星那と、男の浪漫

「こっちに来た初日から思ってたのだけれど……」


 夕食も終えて……今は夜凪の母、真昼が食器の後片付けをしてくれているため、のんびりと寛いだ時間が流れているリビングの中。

 不意に、頭痛を堪えるかのようにこめかみを抑え、星那が口を開く。


「あなた達、本当に仲良いわよ……ごほん、仲良いよね」


 夜凪の方を見て、呆れた様子でそう呟く星那。




 ちなみに、途中で言い直したのは口調を直す一環として、女言葉の使用禁止を夜凪が言い渡しているからだ。


 ……実のところ、中性的な見た目の夜凪の身体には案外と違和感無いのだが、夜凪としては絶対にその事を認める訳にはいかない。




 それはさておき。


 他者から、あらためて仲が良いと言われ、首を傾げながら見つめ合う夜凪と朝陽。


「そうかな……別に普通じゃない?」

「普通だよー」

「あなた達にはそうでも、世間一般の基準とはだいぶ異ってるの」


 はぁ、と嘆息しながら、星那は声を揃えて抗議する二人ににそう指摘する。


 ……そんな夜凪は今、朝陽を膝枕して耳掃除をしていた。


 慣れた手付きでピンセットを操り、ひょいひょいと耳垢を摘んではあらかじめ用意していたウェットティッシュに落としていくその姿は、熟練者の風格だ。

 実際に掃除されている側の朝陽は、夜凪の太ももに頭を預けたまま安心し切った様子を見せており、気持ち良さそうにしている。


 そうこうしているうちに、あらかた掃除し終えたらしい夜凪が、ふっと耳に残った塵を吹いて飛ばす。


「それじゃ、反対側を向いて」

「うん、わかったー」


 朝陽が言われた通りに膝の上で体の向きを入れ替えて、夜凪お腹の方へと顔を向ける。

 くすぐったそうにその頭を撫でる夜凪、その慈愛に細められた瞳、その顔は……慈母の如き優しさを湛えていた。


「……白山君、やっぱりお母さんでしょ、あなた」

「え、急に何?」


 ポツリと漏らした星那の感想に、夜凪がキョトンと首を傾げる。


「……私としては、すっかり朝陽のお母さん役を取られちゃって不満なんだけど」


 背後から掛かる、新たにリビングに現れた声。

 どうやら真昼が洗い物を終え戻って来たらしい。


「あ、母さん。お疲れ様」

「ええ、夜凪も朝陽の面倒お疲れ様。冷たい甘酒いる?」

「あ、うん、ありがと。これ終わったら貰うね」


 母が両手に携えて来たマグカップのうち一つを、夜凪の目の前のテーブルに置く。この母が作ってくれる甘酒は、夜凪の大好物の一つだった。

 嬉しそうに礼を言う夜凪に優しく微笑んで、真昼が空いている一人掛け用ソファに腰掛ける。


「それで……夜凪は昔はお兄ちゃん子だったんだけど、ずっと弟か妹が欲しかったみたいでねぇ」

「ちょ、ちょっと母さん!?」


 突然の昔話に、夜凪が慌てて身を起こしかけるも、すぐに膝枕をしている朝陽の事を思い出して渋々と座り直す。


「あら、本当の事じゃない。年の離れた妹ができて、何でも僕が僕がって面倒見たがって、それはもう可愛かったのよ?」

「ほほぅ……お義母様、そのあたりを詳しく」


 興味津々といった様子で続きをせがむ星那の様子に、もう好きにすればいいよと耳掃除に専念する夜凪だった。







 ……女子ママ力たっかいなぁ、白山君。


 星那と真昼が二人、昔の夜凪についての話に花を咲かせている間、こちらの事はもう無視する事にしたらしく、妹の耳掻きに専念し始めた夜凪。その様子をちらちら眺めた感想がそれだった。


 ――あの、私絶対に教えてないはずなんだけど、何でそんな横髪を掬って耳に掛ける所作がエロくて美しいのかなぁ?


