白山家の食卓
話し合いが済み、星那の一家は住み込みの準備のため、一度家へと帰っていった。
その際、夜凪のために服なども適当に見繕って持ってきてくれるとの事で……妙にウキウキした様子の星那に一抹の不安はあるものの、「じゃあ服を買いに行きましょう」などという事にならずホッとしているのだった。
……まさにそう言おうとしていた母親は拗ねていたが。
父親である夕一郎は、星那に貸す部屋を用意すると言って二階へと上がっていった。
今は、大学に進学し家を出た夜凪の兄がすっかり私物を片付けてしまい空き部屋となっていた、夜凪の隣の部屋を掃除をしている。
では、その間夜凪はというと……
「それじゃ僕は、夕飯の準備をするよ。多分だけど瀬織さんのご両親も食べていくよね?」
「そうね……何か必要な物はある?」
「大丈夫、昨日と今日で使う予定だった合挽き肉があるし、ハンバーグでも作るね」
料理の邪魔にならないよう長い髪を母親……真昼に束ねてもらいつつ、すっかり大きくなってしまった愛用のエプロンを着用する夜凪。
その間も、冷蔵庫の中身にあるものを思い出しながら、付け合わせなどを考える。
「……あなたは、すぐにでも良いお嫁さんになりそうね」
「母さん?」
「ごめんなさいね、あなたが一番大変なのに……まだどこにも行かず、一緒に暮らせるのだと思うと、ホッとしてしまって」
「……それは母さんのおかげだよ。真っ先に信じてくれた事、本当にありがとう」
母親が信じてくれたから、皆信じてくれる方向へと流れたのは間違いない。
だから、こうして路頭に迷う事もなく今まで通り……と言うには変わり過ぎているが……の生活が続けられる事に、本当に感謝しているのだ。
「……ごめんなさい。あなたが大変だというのはよく分かっているのだけれど、正直、星那さんと入れ替わっているとかそういう事は、私はどうでも良かったの」
まるで壊れ物のようにそっと背中から抱きしめられる感触に、夜凪が戸惑う。
だが、真昼はそんな夜凪の様子など御構い無しに、細い女の子の肩に顔を埋め、絞り出すように言葉を発した。
「あなたが無事で、本当に良かった……っ」
震えているその声に、夜凪の胸がチクリと痛んだ。
そうだ……入れ替わりのゴタゴタで流されていたけれど本当に危なかったのだ。
特に、星那を抱きかかえ、受け身すら取れない体勢で頭から落下した夜凪など、普通であればまず確実に死んでいたはずなのだ。
そんな事をようやく思い出した夜凪は、そっと背中を抱く母の手に触れて、小さく「ごめん」と呟いたのだった。
「……ごめんなさいね、息子に泣きつくなんて、私とした事が恥ずかしい」
すっかり赤くなってしまった瞼をエプロンの隅で拭いながら、真昼が恥ずかしそうに苦笑する。
「いや……嬉しかったよ、母さんにそこまで思われていたって分かったから」
「あら……本当、良い子なんだから、もう」
母にうりうりと撫で回され、くすぐったさに身をよじる夜凪。
そんな時、玄関の方からバタバタとした音が聞こえてきた。
「ただいまー」
玄関の方から、ややのんびりとした女の子の元気な声。
「あ、朝陽が帰ってきたみたいね」
そう母が呟いたのとほぼ同時に、キッチンに飛び込んで来る女の子……妹の朝陽だ。
夜凪と同じ髪質のやや茶色味がかった髪を、横にちょこんと二つ括ったいわゆるツーサイドアップ。
顔立ちも、夜凪のものと似通ったパーツが散見される。
これは夜凪の身内への贔屓目込みだが……可愛いらしい女の子だ。それこそ目に入れても痛くないくらいには。
そんな朝陽が、キッチンで母と一緒にいる星那の姿をした夜凪に、不思議そうに首を傾げた。
「……あれ? そのお姉さん、誰?」
「あ、えぇと……」
これは、もう一度説明だな……そう判断した夜凪は、諦めて口を開くのだった。
「……へー、不思議な事もあるものねぇ」
そう、夜凪の手伝いにと肉を捏ね終えて使用済みのボウルを洗いながら、呑気に言う朝陽。
「いや、普通は無いと思うんだけど……」
苦笑しながら、フライパンで軽く焼き色をつけたハンバーグをスチームオーブンに並べて放り込み、スイッチを入れる。
もう一つ、やや大きめの鍋で温めているのは、以前大量に作って冷凍してあったミートソースを、同じく冷凍してあったトマトソースで緩くしたもの。
冷凍庫の中身を整理したいな……そう思った夜凪は結局、今日の夕飯を煮込みハンバーグにしたのだった。
ちなみに真昼はというと、どうやら久々に家族でキッチンに立てたのが嬉しかったらしい。
今は「スープも必要よね」と言って、上機嫌で野菜と卵をふんだんに使用したコンソメスープを作ってくれている。
「それで……朝陽は、僕の事が気持ち悪かったりとかは……」
