お風呂上がり

 ――さて、脱いだ、ということは、次は当然の帰結として履かなければならない訳で。




 風呂上がり、体に付着した水滴を柔らかいバスタオルで吸わせるようにして拭き終え、星那に言われるまま保湿用のボディミルクを全身に刷り込み終えた夜凪は、更なる試練に直面していた。


 手にしようとして躊躇ったのは、星那が見立てて用意してくれた着替え……の中の、白い小さな布の塊。


 つまり、女性用ショーツである。


「大丈夫よ、新品だから。流石に私が履いた下着を履けって言うのはちょっとね……」

「それは、分かっているんだけど……」


 だがしかし、今この目の前にある物は、元男である夜凪にとっては触れることはおろか、視界に入れる事すらはばかられた不可侵の聖域なのだ。




 ……ちなみに、先程まで着用していたものは、病室で着替えた際に目隠しした状態で星那に着せられたもので、自分で身につけるのはこれが初なのだった。




 まず、手にとってすぐ分かる手触りの違い。

 タグを見ると原料は木綿らしいそのショーツは、触れた肌にサラサラときめ細かい、柔らかな感触を手に返して来ていた。

 それに、機能優先といった風情の男性用下着に比べ、レースやリボンなどにより非常に繊細で凝った装飾が施されており、とても可愛らしい。


 しかも……手にした途端、夜凪が固まる。


 ……何これちっさ。


 妹がいるため、洗濯の関係で脱いでいる状態の下着を初めて見たというわけでは無いのだが……それはあくまでも、色気も何も無いジュニア用の綿パンツ。


 初めてまじまじと目にする、ジュニア用ではない女性用下着。くしゃっと縮んだその衣服は、手に載るくらい小さいのだ。

 それに、薄い。二枚重ねになっているクロッチ部分はともかく、それ以外の部分は向こう側が透けて見えそうなほど薄い。

 無理に伸ばしたら簡単に破れてしまいそうなその繊細さに、本当に履いていいのか疑問が浮かぶ。


 ……え、これ入るの? いや無理でしょ?


 そう半信半疑ながらも、促されて渋々両脚を通して腰まで引き上げる。


 ……入った。あんな、小さな布切れが。


 余分な突起の無い股間をピッタリと包み込み、優しく締め付けられる感じ。

 二重になった部分……クロッチの内側で、敏感な秘部が柔らかな木綿の生地に包まれ守られている感触に妙な安心感と、続いて湧き上がる背徳感に真っ赤になるのだった。




 その後も、湯上りに胸の形を整えて柔らかくするマッサージの仕方を教わったり、就寝時用のブラの着用方法を教えてもらったりと、本当にやる事が多くて大変。


「これ、本当に必要なの……?」


 伸縮性が高く締め付けも強くないためほとんど圧迫感は無いのだが、上半身にピッタリとフィットする衣類が一枚多いと考えるだけで、寝苦しそうだなと思う夜凪だった。



 ちなみに、髪を乾かす事に関しては朝陽にせがまれる形で頻繁に行っていたため、いくつか手順にアドバイスを加えられるだけで問題なくOKサインが出た。


 ここまで、優に一時間はオーバーしている。ようやく終わった事に安堵しながらも、今後毎日やっていかなければならないという事実にげんなりする。


「……という感じだけど、だいたい分かったかしら」

「うん、なんとか……本当に大変だね、女の子って」

「そうよね……まあ、分からない事があれば言ってちょうだい」

「うん……ありがとう、瀬織さん。色々教えてくれて」


 心配そうにしている星那に、夜凪がにこっと笑顔で礼を述べる。

 色々と恥ずかしくはあったけれど、面倒臭がらずに逐一詳細に説明してくれた星那には感謝しかなかったが故の行動だったのだが……


「そ、それなら良かった……ど、どういたしましてっ」

「……瀬織さん?」


 なぜか挙動不審となった星那に、夜凪は首を傾げ、湯上りで火照ったらしく赤味を帯びた星那の顔を下から覗き込む。


「そ……それじゃ、教える事もひとまずは伝えたから、今日は先に休ませてもらうわ!」


 まるで逃げるようにそう言って、さっさと自身の着替えは済ませて脱衣所から出て行ってしまう星那。

 その勢いに、夜凪は何か失敗しただろうかと、ただ首を傾げるのだった。


 それにしても……


「そっか……今日から一つ屋根の下で暮らすんだよね」


 想い人が、同じ生活スペースを共有して暮らす事となったのだという事をようやく実感し、なんとも気恥ずかしい気がする。

 もっとも……その姿が入れ替わっているという複雑な状況なのだが……


 はぁ、と深くため息をついて、いそいそと星那が用意してくれた薄桃色のパジャマを着込もうとして。


「……あれ?」


 違和感に……違和感に首を傾げ、手にしたパジャマに顔を寄せ、すんすんと嗅いでみる。


 鼻腔をくすぐるのは、相変わらずの花のような甘い香り。星那の香り。

 しかし……その香りに、違和感を感じなくなってきている。


「慣れてきた……って事なのかな」


 星那の体を、自分の物と認識し始めているのだろうか。そんな事を考えながら、お風呂場を後にする。


 ……後にしようとした。




「……むぅぅ」


 後にしようとしたのだが……脱衣所から一歩出たところで、すぐ傍の足元から可愛らしい唸り声が聞こえた。


 見ると、そこには……膝を抱えて体育座りとなり、不機嫌そうな顔をした妹の朝陽の姿があった。


「ん、どうかした、朝陽?」

「……せっかくお兄ちゃんが、お姉ちゃんになったのに」


 ぶすっと頬を膨らませてそっぽを向き、頑なに目線を合わせたがらない朝陽。

 いつもは機嫌が悪いことは滅多にない朝陽の、その頑なな様子に首を傾げながらも、屈み込んで視線の高さを合わせて話を聞く態勢を作る。


 しばらく拗ねていた朝陽だったが……根は素直なため、すぐに根負けして語り始めた。


「せっかくお兄ちゃんがお姉ちゃんになったんだから、久しぶりに一緒にお風呂に入って貰おうと思ってたのに……お姉ちゃん、あのお兄ちゃんだった男の人と、ずっと一緒にお風呂入ってるんだもん」


 なるほど、それが不満だったのかと納得する。


 たしかに去年までは一緒に入っていたが、小学校高学年になってからは、女の子が異性と一緒のお風呂に入るものではない、と言って別々に入るようになった。


 ところが、その女の子になった夜凪が、異性である星那とお風呂に入っている。

 それが腹に据えかねているらしく、すっかりむくれてしまっていた。


「あー……ごめん朝陽、それ絶対外で言ったらダメだからね?」


 諭すような夜凪の言葉に、朝陽がよくわかっていない様子で、頭に疑問符を浮かべながら頷く。

 聞き分けのいい子だから大丈夫だとは思うが、外でポロっと話でもしたら大変だ。


 ……人聞きが悪いってもんじゃない。


 こんな事が外に知れたら、きっと噂好きのお母様方のネットワークに乗って、魔改造されて町中に拡散しかねない。


 結局……明日は一緒にお風呂に入ると約束するまで、朝陽の機嫌が直ることはなかったのだった。

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