 作業中に顔に落ちてきた黒髪を脇に避ける仕草が、やたらと色気に満ちている。

 さらりと流れる黒髪と、露わになった耳からうなじにかけての白い肌のコントラスト。


 元自分の体であるにもかかわらず、ドキッとする星那だった。


 そんな風に眺めてると……やがて、耳掻きが終わったらしい夜凪が、ふうっと息を吐いて耳掻きをテーブルに置く。


「よし、終わったよ」

「ありがと、お姉ちゃん!」

「うん、どういたしまして」


 パッと体を起こした朝陽に、夜凪が優しく微笑む。

 その膝上から降りた朝陽は、ここが定位置とばかりに夜凪の右腕側へと寄り添うようにくっついてソファに座り、体を預ける。


 そんな甘えん坊な妹を苦笑して見つめた後、夜凪の視線は……先程から、引き寄せられるように部屋着のスカートから覗くその白い膝を見つめていた星那へと向いた。


「さ、次、どうぞ?」

「……え?」

「ずっと、じーっと見てたから。次、やってあげるからどうぞ」


 ぽんぽんと、自分の膝を叩きながら星那を呼ぶ夜凪。

 どうやら、星那の視線を自分もやって欲しいためだと勘違いしているらしい。




 ――正直、すごくやって欲しいです。




 先程の朝陽の様子を見るに、絶対に気持ちいい。

 しかも、自分の身体に膝枕をしてもらえてるのだ。その太ももは細身ではあるが、運動が苦手だった分柔らかさには自信がある。

 自慢ではないが、気持ちいいに決まっているはずだ。


 ――いいわよ、やってやるわよ。


 そんなやけっぱちな心境で、無性にドキドキしている鼓動を抑え、夜凪の隣に移動した。


「さ、どうぞ?」


 にこにこと、膝を叩く夜凪。

 促されるままに身体を傾けて、その膝に頭を着地させた。




 ――うわー……うわー……


 予想していたが、それよりもずっと気持ちいい。

 それに人肌の暖かさが心地よく、頭を乗せた瞬間の安心感が半端無い。

 加えてすぐそばから漂ってくる花のような甘い香りがまた心地よく、こうしているだけで日々のストレスを溶かしていくようだ。


 それに……酒精綿でピンセットを拭き取ったりと、耳掻きの準備している夜凪がゴソゴソと屈んだりするたびに、程よく重量がある柔らかな塊が顔の上に降ってきて、触れる。




 ――何これ天国かしら。




 そう、星那は割と本気で思った。


「男の人が言うには……膝枕は男の浪漫なんだそうだけど、星那ちゃん、どう?」


 すっかり蕩けかけている星那に、真昼が面白がって問い掛ける。


 ……愚問である、答えなど、決まりきっていた。


「柔らかくて暖かくていい香りで、控えめに言って最高です、お義母さん」

「あら、羨ましい。私も後でやって貰おうかしら」

「もう、二人とも何言ってるのさ……」


 夜凪の膝を品評する星那の言葉に、若干照れた様子を見せながら、傍の耳かき道具を入れた籠から新しい耳かきを取り出している夜凪。


 横目で上を見ると、視界を遮る二つの山の向こうに見える、見慣れていたはずの自分の顔。


 しかし、「ん?」と頭に疑問符を浮かべながらこちらを覗き込む顔は、絶対に自分にはできなさそうな優しい微笑みを浮かべており、ドキッと心臓が跳ねた。


 ……何これ、すごい恥ずかしいんだけど!?


