婚約締結あるいは宣戦布告

 収集がつかなくなりかけた空気の中で、場の空気を正すように声を上げたのは、しばらく何事かを難しい顔で考えていた夜凪の父……夕一郎だった。



「はぁ……皆さん、少し冷静になりましょう。まだ二人とも学生の身だ。特に夜凪などまだ十六歳で結婚の要件も満たしていない。なのに結婚など早すぎる。そうは思いませんか?」

「そ、そうでしたな……取り乱してしまい、申し訳ない」


 夕一郎のその冷静な言葉によって星那の父……才蔵が平静を取り戻し、変な熱のこもっていた部屋が一旦の鎮静を見せた。


「それに、一番戸惑っているであろう二人……」


 そこで、一度言葉を切り、星那の方を見る才蔵。

 次いで夜凪の方を若干の同情が混じった目で見てから、再度口を開いた。


「……一番戸惑っている夜凪君も、考える時間が要るでしょうね」


 上機嫌な星那の方からは目を逸らし、言い直した。


 ――うん、満更でもなさそうですもんね、瀬織さん。わかります。


 そう、夜凪は苦笑する。


「本当に申し訳ない、私たちだけで盛り上がってしまって。まだ若い君の人生における重大事とだと言うのに……」

「い、いえ、気にしていませんので、そんな謝る程の事は……」


 深々と頭を下げる才蔵に、夜凪の方こそ恐縮し慌てて頭を上げるように促す。


 夜凪としても、体が入れ替わってしまった今でも、不思議と星那が好きという気持ちが冷めた訳ではない。

 なので、彼女の体を奪ってしまった責任を取るというのも、実のところやぶさかではないのだった。


 ただ……いきなり結婚などと言われてもすぐに、はいそうですか、とはいかないだけなのだ。


 そんな息子の心情を察しているのか、冷静を保っている夕一郎が提案に付け加える。


「ですので……どうでしょう、ひとまずここは許嫁、婚約者とし、二人とも私たちの元で暮らすというのは。勿論、二人には最低でも高校卒業まで、に留めるようによく言って聞かせますので」


 ――あ、父さんちゃっかり釘刺してる。


 僅かに強調された「清い交際」という言葉に、隣で星那が引き攣った気配を感じ、苦笑するのだった。


「……そうですね。ご子息の意思を無視して性急に事を進めようとして、申し訳ない」


 素直に、そう謝罪する才蔵。


「それに、私たちやすでに仕事をしている長男も、家を留守にしがちです。女性としての生活に不慣れなご子息の安全のためにも、ありがたい申し出です」


 そう言って、二人並んで膝を揃え、姿勢を正す星那の両親。


「そちらの家にはご迷惑をおかけする事になりますが……どうか、をよろしくお願いします」

「……はい、承りました」


 深々と頭を下げる才蔵と、その手を取って固く握手する夕一郎。


 父親同士で話がまとまり、安堵しかけた空気の中……最後に夕一郎は、夜凪の姿をした星那の方を真正面から見つめ、口を開く。


「そして……そちらのお嬢さんには申し訳ないけれども、どうしても無理だ、結婚なんて考えられないと夜凪が言う場合、私は反対に回らせてもらう事もある事をご了承願いたい」


 そう告げた夕一郎の目は、普段の温厚さとは違って鋭く細められ、有無を言わせぬ雰囲気を発していた。

 しかし、星那はその視線を正面から受け止めて、頷く。


「……至極当然の事だと思います。分かりました、私は異存ありません」


 そう堂々と語る星那。

 てっきり文句の一つも言うと思っていた夜凪は意外そうな視線を彼女へと向ける。

 だが、彼女は迷いなく次の言葉を言い放った。


「だから……そんな事にならないよう、私が白山君を全力をもって口説き落とします」


 今度は私が言い寄る番ね、と夜凪の方へと晴れやかな笑顔を向け、そう宣言する星那。

 その自信に満ちた様子に、夜凪は少しだけ、ゾクリとした寒気を感じるのだった。


「……という訳だが、お前もそれでいいか、夜凪」

「うん……ありがとう、父さん」

「いや……はは、その可愛らしい姿で礼を言われると、照れるね」


 先程までの凛とした空気はすっかり霧散し、ほんのり顔を赤らめて頰を掻く父親の姿に、ふふっと夜凪の口から笑いが漏れた。




 父のおかげで、なし崩しにその場で結婚という事にはならずに済んだみたいで、夜凪にとってもここがいい落とし所だと思う。


 このような異常事態の中で最良の結論に落とし込んでくれた父に、夜凪は本心から礼の気持ちを乗せて頭を下げるのだった。




 こうして、夜凪が失恋した事で終わった筈の恋愛模様は、攻守を逆転して続く事が決定したのだった――……

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