星那の危機一髪
自室へと戻ってきた夜凪には……今こそ、やるべき事があった。
封じられた聖なる武具を解放するような気持ちで、クローゼットを開け放つ。
「〜♪」
上機嫌に鼻歌を歌いながら、ごそごそとクローゼット内の段ボール箱を漁り、中から何かを取り出す夜凪。
それは……布団などを圧縮保存するためのバッグ。
箱内には、その布団圧縮袋が整頓され収まっていた。
目移りしながらも、その中から一つ選び掴む。
その中には、何やら青く丸い塊がぺたんこに潰されて収まっていた。
その封をいそいそと開封すると、ぱんぱんと何度も叩いて空気を含ませていく。
しばらくするとそれは、シンプルかつなんとも気の抜けた顔をした、一抱えあるスライムらしきぬいぐるみ……以前見たアニメのキャラクターだったはず……の姿を取り戻していた。
待ちかねたように、そのぬいぐるみを、ぎゅうぅ……っと抱きしめて顔を埋める夜凪。
「はぁあ……」
蕩けたような甘ったるい声が、その小さな桜色の唇から漏れた。
「あぁ、幸せぇ……」
思わずそんな言葉を呟いて、すべすべした触感の生地と、ぷにぷにと心地よい弾力を返してくるぬいぐるみの抱き心地を堪能する。
このまま寝落ちしてしまいそうな心地良いその感触。ベッドに持ち込んで抱きかかえて寝転がり、すっかり蕩けた顔で頬ずりする。
そんな風に、男の時は色々と心理的なブレーキが効いてしまい出来なかった事を、女の子になった事によって念願叶い思う存分謳歌していると……
「……えっと、ごめんなさい?」
「ひゃあぁああ!?」
突如背後から掛かった声に、まるで高圧電流を流し込まれたようにビクンと跳ね起きる。
慌てて振り返った姿勢の先には……見てはいけないものを見たという風情の星那が、微妙に顔を痙攣らせて立ち尽くしていた。
「な、な、な……」
「……ごめんなさい、ちょっと聞きたい事が、あったんだけど……」
そこで、夜凪の姿をまじまじと見つめる星那。
今の夜凪は、顔を真っ赤にして、ベッドの上に女の子座りをしていた……赤くなった顔を隠すように、大きなスライムらしきぬいぐるみを、抱きしめながら。
「……ぷっ」
「あ、酷い笑った……!?」
「ご、ごめんなさい……ちょっと……可愛すぎて……悪気はないから許して……ぷふっ」
「……もう、だから見られたく無かったのにっ」
耐えかねたように顔を逸らし、肩を震わせる星那。
そんな彼女の様子に、夜凪はすっかり拗ねてしまうのだった。
そんな様子も微笑ましかったらしく、しばらく生暖かい眼差しで見つめていた星那だったが……
「あ、こうしている場合じゃなかった。あの、白山君、お願いがあるんだけど……」
星那の頼みとは……なんて事はない、瀬織家から持ち込んだ愛用だったはずの枕が合わなくて、眠れないから見繕って欲しいというものだった。
肩幅が変わってしまったため、どうにも違和感が気になって仕方がなかったのだという。
「……これで、どうかな」
「ん……ありがと、大丈夫みたい」
いくつかの枕を試してみて、一番しっくり来た一つを何度か具合を確かめていた星那が、新しい枕に頭を預けてベッドに横になりながら、満足気に礼を述べる。
夜凪が元々使用していた枕を渡せば良かったのかもしれないが……なんとなく匂いが気になったため、新しい枕を準備したのだった。
「瀬織さん……一人知らない家で暮らす事になって、寂しくない?」
こちらに住む事は彼女の望んだ事とはいえ、体が入れ替わり苦労しているのは夜凪と同じはず。
そこにさらに人の家で暮らすことになって、その心労はいかばかりだろうと、夜凪は心配になる。
「あら、寂しいって言ったら一緒に寝てくれる?」
「そっ……ん……っ!?」
「安心して、冗談よ」
顔を真っ赤にして慌てる夜凪を、星那が笑う。
その様子にまたからかわれたのだと知り、頬を膨らませる夜凪だったが……すぐに、安堵したように息を吐いた。
「でも、良かった」
「……ん?」
「瀬織さん、お風呂から上がったあたりから素っ気なくなったから。てっきり何か怒らせたのかと」
「あー……そうね、ごめんなさい。あの時はちょっといっぱいいっぱいだったもので」
「そっか。もう大丈夫?」
「……ええ、ひとまずは」
そう答えた星那に安堵の息を吐きながら、夜凪はベッドの端に腰掛ける。
そして……まるで慈母のような穏やかな笑みで、横になっている星那へと微笑みかけた。