 今になって星那が、内心で悲鳴をあげる。

 元自分の体に膝枕される程度……そんな考えが甘かったのだと気付いても、もはや後の祭りだった。


「それじゃ、挿れるからじっとしていてね?」

「んっ……」


 ガチガチに緊張している星那の耳に、ピンセットが入って来た。

 その冷たい感触と、皮膚が薄い場所に異物が入って来るというくすぐったさ。

 ピクンと体が跳ねそうになるが、その頭が細く滑らかな指でそっと優しく抑えつけられた。


 その手つきは、どこまでも優しく甘やかして来る。

 外野として見ていた時は手際良く見えたその動きは、こうして自分がされる番になって、決して苦痛は与えまいという慎重さで行われている事が分かった。


 耳の中に付着している耳垢を、耳掻きに持ち替えカリカリ刮ぐもどかしい感触。決して無理はせず、優しく、優しく清められていく。


「大丈夫、痛くない?」

「ぜっ……全然大丈夫、むしろ気持ち良い……と思う」

「そっか、ならこのまま続けるね」


 その言って夜凪はまた黙々と耳掃除を続ける。

 時折目が合うと、何故か随分と楽しそうに微笑み返して来るのがまた気恥ずかしい。


 やがて……ピンセットがカツンと音を立ててテーブルに置かれた音で、終わったのだと気が付いた。


「んっ……」


 仕上げとばかりに、掃除が終わりスッキリとした耳の中に、ふわふわ柔らかなポンポンが入ってきて内壁を擽る。

 最後まで優しく耳内を撫で回し、耳から抜けていくそのポンポンの感触に、名残惜しいとも、安堵したとも言える複雑な心境が去来した。


「それじゃ、次は反対側ね」

「……お願いします」


 ……そうだ、耳は二つあるじゃないか。


 もはや、ここまでくると星那には反抗する気力は根こそぎ奪われていた。完全敗北だった。

 むしろ、これに勝てる地球人類って居るの? というくらいの心境だった。


 素直に夜凪のお腹の方を向いて、もう片耳も差し出す。


 頭を抱え込まれ、夜凪のお腹……おへそのあたりに顔を埋めるような姿勢になっているため、膝だけではなくお腹の程良く柔らかい感触が頰に当たる。


 それに、先程よりダイレクトに、強く感じる甘い香り。


 ……自分の匂いって、こんなだったんだなぁ


 しみじみと、そんな感慨に耽る。

 すれ違った男子が、やたらと「いい匂いがした」と騒いでいた理由を理解した。

 当時はなんてデリカシーのない事を……と冷めた思いで聞いていたが……これは、やばい。正気をドロドロに蕩かされる。


「それじゃ、ジッとしててねー……」


 優しく語りかけ、夜凪が動く。

 だが、言われるまでもなくすでに星那には抵抗する力は残っていない。

 再び、今度は反対側から入ってきた感触に、あふ……と溜息が漏れた。


 今は夜凪のお腹しか視界が効かないのも相まって、急速に睡魔に引き込まれ、意識が遠くなっていく。


 ――ああ、でも、それでいいかな……


 柔らかく頭の左右を挟む暖かな感触と、どこまでも優しい夜凪の手つきにすっかり蕩かされた星那の意識は、ふっと穏やかな眠りへと堕ちていくのだった――……











「夜凪、お風呂上がったから次……」


 ほかほかと湯気を立てて、リビングに入ってきた夕一郎。

 しかし入って来た瞬間、夜凪と真昼、二人に「しぃー……」と静かにするよう制されて、目を白黒させる。



「……って、どうしたんだい、この状況は」


 声を顰め、真昼へと説明を求める夕一郎。

 今、夜凪の右肩には朝陽がスヤスヤと安らかな寝顔でもたれかかっており……


「あぁ、星那さんはここに居たのか……」


 夕一郎からは死角となっていた、ロングソファの夜凪を挟んで朝陽の反対側。

 覗き込んだそこには、安らかな寝息を立てて、安心し切った様子で目を閉じている星那の姿があった。


「ごめん、こんな状況だから、後で入るね。母さん先に入ってきなよ」


 そう言って、左手で甘酒の入ったマグカップを傾けつつ、右手で優しく星那の頭を撫でている夜凪。


 その姿に……


「……真昼さん、あれ」

「はいはい、分かっているわ夕一郎さん。お風呂から上がったらでいいかしら?」


 羨ましそうに夜凪たちの様子を眺めている夕一郎に、真昼は苦笑して、そう答えるのであった。

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