「え、なんで? むしろ今の方がなんかね、違和感ないよ?」
「あはは、そっかぁ……そっかぁ」
ここで気持ち悪いと言われたらショックで倒れる自信があるが、この返答も案外キツい。
精神的ショックによる脱力感に、がっくりとシンクの縁に両手を付いて項垂れる夜凪。
自分が男らしくなかった自覚のある夜凪だが、可愛がっている年の離れた妹に、一切悪気なく今の女の子になった姿の方が似合っていると言われると、流石に凹むのだった。
家族二つ分の人海戦術によって星那の引越しは恙無く進み、夕方には全ての荷解きが終わっていた。
食事を用意してあるので良かったらとを瀬織家の両親を誘い、皆で夕食の並べられた食卓に着いたのだったが……
「美味しい……!」
「む……」
「まぁ、本当……!」
次々と挙がる感嘆の声。
初めて夜凪の料理を口にした瀬織家の三人が、それぞれ取り分けたハンバーグを口にした途端に、三者三様の反応で称賛する。
「口に合ったようなら良かったです。学業の傍らに独学で勉強した素人料理ですが……」
「いえ、本当に美味しいわ」
謙遜する夜凪にもう一度称賛を投げかけて、もう一口、今度は白いごはんと一緒に口に入れる星那。
「ふふん。お兄ちゃんのご飯美味しいよね」
「ええ、このハンバーグもふっくらと柔らかく焼けていて、良い焼き加減。抑えめで優しい香辛料の風味がふわっと広がって……」
「あはは……お口に合ったようでなによりです」
何やらやたら豊富な語彙で褒めちぎる星那の母親。
お金持ちというのは伊達ではないらしく、やはり舌が肥えているのだろうか。
「まだまだお代わりはありますから、どうぞ遠慮せずに」
にこやかに、皆にもっと食べるように勧める夜凪。
本当は一人分ずつスキレットに盛り付け提供したい所だったのだが、生憎といつもの倍近い人数に行き渡るほど所有していなかった。
なので、大鍋のまま卓上に持ってきて、各自自分の取り皿へとよそってもらう形式としたのだ。
大鍋の周囲には、ボイルしたブロッコリーや粉吹き芋、にんじんのグラッセなど、ハンバーグの仕込みの間に用意した付け合わせが卓を彩っており、こちらもセルフサービスとなっている。
「というか、ご飯が美味しい……!」
「ふふ、夜凪は凝り性だもんねぇ」
白米に感動している星那に、あらあらと微笑ましい視線を送りながらそんな事を宣う真昼。
ほんのりお焦げの混ざる、白く艶やかなご飯。
これは来客があるという事で、張り切った夜凪が炊飯器ではなく炊飯用の土鍋で用意したものだ。
ちなみに夜凪は……これは星那の体の容積が少ないせいなのか……ハンバーグひとつといくつかのおかずを少し、それと茶碗半分ほどのご飯で早々に満腹となっていた。
そのため、今は甲斐甲斐しく皆の世話を焼いているのだった。
「……その、夜凪くん。私にもおかわりを」
「あ、はい、どうぞ」
おそるおそるといった様子で星那の父……才蔵が差し出した茶碗をにこやかに受け取り、自分の前に用意したお櫃に入ったご飯をよそって返す。
その茶碗をなんとも感慨深そうに受け取った才蔵が、噛みしめるように白米を咀嚼し、ぽつりと口を開いた。
「……不思議なものですな。よもや、星那の姿をした方に、こうして手料理を振る舞っていただくというのは」
そう、しんみりとした様子でハンバーグに箸を入れて口に運び、白米をかっ込む才蔵。
彼は、「あぁ、美味い……本当に」と呟くと、あとは黙々と食事に専念してしまう。
「……思えば、私たちは娘に対して、親らしいことをしてやれませんでした。料理だってお手伝いさん任せで、ひとつとして教えてあげた事が無かったと…このような事になって、今更ながら後悔しています」
星那の母親……杏那が、神妙な顔でそう訥々と語る。そんな母親の様子に、そっと目を伏せる星那。
その家庭環境から、星那はごく簡単な料理しかできないらしい。
こうして美味しい料理を出せる夜凪は、たとえ星那の姿をしていても、『瀬織星那』ではもうないのだ。
そのような事実を明確に突きつけられた、彼らの心境はいかばかりか。
「あの……もし良かったら、また時間のある時に、ご飯を食べに来ませんか? こうしてみんなでご飯を食べる事は、またいつだって出来るんですから」
ゆえに、夜凪は咄嗟にそのような申し出をしていた。寂しそうな彼らを、放置できなかったからだ。
「ああ……分かった、お願いしよう。君は本当に、優しい良い子だな……」
「夜凪さん……と言いましたね。星那を……娘を、どうかよろしくお願いします」
「……はい、不束者ではありますが」
涙ぐむ星那の両親に、夜凪は優しく微笑み彼らの願いを請け負うのだった。
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