「何か心配事があったら、何でも遠慮せずに言ってね?」
「……あなたの、そういう所が本当に危険よね」
「……?」
なぜか顔の半分を枕に埋め、片目で恨めしげに夜凪の方を見上げる星那の呟きに、何の事だろうと夜凪が首をかしげる。
そんな動きに合わせて、すっかり乾いた黒髪が、さらさらと肩を滑って流れ落ちる。
そんな夜凪の姿を見つめていた星那だったが、不意に起き上がり、夜凪の横に腰掛ける。
「……どうかした?」
真剣な顔で見つめてくる星那に、夜凪が怪訝そうに首を傾げ尋ねる。
しかし星那はその問いに答えず、黒いヴェールのような滑らかな黒髪を顔の脇に避け、頬に触れる。
しばらく髪と頬、両方の感触を楽しむように撫で回した後……何かを決心したように唇を噛む。
いつのまにか夜凪の華奢な肩を掴んでいた手に、ぐっと力が込められ――
「お姉ちゃん……」
背後から掛かった小さな声に、星那の身体がビクッと跳ねた。力が入りかけていた夜凪の肩に置かれている手からも、フッと力が抜ける。
「……ん? 朝陽。どうしたの?」
そんな事など露知らず、夜凪はというと入り口から覗き混んでいる、眠いのか目を擦っている朝陽へと声を掛けていた。
「髪、梳いて欲しいの……」
「あ……ごめん、まだだったね。わかった、すぐ行くから部屋でまってなよ」
「はーい……」
ふらふらと、目をこすりながら怪しい足取りで部屋へと戻っていく朝陽。
これはドライヤーをかけている途中で眠っちゃうかな、と苦笑しながら、夜凪が部屋を出て行こうとする。
「あ、白山君……」
「ん、ごめんね? すぐ済ませて戻って来るから」
「あ、えっと……ううん、もう大丈夫。おやすみなさい」
「そう? なら、うん、おやすみ」
ふっと優しい笑みを浮かべ、部屋から出ていく夜凪。
それを見送って……星那は、「はぁぁ……」と深い溜息を吐いたのだった。
パタン、と部屋のドアが閉まる。
「ヤバかった……今のはヤバかった……!」
再び布団に突っ伏した星那が、頭を掻きむしりながら足をバタつかせる。
今は、邪魔をしてくれた妹ちゃんに感謝したい気持ちで一杯だった。
思い返すのは、今日一日見た見た目が星那な夜凪の姿。
髪を上げ、エプロンを着用した家庭的な料理姿。
顔どころか体の方まで紅潮し、もじもじと恥ずかしい場所を隠そうとする下着や裸体というあられもない姿。
湯上りの、上げた髪から覗く白いうなじと絶妙に脱力している火照った顔の艶姿。
先程の嬉しそうにぬいぐるみを抱きしめる子供っぽい姿も新鮮で、本当に愛らしかった
――正直、キツい。
立て続けにこうも「カワイイ」を刺激されると、心臓が持たない。特にお風呂など、よく耐え切ったと思う。
……星那は、自分の容姿が世界で一番好きだ。好き
しかし……それが自分である以上は下着姿も裸も見慣れたものであり、いまさら興奮なんてしない。
そう……あられもない姿で目に涙を浮かべて恥じらう自分の姿など、見た事がないのである。
触れるたびにビクッと震える小動物のような姿や、胸や大事な場所に触れた際の、泣き出す寸前みたいな顔など、見た事がないのである。
ところが今は夜凪が入っているため、そうして見慣れた姿とは違う恥じらいが過分に加味された姿を、「元は星那の体だから」とこちらに無防備にさらしているのだ。
これは、理性が削られる。
何度襲い掛かりそうになるのを堪えた事か。先程は本当に危なかった。
せめてこれがガサツな男だったら、立ち振る舞いの矯正にそれどころじゃなかっただろう。
だが、幸か不幸か夜凪は、そこそこお嬢様であり父方の実家が作法に厳しかった星那から見れば、まだ粗はあるものの……その辺の女の子以上に女の子らしいのだ。
それが、意外と耐えるのがキツい。
ゆえに、お風呂での一連の指導が終わった瞬間、むくむくと際限なく湧き上がる欲望から逃げられる事に安堵したのだ。
「うああぁぁぁぁ……」
女の子だった時ならばきっと出してはいけないであろう呻き声を上げながら、ベッドの上を悶え転がる。
じっとしていると、すぐに様々な星那(in夜凪)の姿が脳裏に浮かび悶々としてしまうからだ。
「見た目は見慣れた自分の姿だから平気… なんて、甘かったなぁ……白山君、恐ろしい子……!」
今もバクバクと荒ぶっている心音を感じながら、ポツリと呟く星那だった。
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