なのだった。
幸い……というか何というか、下着を選ぶ際の注意点はすでに聞いていた。
きちんとフィットし痛くないブラジャーの選び方など、いくつかのポイントの指南を受け、おすすめをいくつか挙げた夜凪は……
「それじゃ、僕はちょっと探しものがあるから、買うものを自分で選んでおくんだよ」
そう言って、売り場の向こうへと消えていってしまった。
――よく、一人で歩き回れるなぁ。
星那には、男だった時にこのフリルとリボンとパステルまみれの森を歩く度胸は無い。なので、そんな事を感心するのだった。
夜凪が言うには、いくら数を持っていても、結局は普段使用するのはお気に入り何個かになってしまうとの事だった。
故に、普段使いの物を、可愛いと思った物を上下セットで数点。それと運動したい時用に、スポーツタイプを数点。
更には、何枚組何円、のようなセット売りのショーツを結構な量。
夜凪に選んでくるよう言われたとおりの数を選び終え、買い物かごに入れた星那は、夜凪の姿を探して店内を歩いていた。
そんな夜凪の姿は……割と、すぐに見つかった。
売り場の端の方の棚の影から、ちょいちょいと手招きしている彼の元へと向かう。
「どう? 自分で選べた?」
「は、はい……なんとか。だけど、こんなにたくさん必要だったんですか?」
「まぁ……安くて惜しくないやつはすぐ減るからね、多分」
「……?」
――新品で購入したショーツが、すぐに減る?
何やら意味深な夜凪の言葉に、首を傾げる星那。
その間にも、夜凪は籠の中身をチェックしていた。
「ふむ、ふむ……」
興味深そうに、星那の持つ籠の中身を覗き見る夜凪。
「また随分と、装飾少なめで色は白に近いものを多めに選んで来たねぇ」
「……あはは……その、多分男子だった時の願望に引き摺られたんだと……」
そっと、目をそらす。
そんな星那を、ニヤニヤと表情を緩め見つめている夜凪に、慌てて話題転換を試みる。
「そ、それよりも、探し物があるって言ってたのはもう大丈夫なの?」
「ああ、その件についてなんだけど……ついてきて」
そう言って、星那の手を握って引っ張っていく夜凪。
「いったい、何があるんですか?」
「そろそろ必要になりそうなもの、だよ」
そう告げた夜凪の目は……なぜか、同情の色を浮かべていた。
連れてこられたのは、売り場の一角。
陳列されているのは、相変わらずフリルやリボンまみれな女の子のショーツ。
違うといえば、先程までと比べると布が多いというか、お尻を上の方までしっかり覆うフルバックな物が多いというくらいだろうか。
しかしそれも「そういった形状のものが比較的多い」というだけで、中には結構際どい浅さのローライズのものも陳列されていた。
――何故、この一角はコーナーが分けられているのだろう?
――必要になりそうなものって何だろう?
そう、首を傾げながら夜凪の後をついていく途中で、星那が覗き見た商品のタグにはは……
「……サニタリー……ショーツ?」
何、それ。
そう目線で夜凪に問いかける星那。
「んー、特徴としては洗濯しやすい素材だとか、クロッチ……あー、股のところの当て布ね。あれが防水布でできてるとか、色々あるけど……」
夜凪は説明しながら、手元の棚にあったショーツの一つをハンガーごと手に取る。
「最大の特徴は、ここかな」
そう言って、一着手にしたショーツの股間部分を指し示す夜凪。
「……あれ、二重になってる?」
「そう、羽をしまって隠せるようにね」
「……羽?」
頭に疑問符を浮かべている星那に、夜凪は何やら難しい顔をしながら口を開く。
「星那君、僕たちが入れ替わって、どれくらい経っているか覚えているよね?」
「それは、まぁ……今日で二週間と少し……えっと、十七日目だよね」
「うん……それで聞いておきたいんだけど……来た?」
そう言って、星那のお腹あたりを指差す夜凪。
初めは何のことか分からずに、首を傾げる星那だったが……
そろそろ必要になりそうなものが、下着類。
洗いやすい素材で、何かを隠す構造になっている。
徐々に理解の色が深まっていくにつれ……星那の顔が、青く染まっていった。
「……まさか」
「……そう。入れ替わったショックで周期が狂ったりしていなければ……来週中には
沈痛な面持ちで宣う夜凪。それはまるで、罪状を読み上げているかのようだった。
その様子を見れば、彼がまだ『瀬織星那』だったとき、それがさぞ憂鬱なイベントであったことは容易に察せられてしまった。
――生理。
詳細は男子には徹底して伏せられ、しかし名前だけはもちろん聞いたことはある、その女の子特有の現象。
そして……それは基本、辛い、大変、嫌だ、そんな話しか男子の耳には入って来ないのだ。
故に……ただその言葉を聞いただけで、星那は気分が真っ逆さまに憂鬱になっていくのを感じるのだった――……
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